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2010年6月28日 (月)

キャンドルナイト

昨日”inzuzo”(インズーゾ)にて行なわれましたキャンドルナイトの模様です。大勢の方のご来場ありがとうございました。夏至の夜に行なわれる全世界的なムーブメントでキャッチフレーズは、「でんきを消して、スローな夜を」でエコな夜をすごそうというイベントです。

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こんな感じで各テーブルでキャンドルが灯されとてもロマンチックなライブの夜でした。ライブはUstreamでもネットで放送されました。結構動作が不安定なんですが.. (Windows XPだと辛いかもしれません、特にCPUパワーが弱いと辛いです)

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写真は出演者のスワンリバーデージーさんです。

こんな感じでワンアップミュージックとの共同企画、So fabulous★
まだまだ続く予定です。(^^)


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武蔵野映画祭

昨日さる映画製作会社のプロデユーサーの方のお誘いで武蔵野映画祭に行ってきました。

Flyer1


ショートフィルムノミネート作品+1作品で9本、上映後映画監督の篠原哲雄、武正晴、三宅伸行氏のトークセッションもあったようですが、私はご存じのとおりライブを控えていたのでショートフィルム6本を見ただけで会場を後にしました。

誘っていただいた映画プロデユーサーの方の作品はオープニングに上映され、さる売れないミュージシャンを題材とした作品でした。自分に直結する話なので何か身につまされた気分になりました。でもよく現実を描いていたと思います。

それにしても自主制作のショートフィルムは独特の雰囲気がありますね。ノミネート作品といっても全部は見ていないですが、その中で見た範囲の作品でいえば帯に短し、タスキに長しといった感じでしょうか。脚本がまあまあでも出てる役者がいまひとつだったり、逆に役者がよくても脚本が今ひとつだったり 両方いい作品って少ない感じがしますね。「俺たちの世界」の中島良監督のようなインパクトのある作品はなかなかないんですね。もしかしたら見そびれた作品の中にあったのかもしれませんが...

会場でその
映画プロデユーサーの方にご挨拶し、とりあえずそのプロデューサーは音楽について相談をしてくれるという言葉をいただきました。 但しギャラは応相談、だそうです。(笑)
でもいい作品になればそれでもいいですけど...

しかし音楽は昨今の機材の関係で一人で作ろうと思えばできます。 でも映画はそうはいきません。役者さんだけでなく照明、音声、メイク、衣装等 必要な予算も音楽とは桁が違います。あわせて昨今の不況の情勢で資金繰りはどこも楽でなく、その意味では音楽の世界以上にきつい業界環境かもしれません。日本の映画製作の現場が元気になるように願いたいものです。 

取り合えずこちらはソフトシンセのViennaの環境を充実しますので、映画のニーズには対応可能な体制を整備していこうと思います。
映像や劇伴のための音楽はBGM会社にいた時代を含めると私にとっては癒やし系より長くやっている分野の仕事です。まあ年喰ってもできる仕事なのでこれからまたこれを重点的にやっていこうと思います。


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2010年6月25日 (金)

大橋ジャンクションと東山ー中目黒の変遷にふれ、

今日は中目黒の某スタジオにてレコーデイングでした。
以前も書きましたがかつて自分は池尻大橋ー中目黒に十年間住んでいました。だからこの界隈は殆ど自分のフランチャイズみたいなもんだったんですね。
自分の音楽キャリアでも順調な時代をすごしたこともあり、引っ越してから十一年たっていますが、まだこの地域には愛着があります。

ここはかつて多くの音楽事務所や制作会社があった地域でした。今でも多少はあるようですが昨今の業界の状況からかなり減ったのは事実のようです。

十一年という年月は町を大きく変えてしまいました。

かつて博覧会の仕事や映画関係の仕事のポストプロ作業を行なったSONY PCL というスタジオがありましたが今はその跡地はドンキホーテになっています。

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そしてかつてポリドールレコードの本社(キテイレコードも)があったところは現在大橋ジャンクションの高架から地下に入る螺旋状の通路の敷地になってしまい、今は跡形もありません。ここのスタジオは結構いいスタジオだったんですけどね。オーケストラなどもよく録れたスタジオです。

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ちなみに見えている木は桜の木です。桜の季節は満開でとても綺麗になります。いつのまにか高層マンションになっていました。

