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2010年4月29日 (木)

Mpeg2レベルの映像のダウンロードーこの状況を見てブルーレイなどいらないなどと誰が言うのか?

さて、弊社は音楽制作だけでなく「サウンドコンテンツ」の仕事もやっていますがその中でe-learning用のサウンドコンテンツ(ボイスオーバー)とFlashやwebの映像用のサウンドコンテンツの制作も行なっております。

本日はその映像用のサウンドコンテンツの制作で、映像のボイスオーバー(吹き替え)を行なう際、普通に原稿読んだら映像に合わない場所が出てきたため原稿修正のもので再収録をもう連休に突入したにも関わらず行ないました。

作業自体はすぐに終わりまして、ボイスオーバーの音声ファイルをFTP納品です。

さて、この仕事の際実は発注元から映像を毎回ダウンロードします。それもMpeg2の画質のもので
5分程度のMPEG2をダウンロードするだけで一時間以上かかりました。 うちは光ファイバー1GでMacのG5dualのパワーのCPUでもこれだけかかります。先日実は30-40分の別件のMpeg2映像ファイルをダウンロードしたら6-7時間かかりましたね。この様子だと映画一本(2時間)まるまるMpeg2でダウンロードしようとしたらどれだけ時間がかかるのでしょうか?

以前ITメデイアか何かの記事だったと思いますが、ある
ITジャーナリストこれから配信の時代だというのにブルーレイのような記録メディアにこだわる日本のメーカーは愚かで嘆かわ しいと発言したのを聞いたことがあります。
しかしそのジャーナリストはMPEG2レベルの画質の映画をダウンロードした経験があるのでしょうか? ブルーレイならば当然Mpeg2レベル(それもハイビジョン)の画像ですが。実際本当にダウンロードした経験があるのならそんな発言は出ないと思いますけどね。

 まあITジャーナリストの大半は今でもそうですが配信を絶対視する傾向がありますけど、音楽だってオンキョーのような24bitのハイファイ配信は例外として現行の環境ですとやはりmp3レベルの音質の配信が現実的。しかも音楽配信自体が売上が下がり始めてきていますから「音楽配信の神話」も既に崩れてきています。

まさかWindows mediaやYou tubeで配信されている画質がMpeg2よりすぐれているなどど、まさか云わないとは思いますが、どうも
ITジャーナリストたちの主張を見ているとそう思っているのではないかと勘ぐってしまいます。いずれにせよ配信があるからそれを持ってブルーレイは無用の長物などと決め付けるのは、いかがなものでしょうかね?

そういう点を見ても彼らの配信に関する、あえていいますが思い込みはいかに非現実的なものであるかといっていいと思います。

しかし配信に関する信仰は
ITジャーナリストという人たちがさんざん煽ったせいか、まだなくなった感じがしませんね。ブルーレイに関する動きが一向に盛り上がらないのが気になります。


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コンテンツビジネスの「価格」の意識の差

さて、いよいよGW本番ですね。天気もようやく温かくなってきましたし..

私も本日までサウンドコンテンツの制作がありましたがようやく連休(実際にはもう入っていますが..)を前にしてメドが立ちました。

さて、音楽業界がこういう状況ということもあり前々から申しあげていましたが音楽制作業から「コンテンツのコンサルテイング」へ事業の軸を動かすべく活動しています。実は最近、ここである「ギャップ」に大きく悩んでいます。

まあIT系の人に限らず、ハードの世界からいろんな人まで「コンテンツは重要だ」と建前論も含めて皆さんそうおっしゃいます。
じゃあ「どの程度」重要だと思っているのか、その「コンテンツ」どのくらいのコストを支払うのか、という点を聞くと実は耳を疑う答えが返ってきます。

答えは「タダかタダ同然に安く..」

ってそれって重要だと思っている人の答えではないと思うのですが...

まあそこまで行かない場合でも見積もりの段階でたいてい認識が違う場合が多いですね。

まあ見積もりの金額で先方が考えている金額と一ケタくらい違う、なんてことはしょっちゅうですね。
まあ二十万を十七万くらいにしろ、というのならまだ交渉の余地がありますが、十万を一万にしろ、っというのはいくらなんでも飲めないですね。

まあたいていの場合そんな感じです。お客さんが考えている予算の方が多かった、なんて例は正直いって殆ど記憶がないです。

これって何なんですかね? 我々コンテンツ屋の仕事ってそんなに簡単に安い値段でできるように見えるんでしょうか? コンテンツなんて簡単にできる、誰でもできる、何かそう思っているとしか思えない人が少なくないです。

