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2010年6月16日 (水)

コミュニケーションツール発展とは裏はらに希薄になっていく人間同士のコミュニケーション

実は一昨日の記事である「iPad向け、本の「格安」電子化業者ーこれはまずいだろう。収益を得ている時点でもはや「私的複製」ではない」
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/06/post-65d0.html

mixiの日記でも一般公開しました。

これは広く多くの人に著作権に関する意識や知識をもってもらおうという主旨だったのですが、始めは健全な「激論」だったのですが途中で大荒れになりました。ひとことでいえば発言者の1人が「荒らし」行為を始めたからなんですが、その人物は私や他の発言者の問いや、この発言者の主張の根拠等の質問には殆ど応えず発言者の揚げ足取りに終始し最後はこちらの発言にぶち切れるという、まあ典型的な「荒らし」のパターンですね。笑っちゃうほど典型的です。

こういうある意味理詰めの問いかけでぶち切れるのはこの手の人間にとってこういう「攻められ方」が最も都合が悪かったからですが、まあこのおバカさん、私のことを「シロウトが何をいうか?」とか「お前プロじゃないだろ?」とかまあいろいろ云ってくれました。(笑)

まあこういうバカになんて思われようがはっきりいって屁とも思いませんが、看過できなかったのは私以外の人間に対しても誹謗中傷を行い、さらに「もうこれでおしまいにする」などといっておきながらその舌の根も乾かない間に誹謗中傷の発言を繰り返したためにこの人物をアクセスブロックし、mixiの本部にも通報しました。もっとも最近のmixiの「警察」は全くあてにならない状況なので、まあやっても無駄だとは思ってますが...

実はこういう行為を繰り返すのは要は発言の応酬で最後に「自分が勝った」という実感を得たい、というはっきりいって極めて幼稚な動機からなんですが、実はこれは強烈な劣等感の裏返しなんですね。まあこういう行動を取る人物はだいたいは、社会的立場というか地位など0に等しく、これといった仕事の実績もない(つまりニートかフリーター)であることが多いんですが、西村ひろゆき氏などは「背負うものがない無責任な連中」と揶揄していまずが、まあその典型的なパターンでしょうね。

まあその辺りのことはだいたいわかっているんですが、こういう連中の相手は本当に疲れます。使わなくてもいいエネルギーを使ってしまうのですが、これを見てもいかに最近のmixiの会員の質が落ちているかがわかりますね。もう5年やってますが、本当に「荒らし」の常習犯、スパム業者、それ以外にアヤシイ人物、アブナイ人物が相当入り込んでいます。招待制から登録制になってからこういう傾向が余計強くなったでしょう。本当に困ったもんです。

私はmixitwitter等もやっていますが、確かにネットを中心としたコミュニケーションツールは増えました。しかし同時に非常に気になる傾向を感じます。それはコミュニケーションツールが発展しているにも関わらず、人間同士のコミュニケーションは寧ろ希薄になっていることを感じるのです。

ネットというのは顔が見えないだけに思考する事なしにその場限りの内容のないコミュニケーションになりがちで、以下のような傾向をよく見ることができます。

ニュースのヘッ ドラインのみを読んでニュースの全てを理解したと勘違いする

記事や掲示板の 過去のやりとりとかを全部読んでいないくせに発言の一部の言葉尻だけを捉えて発言(揚げ足取りも含む)

真実かどうか確かめもせずに他人の情報を鵜呑みにしてそれを吹聴する

・明らかに社会人としての常識がない発言になってしまう

他人の発言にすぐに切れる

要は断片的な情報のみで判断したり「理解したつもり」になってしまう傾向、コミュニケーションといっても極めて表面的なものに終始したりする傾向になってしまいがちだという点です。

しかもコワいのは上記のようなバカに煽られたり、からまれたりしますと自分も知らず知らずのうちにそのバカと同じ行動を取ってしまう危険性があるということです。私は自戒の意味も込めて次のような記事を書いています。

ネットでバカ扱いされないためにーこういう行動はやめましょう

http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20100425

私の大学の哲学者、故市井三郎先生は「歴史の進歩とは何か?」という著書で「進歩のパラドックス」というものを論じておられました。これはつまりテクノロジー等の進歩によって恩恵を蒙った面もあると同時に、それによって別の問題、副作用が生じそのことによって被害を蒙る人たちが生じた場合は(これを「不条理の苦痛」といいます)、それは進歩とはいえない、という風に考えそれを「進歩のパラドックス」と定義します。

つまりコミュニケーションツールが発展しているにも関わらず、人間同士のコミュニケーションは寧ろ希薄に なっている、人間同士できちんとしたコミュニケーションを取るのが苦手な人間が増えている、という現象はまさに「進歩のパラドックス」ということができるのではないでしょうか?なんていってもコミュニケーションツールが増えることによって、逆にコミュニケーションが希薄、もしくは殆どコミュニケーション自体が取れていないという皮肉な結果になるんですから...

twitterは私もやっていまして確かに楽しいですが、非常に「ゆるい」コミュニケーションだけに表面的なコミュニケーションになりがちです。最近はメールやブログも「短い文章がよい」という風潮が広がりつつあり、確かにコミュニケーションのスピードはあがりますが、ますます人間同士のコミュニケーションが寧ろ希薄になる傾向が強くなることを懸念します。

まあ私のブログ記事は見てのとおり長いので有名ですが(笑)  やはりさまざな点を要点だてて、しかもわかりやすくそして議論も内容のあるものにしようと思うとどうしても長い文章になってしまいます。そんなの読めるか、という人もいるでしょうが、私はしかし決して長い文章は悪いことだとは思いません。

コミュニケーションが希薄で表面的だから思考する必要もなくなり、ますます「思考停止」「想像力の低下」に拍車がかかるのではないか、という懸念です。それを考えると最近の短いメールがいい、短いブログがいい、という風潮は私は必ずしもよい傾向だとは思いません。実際一時あれだけもてはやされたmixiのようなSNSですら今やあのようなありさまですから...

日本人は特に流されやすい国民性を持っていますから、twitterが流行るといったらみんなそちらに流れますが、コミュニケーションツールを使いながら人間同士のコミュニケーションがより密接になるように考えることも必要なのではないか、と考えます。

まあとにかく「思考停止」「想像力の低下」によって冒頭のようなタイプの人間が大量に発生してしまったというのは憂慮すべき状況ではないでしょうか? さすがに私も今回は疲れましたが、しかし一方で何人かの友人から「知らない人が多いからこそ音楽関連コミュニティ内での発言ではなく 日記の全体公開で発言するのは効果的だと思います。 大変でしょうが、個人的には諦めないで続けていただきたいです。」とか「非効率で疲れるのが 民主主義ですから。日記を公開したら7人の敵がいると思って冷静に持論を 持続的に展開して欲しい」という励ましのメッセージもいただきました。ありがたいですね。

まあ今は私の中でああいうバカに対する精神的な嫌悪感が強いので、再度同じことをやるには少し時間が必要かな、という感じもします。まあ著作権などの知財に関する啓蒙は必要ですからね。しかし私は業界では長く仕事をしていますが、そんなに有名人ではないのでどうせ啓蒙するのならもっとビッグネームの方に表に立っていただいた方がいいと思いますけどね。例えばYMOの四人目のメンバーといわれる松武秀樹さんとか、参院選に出られる庄野真代さんとか、 いずれも私の大先輩で個人的にもお世話になった方たちですが...

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