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ちょうどここの位置にかつてポリドール本社がありました。

上記の建設物はこんな感じで首都高速三号線(東名につながる)に連結します。

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まあこの計画は私がまだこの辺りに住んでいた時代から聞いてはいたんですが、とにかく町の変わりぶりは驚きます。

十年間住んでいた間、前半は良かったんですが後半、ちょうど90年代中ごろから業界の風向きがおかしくなり始めました。後半は悪戦苦闘の連続だったんですが、今はその悪戦苦闘の時代より遥かに悪くなっています。まあよくここまで辛うじて持っているなというのが正直なところです。他の方策も取っているんですが、昨今の不況の状況からこれも思うようになっていません。まあとにかくもがきながら何とかやっていくしかありません。

時代の変遷というのは時には残酷なもんです。

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2010年6月24日 (木)

気がついたらBS2のアマデウスディレクターズカットに見入ってしまいました(^^)

昨日が少々しんどい一日だったせいか、今日は夜結構疲れてしまいましてたまたまNHKのBS2をつけたらアマデウスーディレクターズカットをやっていたので気がついたら見入ってしまいました。オリジナルの公開映画はもう何回も見ていますので、セリフすら覚えていますがよく考えてみればディレクターズカットはあまり見ていなかったかもしれませんので、

この映画はごぞんじ、イギリスの劇作家ピーターシェーファーの原作の映画化ですが、やはり衣装はオスカーを取っただけに綺麗ですね。オリジナル版と比べて20分ほど長いです。

Amadeus

僕は昔は「クラシック少年」だったこともあり、基本的にモーツアルトは好きなんですが、最近モーツアルトを聴いていないので、モーツアルトの曲を流しながらの映画なので自然に見いちゃったんですかね? 作曲家アントニオサリエリ、がモーツアルトを「殺す」という設定になっていますが、実は噂の出所はわかりませんが当時からサリエリがモーツァルトから盗作したり、毒殺しようとしたなどという噂が絶えず、サリエリ本人を苦しめました。

まあサリエリ、とモーツアルトが実際に対立したなどという記録も残っていますし、長年サリエリ宮廷楽長の地位を独占したのがそういったあらぬ噂をまきちらした原因のようですが99%以上の確率でそれはデマといっていいでしょう。だいたい宮廷楽長のトップが映画にも出ていました皇帝ヨーゼフ二世の死後、リストラされたモーツアルトを殺したところで何のメリットもないわけですから、根もはもない話といって差し支えないと思います。

勿論映画のストーリーにあるようにサリエリモーツアルトにレクイエムを委嘱したという事実もありません。(これは明確に別の依頼人が存在します) まあこの映画のモーツアルトはあまりにもくだけた、おちゃらけ気味のキャラクターだったために一部のクラシック愛好家や音楽大学関係者から不興を蒙りましたが、モーツアルトスカトロジー(シモねた、うんこねたを多用)の傾向が極めて強かったことがわかっており、まあ人物像としては当たらずとも遠からずだと考えていいと思います。

しかし仮にモーツアルトが現代に生きていたらヒット作をバンバンとばしたポップスの作曲家になっていたかもしれません。彼のメロデイーはキャッチーであると同時に芸術性としてもすぐれており、その面では大衆性と芸術性が見事に融合していた数少ない作曲家の1人といっていいと思います。私がモーツアルトが好きなのはクラシック音楽だからではなく、モーツアルトの音楽のその両面性に魅かれるんですね。

個人的にはガーシュインにもその要素を感じるんですが、現代の音楽の世界が忘れてしまった「何か」をこのモーツアルトの音楽は持っていると思います。

そんなわけで見入ってしまったおかげでいい気分転換になりました(笑)

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2010年6月17日 (木)

都青少年健全育成条例改正案:都議会本会議で否決

さて、この件も先日の当ブログの記事
性描写規制改正案、都議会で否決の公算

http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/06/post-799c.html

昨日この改正案が都議会で民主、共産など野党会派の反対で否決されました。

都青少年健全育成条例改正案:都議会本会議で否決 9月にも再提案

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100617ddm012010052000c.html


しかし都としては飽きもせず改正案を練り直し、9月定例会以後に再提案する方針だという。何度もいうように何が猥褻で何が猥褻でない、などということを明確に定義することなど不可能である。これは過去何回も試みがなされ、いずれも失敗している。そしていうまでもなく表現の自由にも抵触する問題である。