というわけでコンテンツのコンサルテイング、まだまだ道は険しいですね。本当にこういう会社が多いです。

とにかく我々はコンテンツー特にサウンドコンテンツに付加価値を付けて、新たな可能性を探ろうと思っています。

1.立体音響ソリューションページ 
 http://www.hybridmusic.jp/3Dsounds.htm

弊社代表はヒーリング音楽の「サイコジェネシスシリーズ」の制作を進めていた頃に3Dによる立体音響のレコーデイングを多数導入しておりました。

具体的には

1.RolandのRSS 3Dサウンドプロセッシングシステム

2. ダミーヘッド3Dプロセッシングシステム(アーヘナコプフ)

それを使った音響のデモを弊社ホームページにアップいたしましたのでご試聴下さい。

http://www.hybridmusic.jp/3Dsounds.htm

また弊社代表は以前博覧会の展示映像用のサウンド制作の経験もありドルビーサラウンドによるサラウンド制作の経験もございます。そちらのデモに興味 のある方はお問い合わせ下さい。映画「アバター」の影響もあってか立体音響に 対する関心が高まっておりますのでお気軽にご相談下さい。

2.サウンドデザインソリューションページ 
 
http://www.hybridmusic.jp/sounddesign.htm

弊社代表はかつて某有名遊園地のホラー館のサウンド演出をしたことがございます。(最近気づいたんですがwikipediaにもそれが載っていまし た)その関係で通常の音楽のみならずサウンドデザインー音楽、音響による空間演出の分野の仕事も可能です。

弊社関連会社のD-LOOPとともに、コンテンツ のみならずハードのシステム設計まで行なうことが可能で、施設関係の音響システム+コンテンツに関していかなる状況にも対応可能です。

株式会社D-LOOP  http://www.d-loop.co.jp/

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2010年4月25日 (日)

音楽業界衰退の原因は「音楽の消耗品化」が主原因

さて、今週はゴールデンウイーク前の最後の週となります。今週は「連休前に打ち合わせを」もしくは「連休前に作業終了」という案件が多いため月曜日からびっしりスケジュールが詰まっています。まあありがたいことではありますが、基本的な問題は何ら解決されていませんので、今年から本格化しているさまざまな動きも止めるわけにはいきません。その案件も含め連休前にやらなければならないことが多いので、スケジュールがびっしり状態になってしまったわけです。

既にHMVの買収や新星堂のリストラに始まり、音楽業界の大カタストロフィが始まりつつありますが、これはまだまだ序の口、もっともっとショッキングなことが起きるでしょうね。

さて、この原因の1つに音楽の違法コピーの件があることは確かではありますが、昨今の状況からCDが売れなくなった原因は音楽配信である、という説もどうも違うことが判明しました。 しかし先日の記事にも書きましたが問題はCDのパッケージが高い、とか音楽配信がどうか、とかいうのは単に表面的な問題に 過ぎずそれはコンテンツに魅力があるかどうか、ということが先決なのではない か? という気がしています。つまり今メジャーレコードが本当にユーザーにとって魅力的であるというコンテンツを供給していない、ということの方が大きい のではないか、という気がしています。

実は今日本の音楽業界で「音楽を文化として..」とか「音楽は芸術である」などと云おうものなら罵倒と嘲笑が待っています。してその傾向は年々強くなっています。「音楽は売るもんである」という方針からレコード会社によっては「音楽を理解している人間がデイレクターになってはならない」などという方針を打ち出している会社もあるくらいです。その結果、「売れセン」の傾向の音楽以外は受け付けず、「売れセン」二番煎じ、三番煎じが出すそしてそれがマーケテイングだなどという大勘違いを業界全体で行ってきたという点。その結果「音楽の消耗品化」が徹底して行なわれ 短絡的な「似非マーケティング」「似非ブランディング」が行なわれました。

その結果どういうことが起こったか? どこのCD店も「同じような」商品しか そろえていないし、テレビもラジオも「同じような」音楽しか鳴らなくなってしまい、その結果消費者離れが起こってきた。というのが本当の原因のような気がします。

CCCDがどうのこうの、音楽配信がどうのこうの、CD等のパッケージは時代錯誤だなどという観点は音楽文化の単に表面的な部分しか見ていない観点であり、実は音楽業界衰退の本質的な問題とは無関連とまではいわないにしても、根本的な原因ではないのではないか? と最近思うようになりました。 

だから、私は声を大にしていいます。

音楽は消耗品ではない。 文化である。

音楽業界が今日のような状況になったのは、音楽を「消耗品」にしてしまった音楽業界自身の責任である。「音楽を文化として..」とか「音楽は芸術である」というと罵倒か嘲笑をする体質それが原因だと思います。結果的には自分で自分の首を絞めていたことに殆どの人間が気がつかなかったのです