こういう問題を論じるときに危険なのは一部の人間の独断と偏見で訳のわからない線引きがされる可能性が高い点で、今回の都の基準でも水戸黄門の由美かおるやドラえもんの「しずかちゃん」の入浴シーンがよくて他は駄目、なんというあまりにも馬鹿馬鹿しい議論が大真面目に論じられるという事態が発生している。

「青少年の健全な育成」、というのは確かに大事なことだがそもそも「健全な育成」の定義は何か。そこの部分すら曖昧のまま、表現についての猥褻論議をするなど笑止千万である。何度もいうが芸術表現とは何たるかを理解していない人間がこんなことを論じることの危険さ、滑稽さはもう一度考えてみるべきだろう。

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作家の権利を考慮した書籍電子化の議論を

さて、先日の記事である「iPad向け、本の「格安」電子化業者ーこれはまずいだろう。収益を得ている時点でもはや「私的複製」で はない」
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/06/post-65d0.html

に関連した動きについて述べます。

この件に関しては「この業者は{作業料}を徴収しているだけで販売ではない」と強硬に主張する人間がおりましたが、もっともこの男の場合は自分の主張云々よりも最初から「荒らし」が目的だったような気がしますが そもそも電子化しようとする「著作物」があるからこそ「電子化」しようとする意図が出てくるわけで、その意味では作者に許諾をえず(権利者に対する対価を支払わず)第三者が複写している事実に何ら変わりありません。これは裁断だろうが全部だろうが全く関係ありません。そこを理解できない人が多すぎますね。

そもそもこういう流れは今に始まったことではありません。まずGoogleの「電子書籍化」の問題があります。
Googleの書籍電子化、写真家らが「著作権侵害」と訴訟

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1004/08/news018.html

これは全米写真家協会(ASMP)など写真家・イラストレーターを代表する複数の団体が4月7日、書籍をスキャンしてオンラインで公開するGoogleの計画は 著作権を侵害しているとして集団訴訟を起こしたニュースですが、今後こういうことは増えていくでしょうね。

これというのも「著作権のグレーゾーン」-「個人で著作物を楽しむ権利」という部分が非常に一般の人にわかりづらく、曖昧の部分もあることに起因しています。自分で自分が楽しむためにコピーするのはOKだけど、それを友達にプレゼンとするのはNGー簡単にういえばそういうことなんですが、ここのところの理解が広まっていないというのがこうした電子化の問題、他人の著作物を勝手に公開していいんだという風潮を生んでいるように思います。

実はこの件では既に総務省、文部科学省、経済産業省の3省が電子書籍の規格統一に乗り出しています。3月17日に共同で「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」を開催。出版業界の代表者らを集め、 電子書籍をめぐる問題について協議をしていますが、前述のi-padの件はどんどん進んでいますので早急な取りまとめが求められますね。

電子書籍の規格統一へ政府が意欲、出版業界の代表らを集めて懇談会を開催

http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20410725,00.htm

一方では作家の間にこういう動きが出ています。

出版社を通さずiPadに電子書籍 作家の瀬名さんら

http://www.asahi.com/digital/pc/TKY201006160478.html

これは作家自身が自らやっているので何の問題はないんですが、総務省、文部科学省、経済産業省のお役所仕事を待っていられない、という感じで自ら電子書籍を出そうという動きらしいです。

まあpdfなどの電子書籍というのは今後の新しいメデイアになる可能性は高いですが、そのために作家、権利者の権利を蔑ろにしていい事態はあってはならないと思います。インターネットは得てして無法地帯になってしまいがちで、ネットはそれでいいんだなどという人間がいますがビジネスである以上きちんとしたルールやコンプライアンスがないとビジネスとして定着しないと思いますIT関係者にもそこの部分を理解して欲しいですね。何度も書きますが「全ての情報やコンテンツは無料であるべきだ」という考えは情報化社会を必ず崩壊させます。

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2010年6月16日 (水)