とはいえ、いわゆる「メジャー」系のレコード会社、音楽事務所の思考の硬直化はもはやいかんともしがたい状況です。はっきりいいますがこういうところはいっそのこと全部つぶれてくれた方が音楽文化のためかもしれません。(もうこの段階になったら媚を売る必要もないのではっきりいいますけどね) 

まあ実際の結果はわかりませんが、いずれにせよ今年から来年にかけて音楽業界、CD業界が壊滅的な状況になるのは避けられないでしょう。寧ろこれを音楽文化再生のための好機と考えた方がいいかもしれません。

とにかく私は他人が我々について何をいおうと我道を行くだけです。



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2010年4月19日 (月)

新星堂もついに大幅リストラー社員4割の退職募集、給与3割カット 

社員4割の退職募集、給与3割カット CD販売の新星堂
http://www.asahi.com/business/update/0416/TKY201004160537.html

もう土曜日の記事だが、先日のHMVのTsutayaの買収のニュースは記憶に新しいが、ついに国内で最も多くの店舗数を展開している新星堂も大幅リストラを発表。全社員の4割に当たる185人の希望退職を募集すると発表した。残る社員についても月額基本給の平均3割カット。経営責任を明確にするため砂田浩孝社長の月額報酬を65%カットするなど、役員報酬も減額する。

昨今のデータから見て音楽配信が出たからCDが売れなくなった、というのはどうも違う可能性がある。昨年までのデータを見ると一見そのように見えるが実態はどうも違う。だからここではあえてそういう話にしない。なぜならCDも販売減だが同時に音楽配信も頭打ち。詳しくはこちらをご覧下さい。

もはや「音楽配信」がCD等のメデイアに取って代わるというのは幻想に過ぎないhttp://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2010/03/cd-5fdf.html

おそらく今年はこういうニュースが増えると思うが、だが一方ではAmazonの 売上が伸びていることを考えると必ずしも「音楽」の需要が落ちているとは決して思わない。

やはり昨日の記事でも書いたように「売れセン」のものだけを置いてどこのCD店も「同じような」商品しかそろえていない、CDショップに行っても楽しくないということが大きいのではないだろうか? 

それにCDショップ側も今まだメジャーメーカーの販促費でかなりの利益を出してきたという体質もある。しかしもうメジャーメーカー、販促費すら満足に出せなくなっている状況である。それをあてにしていたレコード店には壊滅的な打撃を与えるだろう。

今年の音楽業界のカタストロフィ、まだまだ始まったばかりである。

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2010年4月18日 (日)

サウンドコンテンツ業者として生き残るための心得

さて何度も書いていますように今年は私にとっても大事な年であると同時に、おそらく音楽業界自体が激動すると思います。私が以前の記事で「音楽業界の現状と将来、そしてある取るに足りない者からの業界への提言」という記事を四年前に書いたときは業界からの私に対する反応は脅迫めいた圧力、嘲笑、罵倒だったのですが、ここまでひどい状況になっても彼らの考え方は変わっていないのでしょうかね? まさかまだ音楽業界は繁栄している、とこの段階でも思っている人はいるんでしょうか? ちょっと聞いて見たい気がします。

音楽業界の衰退は実は数字上は1998年から始まっており、それがほぼインターネットが普及し始めた時期とほぼ一致するため、音楽業界の衰退はネットの影響などということがよく言われてきました。

確かに違法コピーYou tube経由のmp3違法ダウンロード等は目に余るレベルにはなっているのは事実ですが、どうも私は衰退の原因は本当にそれだけなんだろうか? という疑問がぬぐいきれません。それに音楽配信が出てきたからCDが売れなくなった(あるいはパッケージ自体がもはや無用の長物である)、というのも昨今の音楽配信の頭打ちから減少の傾向を見るとどうもそれも違うぞ、という気がしています。

問題はCDのパッケージが高い、とか音楽配信がどうか、とかいうのは単に表面的な問題に過ぎずそれはコンテンツに魅力があるかどうか、ということが先決なのではないか? という気がしています。つまり今メジャーレコードが本当にユーザーにとって魅力的であるというコンテンツを供給していない、ということの方が大きいのではないか、という気がしています。

メジャーレコードではだいたい90年代の中頃からいわゆる「売れセン」などという言葉が出現し、ラップが流行れば他社もラップのアーチストを出す、ユーロビートが流行れば他社もユーロビートを出すという、まあ日本人特有の「横並び」的なマーケテイングを行ない始めてきました。その結果どういうことが起こったか? どこのCD店も「同じような」商品しかそろえていないし、テレビもラジオも「同じような」音楽しか鳴らなくなってしまいました。

つまりあるメーカーであるジャンル、スタイルの音楽がヒットするとその「売れセン」二番煎じ、三番煎じが出る、ということを繰り返してきた。そしてそれがマーケテイングだなどという大勘違いを業界全体で行ってきたのが現在の状況を作っているとはいえないでしょうか?