コミュニケーションツール発展とは裏はらに希薄になっていく人間同士のコミュニケーション

実は一昨日の記事である「iPad向け、本の「格安」電子化業者ーこれはまずいだろう。収益を得ている時点でもはや「私的複製」ではない」
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/06/post-65d0.html

mixiの日記でも一般公開しました。

これは広く多くの人に著作権に関する意識や知識をもってもらおうという主旨だったのですが、始めは健全な「激論」だったのですが途中で大荒れになりました。ひとことでいえば発言者の1人が「荒らし」行為を始めたからなんですが、その人物は私や他の発言者の問いや、この発言者の主張の根拠等の質問には殆ど応えず発言者の揚げ足取りに終始し最後はこちらの発言にぶち切れるという、まあ典型的な「荒らし」のパターンですね。笑っちゃうほど典型的です。

こういうある意味理詰めの問いかけでぶち切れるのはこの手の人間にとってこういう「攻められ方」が最も都合が悪かったからですが、まあこのおバカさん、私のことを「シロウトが何をいうか?」とか「お前プロじゃないだろ?」とかまあいろいろ云ってくれました。(笑)

まあこういうバカになんて思われようがはっきりいって屁とも思いませんが、看過できなかったのは私以外の人間に対しても誹謗中傷を行い、さらに「もうこれでおしまいにする」などといっておきながらその舌の根も乾かない間に誹謗中傷の発言を繰り返したためにこの人物をアクセスブロックし、mixiの本部にも通報しました。もっとも最近のmixiの「警察」は全くあてにならない状況なので、まあやっても無駄だとは思ってますが...

実はこういう行為を繰り返すのは要は発言の応酬で最後に「自分が勝った」という実感を得たい、というはっきりいって極めて幼稚な動機からなんですが、実はこれは強烈な劣等感の裏返しなんですね。まあこういう行動を取る人物はだいたいは、社会的立場というか地位など0に等しく、これといった仕事の実績もない(つまりニートかフリーター)であることが多いんですが、西村ひろゆき氏などは「背負うものがない無責任な連中」と揶揄していまずが、まあその典型的なパターンでしょうね。

まあその辺りのことはだいたいわかっているんですが、こういう連中の相手は本当に疲れます。使わなくてもいいエネルギーを使ってしまうのですが、これを見てもいかに最近のmixiの会員の質が落ちているかがわかりますね。もう5年やってますが、本当に「荒らし」の常習犯、スパム業者、それ以外にアヤシイ人物、アブナイ人物が相当入り込んでいます。招待制から登録制になってからこういう傾向が余計強くなったでしょう。本当に困ったもんです。

私はmixitwitter等もやっていますが、確かにネットを中心としたコミュニケーションツールは増えました。しかし同時に非常に気になる傾向を感じます。それはコミュニケーションツールが発展しているにも関わらず、人間同士のコミュニケーションは寧ろ希薄になっていることを感じるのです。

ネットというのは顔が見えないだけに思考する事なしにその場限りの内容のないコミュニケーションになりがちで、以下のような傾向をよく見ることができます。

ニュースのヘッ ドラインのみを読んでニュースの全てを理解したと勘違いする

記事や掲示板の 過去のやりとりとかを全部読んでいないくせに発言の一部の言葉尻だけを捉えて発言(揚げ足取りも含む)

真実かどうか確かめもせずに他人の情報を鵜呑みにしてそれを吹聴する

・明らかに社会人としての常識がない発言になってしまう

他人の発言にすぐに切れる

要は断片的な情報のみで判断したり「理解したつもり」になってしまう傾向、コミュニケーションといっても極めて表面的なものに終始したりする傾向になってしまいがちだという点です。

しかもコワいのは上記のようなバカに煽られたり、からまれたりしますと自分も知らず知らずのうちにそのバカと同じ行動を取ってしまう危険性があるということです。私は自戒の意味も込めて次のような記事を書いています。

ネットでバカ扱いされないためにーこういう行動はやめましょう

http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20100425

私の大学の哲学者、故市井三郎先生は「歴史の進歩とは何か?」という著書で「進歩のパラドックス」というものを論じておられました。これはつまりテクノロジー等の進歩によって恩恵を蒙った面もあると同時に、それによって別の問題、副作用が生じそのことによって被害を蒙る人たちが生じた場合は(これを「不条理の苦痛」といいます)、それは進歩とはいえない、という風に考えそれを「進歩のパラドックス」と定義します。

つまりコミュニケーションツールが発展しているにも関わらず、人間同士のコミュニケーションは寧ろ希薄に なっている、人間同士できちんとしたコミュニケーションを取るのが苦手な人間が増えている、という現象はまさに「進歩のパラドックス」ということができるのではないでしょうか?なんていってもコミュニケーションツールが増えることによって、逆にコミュニケーションが希薄、もしくは殆どコミュニケーション自体が取れていないという皮肉な結果になるんですから...

twitterは私もやっていまして確かに楽しいですが、非常に「ゆるい」コミュニケーションだけに表面的なコミュニケーションになりがちです。最近はメールやブログも「短い文章がよい」という風潮が広がりつつあり、確かにコミュニケーションのスピードはあがりますが、ますます人間同士のコミュニケーションが寧ろ希薄になる傾向が強くなることを懸念します。

まあ私のブログ記事は見てのとおり長いので有名ですが(笑)  やはりさまざな点を要点だてて、しかもわかりやすくそして議論も内容のあるものにしようと思うとどうしても長い文章になってしまいます。そんなの読めるか、という人もいるでしょうが、私はしかし決して長い文章は悪いことだとは思いません。

コミュニケーションが希薄で表面的だから思考する必要もなくなり、ますます「思考停止」「想像力の低下」に拍車がかかるのではないか、という懸念です。それを考えると最近の短いメールがいい、短いブログがいい、という風潮は私は必ずしもよい傾向だとは思いません。実際一時あれだけもてはやされたmixiのようなSNSですら今やあのようなありさまですから...

日本人は特に流されやすい国民性を持っていますから、twitterが流行るといったらみんなそちらに流れますが、コミュニケーションツールを使いながら人間同士のコミュニケーションがより密接になるように考えることも必要なのではないか、と考えます。

まあとにかく「思考停止」「想像力の低下」によって冒頭のようなタイプの人間が大量に発生してしまったというのは憂慮すべき状況ではないでしょうか? さすがに私も今回は疲れましたが、しかし一方で何人かの友人から「知らない人が多いからこそ音楽関連コミュニティ内での発言ではなく 日記の全体公開で発言するのは効果的だと思います。 大変でしょうが、個人的には諦めないで続けていただきたいです。」とか「非効率で疲れるのが 民主主義ですから。日記を公開したら7人の敵がいると思って冷静に持論を 持続的に展開して欲しい」という励ましのメッセージもいただきました。ありがたいですね。

まあ今は私の中でああいうバカに対する精神的な嫌悪感が強いので、再度同じことをやるには少し時間が必要かな、という感じもします。まあ著作権などの知財に関する啓蒙は必要ですからね。しかし私は業界では長く仕事をしていますが、そんなに有名人ではないのでどうせ啓蒙するのならもっとビッグネームの方に表に立っていただいた方がいいと思いますけどね。例えばYMOの四人目のメンバーといわれる松武秀樹さんとか、参院選に出られる庄野真代さんとか、 いずれも私の大先輩で個人的にもお世話になった方たちですが...

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2010年6月13日 (日)

著作権とネットの「技術革新」の間で

昨日の記事は結構反響があったらしく当ブログのアクセスもかなり上がりましたが、やはり著作権、知財の扱い方がネットの中で新たなメデイアがでて来た時に、結果として権利を侵害させる方向に云ってしまう点が問題だと思います。

勿論、既存の権利を保護する法体系がそうした新たなメデイアが現れるときに対応しきれていない、という面は確かにあると思います。

著作権が「技術革新を阻害」という議論をネットの中でよく耳にしますが、多くは知財に対する対価に対するシステムを全く考慮せずに、結果として権利を阻害する ことを正当化するような議論がよく見られます、驚くべき話ですが学識関係者にすらイノベーションのためなら著作権を犠牲にしてもかまわない、と受け取れる発言をしている人物がいます。

しかし技術の推進はソフトウエアや知財を使う以上、然るべき「手続き」を踏んだ上で行われるべきではないでしょうか? その然るべき「手続き」= 技術推進を阻害、という短絡的な議論がこういう新たな知財販売を論じる際に少々多すぎる気がします。

私は昨日の記事の例のように新たなメデイアの出現や電子化がけしからん、などというつもりは毛頭ありません。しかしそれらは著作者、権利者に対する対価の配慮ー上でいう然るべき「手続き」-が行なわれた上で推進されるべきです。

この記事でpdf販売している業者は全くそのような「手続き」を踏んでいません。だから問題なのです。

これからも新たな電子の商品形態が出てくることでしょう。それに対してソフトウエア、コンテンツビジネスの発展のためにどのようにすればいいか、これをコンテンツ関係者の中で連携して考えていく必要があると思います。