実際どこにでもあるようなCDならわざわざCDショップまで行かなくてもアマゾンや配信で事足りるし、それだったらわけのわからない新人よりは少しは名前のあるアーチストに流れるのはごく自然な流れでしょう。

ちなみに音楽業界がこの世の春を歌っていた1990年代初頭は、ある傾向の音楽が受けてもそれと全く別の傾向の音楽も流れていました。そういう傾向がいつのまにか忘れられてしまったという気がします。

要は業界全体が頭を使わない、思考停止の状態で現在になってもそれがまだ続いている、ということができます。

これは作る方の問題、あともう1つ問題があるとすればそれは「音楽ジャーナリズム」崩壊が揚げられるでしょう。昔は渋谷陽一さん、中村とうようさん、山岸伸一さんといった骨のある音楽ジャーナリストが、時には同意できない見解を見ることがあっても、彼らの音楽コラムはそれなりに健全な「音楽ジャーナリズム」を支えていました。しかし最近の音楽評論家、芸能記者は殆どメーカーやプロダクションのお抱え的な存在となり「批評」が衰退させられていったという現状があります

つまり市場の拡大とともに、音楽の消費財化が進んで、 メーカーが、メディアの言説のコントロールを強化。 「俺たちのいうことだけ書けばいいんだよ」と。 短絡的な「似非マーケティング」「似非ブランディング」が行なわれました。当然のことながらこういう記事ばかりですと雑誌の言説がつまらなくなり、それが音楽雑誌の衰退そのものに繋がっていったように思います。

それによって消費者もどの音楽を選んでいいかの選択をすることが難しくなり、自ら音楽を選ぶという労もしなくなったように思います。こういうと「昔は良かった論者」に思われるかもしれませんが、我々の世代はレコード店でそういう音楽を探すという行動をしていました。そしてそれが結構楽しかったんですね。

よって「売れセン」の横並び化と、消費者が音楽雑誌等からの「確かな」情報を選ぶことの難しさ、それらによる各アーチストの「差別化」の難しさ等も原因の1つになっているように思います。

とにかくそういった点からサウンドコンテンツ業者として生き残るためには次のことを心がけようと考えています。

1.まず「売れセン」という概念を捨てること

2.制作するコンテンツ、アーチストをいかに「差別化」させるかということ。

3.そしてそのコンテンツにいかに付加価値をつけるか、ということ

今インデイースのアーチストを見ると以前のインデイースと比べても非常にレベルは高いです。ある分野では少なくとも音楽のクオリテイではメジャーと完全に逆転しています。しかし「歌がうまい」「曲がいい」アーチストはいっぱいいます。その中から頭一つ飛び出すにはそれプラスアルファの「何か」が必要です。

とにかく日本人特有の何でも「横並び」的な体質も音楽業界の衰退の一因になっているような気がしてしょうがないんですね。

そもそも「売れセン」などは業界の連中が勝手に思い込んだものに過ぎない、ということにいい加減気がつくべきではないか、と思うのですが...

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2010年4月14日 (水)

インターネットプロモーション戦略の見直し

さて、当ブログをよく読んでくださっている方は私がアーチストに関してのロングテールなマーケテイングや「癒しの音楽チャンネル」というネットラジオ等でインターネットプロモーションに関してさまざまな試行錯誤をしてきたことはご存じだと思う。

もう4年前の記事になる「音楽業界の現状と将来、そしてある取るに足りない者からの業界への提言」はいまだにこのブログのアクセス数のダントツになっているが、正直いってこの記事を書いた当時はインターネットの持つ可能性に大きな期待をもっていたし、ネットの中に渦巻いていたインターネットが世の中を変えるという可能性も視野に当時は入れていた。

しかし「可能性」は結果としては大きな期待はずれに終わったのは確かである。先日もウェブはバカと暇人のもの (光文社新書) を書いた中川淳一郎 さんの新著「今ウェブは退化中ですが、何か? クリック無間地獄に落ちた人々 (講談社BIZ)」 を読んだが、ネットは確かに便利なツールではあるけど、「本を読まない、想像力のないバカで暇人」によって著しく情報の質が落ち、「暇人」たちの気に食わない言論を「攻撃する」ことによって言論封鎖を行なう、という意味でははっきりいって危険な空間ー恐怖社会に近いーになってしまっている。何よりも「今 ウェブは退化中ですが、何か? クリック無間地獄に落ちた人々 (講談社BIZ)」を読んだときにコンテンツ屋としてネットにコンテンツを流す、という面では絶望的な感じすら受けてきた。(ちょっと今度のは前回以上に口汚いのが気になるが..)