いずれにせよ著作物、知財等の権利が損なわれないようにしながら、新たなビジネスの発展にも結び付けられるようにしなければなりません。

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2010年6月12日 (土)

iPad向け、本の「格安」電子化業者ーこれはまずいだろう。収益を得ている時点でもはや「私的複製」ではない

■iPad向け、本の「格安」電子化業者が出現
(読売新聞 - 06月12日 06:45)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100612-OYT1T00069.htm

まず、ここに「著作権」というものに対するよくある重大な勘違いが潜んでいるので、指摘しておきたい。

>>業者は「個人が複製するのは合法。個人の依頼を受けて代行しているだけで、著作権法違反ではない」と主張する。都内の別の業者も5月末に営業を始め、2日間で200人以上の申し込みがあったという。

ここに2つの大きな問題がある。

1.「私的録音」の定義

そもそもこの業者は「私的複製」というものを全く誤解している。

「私的複製」というのは「自分が楽しむため」のもので、あくまで「自分が自分で楽しむための」複製なのである。自分以外の第三者が複製する時点でもはや「私的複製」ではないのである。

つまり友人に「君のCDのコピーをちょうだい」と頼むのは実は著作権法では違法なのである。同じように他人の曲を自由に第三者にダウンロードするのも違法、つまり違法ダウンロードになってしまう。

つまりこの業者がやっているのは「私的複製」でも何でもない、明らかに違法な複製にあたる。

2.「複製」したもので「営業」をしていること

そして何よりもその「複製」によって収益を得ている点が問題だ。当然著作者の許諾も何も得ず、pdf化したものを第三者に「販売」している。

これは「海賊版販売」と何ら変わらない。

この業者はもう一度「著作権法」を勉強しなおした方がいい。mixiのニュースのコメントを見ても「どこが違法なの?」などといって業者を「擁護」している人が少なくないようだが、第三者が著作者の許諾を得ないものを複製して他人に渡す時点でもう違法、そしてそれを販売するのは「違法複製」であり「海賊版販売」以外の何者でもない。

おわかりいただけるだろうか?

だからこの業者は「訴え」られなければならないのである。
読売新聞社ものんきに記事を書いている感じだが出版社の端くれなのだから、それがわからないはずはないのだが...

ちなみにこれが依頼主「のみ」であろうが、広く一般大衆向けの販売であろうが何ら関係ない。また裁断だろうが、全部であろうがそれも全く関係ない。

また「料金」は電子化の対価だからいいじゃないか、などという人がいるようですが、そもそも「著作物」があるから「複製」のニーズが出るのであって、その「著作物」の著作者に対して何の対価を支払うことなく収益を出ている時点でもはや「海賊版」と全く変わらないのである。

ちなみに対価を「複製の手数料のみだ」などというのは海賊版業者のいい訳の常套手段でもある。


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性描写規制改正案、都議会で否決の公算

性描写規制改正案、都議会で否決の公算

http://www.news24.jp/nnn/news89040516.html

こうなることはやる前からわかっていたのではあるまいか。どれが猥褻でどれが猥褻でないか、なんてものは明確に定義できるものではないし、こういう会議があってきちんとまとまったためしがない。何でも水戸黄門の由美かおるやドラえもんの「しずかちゃん」の入浴シーンがよくて他は駄目、なんという引用するのもバカバカしい議論が大真面目に論じられているなんてことが伝えられるが、はっきりいって時間と税金の無駄使い以外の何者でないし、当ブログの先 日の記事にも書いたがまさしく、滑稽である。しかもこの行為、滑稽だが全く笑えない。

詳しくは当ブログのこの記事を参照されたい

■都で議論されている非実在のわいせつ表現規制の滑稽さ
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/05/post-7e66.html

先日の記事に関連したことだが、その記事で首都大学教授の宮台真司氏が指摘しているように子どものレイプ被害者は激減しており、1960年と2000年の比率だと10:1ーつまり10分の1に減ってい る。年齢別でも減っていて、子供に対する性犯罪が増えているとか、子どもがどんどん被害にあっているとか、そういう事実は少なくとも日本ではまったくない。そういう情報が流れればウソ、煽りということになる

詳しくは

「ゾーニングの顔をした表現規制」「社会の自立の、行政による他殺」──宮台教授

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1005/20/news084.html

そもそもこの「児童ポルノ」の問題はヨーロッパのとりわけカトリックキリスト教原理主義勢力から発しており、彼らお得意の「価値観の押し付け」により、日本に対して圧力がかかってきたわけである。このキリスト教原理主義勢力というのは実に困ったもので、体質ははっきりいってカルト宗教に限りなく近いのだが、アメリカや欧米諸国の政府に対して多大な影響力を持っている。いまだに終わる兆しが見えないイラク戦争にしたって、そもそもこのキリスト教原理主義勢力が実質的にブッシュ政権を動かしたものである。

だからこういう主張に対してあまり日本は相手にする必要はないのだが、どうも「海外の圧力=黒船」であるかのように勘違いする体質が日本にある。だが、これが表現の自由を制限する可能性があるのはここでわざわざ云うまでもない。

石原都知事は飽きもせず再提出しようとしているはずだが、元々は作家だった(あるいは本人はもう呆けてそのことをもう忘れたのか?)当人が表現の自由というものに対して理解がないというのは、表現者の端くれとして情けなくならないのか、私は不思議でならない。

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2010年6月 7日 (月)

渋谷系(!?)の終焉ーHMV渋谷店8月閉店

“渋谷系”の聖地、「HMV渋谷」が8月中旬で閉店

http://life.oricon.co.jp/76976/

「タイトル」ではこう書いたが(!?)の文字がついているのは、そもそも「渋谷系」なんて言葉もレコード会社が勝手にキャッチフレーズとして出していただけであって、その定義は非常に曖昧なためである。一応ヒップホップベース系だという人もいるが、小山田さんの「フリッパーズギター」などはアコーステ イックだったりもするので、それは正しくない。結論からいって別に特定の音楽スタイルをさしていたわけではない。何となくイメージ(一応「おしゃれ」?)のみでそういっていたに 過ぎない。

そしてそもそもその「渋谷系」というものもここ数年は殆ど「死に体」である。

なぜみんなCDショップに行かなくなったか?

答えは簡単だ。行っても楽しくないからである。HMV渋谷J-WAVEのサテライトスタジオもあったので、まだアーチストとかに出会えるという 意味では他のCDショップよりはマシかもしれないが、品揃えをよく見ると近くのTowerとか、あるいは他のCDショップと殆ど変わらない。
コーナーに展示されているアーチストのCDも他のCDショップがコーナーに置いてある物と同じ。行っても何の新鮮味もない。捜しているCDを問い合わせても店員の応対もつっけんどん、ロクに調べもせず「わかりません」「ありません」なんていう答えが返ってくることが多い。
時々「てめえ、やる気あんのかよ」といいたくなる時も少なくない。

こんなことをいうと「昔がよかった論者」とか「オヤジのぼやき」とかいう人がいるだろうが、昔「レコード店」というのは新しい音楽を「発見する」 場所だった。新宿の「デイスクユニオン」では店長おススメのレコードを自らかけてくれて新たな音楽の発見にワクワクする経験があった。しかしいつの頃からか、こういう経験をする場所は殆どなくなってしまった。

音楽に関する新鮮な体験を提供できない、どこにいっても同じ品そろえ、店内で流れている音楽も同じようなもの、店員も何かやる気がない、-こんな 感じだからどこのCDショップも今閑古鳥が鳴いている。こんな店に行って楽しいはずなんかない。

何度もいうが今年は音楽業界が壊滅的な状況になるだろう、と予測している。レコードメーカーとCDショップという「運命共同体」が崩壊、さらにすでに頼みの綱であった配信ですら成熟すらしないで衰退し始めている。こんな中でのサバイバルが起きるだろう。

HMVはTSUTAYAに既に買収されたが、はっきりいってTSUTAYAとて安泰ではない。何といっても利益の元であるメーカーの販促費がもう 出ないのだから...

CDショップが今まで通りの営業方針にこだわる限りこの傾向は続く。どうせこのまま何もしなくても滅亡するのなら、いっそのこと一か八かで思い切って発想を変えた戦略を打ち出してみてはどうだろうか? このまま何もしないで沈没するのを待つか。それとも起死回生を狙った「何か」をするか? 私なら後者を選ぶ

そういう前向きの発想ができる人間は業界にもういないのだろうか?

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