ひとことでいっていまだにネットの中に根強く存在する「ネット万能論」というのは全くのナンセンスであり大嘘である。実はよく見ると「ネット万能論」を唱えているのはITジャーナリスト(IT企業家含む)とどちらかというと「バカで暇人」の2種類だということがわかる。普通にネットユーザーとしてさまざなツールを使っていれば、彼ら「ネット万能論者」の主張がいかに非現実的であるかはまともな知的水準を持っている人ならわかるはずだ。

この中でITジャーナリスト「ネット万能論」を唱えるのは仕方がない。彼らはそれが仕事だからだ。実はITジャーナリストの大半は「スポンサー」がいてその「スポンサー」を代弁するのが仕事だからである。ジャーナリストが雑誌や新聞の原稿料だけで生活していくのは不可能に近い。原稿料など微々たるものだからだ。ジャーナリスト活動をする場合、たいていの場合は別の仕事があるか、「スポンサー」の代弁者となるか、あるいは先日犠牲者が出てしまったがフリーカメラマンもかねてアフガンやタイのような「大手会社が派遣できないような危険地域」に自ら潜入して取材するか、3つのうちのどれか1つを選ばないとジャーナリストとしては生きていけない。これがジャーナリストの現実である。

3つのうちの一番最後は生命の危険を百も承知の上でやるわけだから、私は心から敬意を表するが(それでも相も変わらず「自己責任」とか「国民に迷惑をかけている」などとバカをいっている救いようのない人間が多いのは呆れるが..) しかし3つの中の二番目の例ー実はこの例が一番多いのだがーこういう連中が世論とかに影響を与えているのが問題で、「ネット万能論」がこれだけ真実であるかのように広まったのも彼らの「功績」である。彼らは例え嘘だとわかっていても「スポンサー」の意向で「ネット万能論」を語らざるを得ないのだ。それで生活しているのだから.... だからITに限らないがジャーナリストの主張を鵜呑みにするというのは非常に危険なのだ

一方ネットで「ネット万能論」信奉する『ネット教信者』は中川さんが指摘しているように「バカで暇人」もしくは「B層」といわれている人たちではないだろうか? ちょうど「ホリエモン」は社会の改革者であることを無邪気に信じ込んだ人たち、あるいは竹中や小泉の「新自由主義」が自分たちを豊かにする、という何の根拠もないことを信じ込んだ人たち。たぶん「ネット万能論」信奉する人たちの大半はこの2つの説を信じ込んだ人たちではないだろうか? 

まあ「バカで暇人」についてはその辺にしておこう。要はインターネットというのは安くて便利なツールである。それ以上でも以下でもない。だからネットプロモーションについては以下の考え方でじゅうぶんである。

1.安価で告知はできる。しかし一部の分野(オタク系、B級ネタ、Hネタ等)を除きたいていの場合はサブカルチャーレベルまでのプロモーションがせいぜいである。

2.ネットで自由にダウンロードできるようにすることは「プロモーション」にはならない自ら進んで権利を捨てるようなものである。

3.ネットでは一部の分野(オタク系、B級ネタ、Hネタ等)を除きマスに対するマーケテイングはできない。但し企業間取引、一対一の取引なら非常に有効なツールである。ネットはパーソナルなメデイアであってマスメデイアにはならない。よってネットがマスメデイアを凌駕するものにはなりえない。

4.ネットで告知してもイベントの動員にはつながらないことが多い。

5.ネットで情報を流す場合、少なくとも自社内の情報のコンプライアンスは厳しすぎるくらいでちょうどいい。MIAUがこれに対して何と言おうが個別の会社の方針に口を出す権利はないはずである。

これを見て私の音楽業界の現状と将来、そしてある取るに足りない者からの業界への提言」の時代からネットに関する考え方が大きく変わったことがおわかりだろう。残念ながら5年間あらゆることをやってきた結論がこれである。

ネットは確かに安価に告知はできる。たいしたレベルではないが情報は発信はできる。しかしそれ以上のものではない。過剰な期待はかけられない。 これが結論だ。

だから別の話題性等の「リアル」な仕掛けが必要である。結局「リアル」の部分を主にしないど駄目なのである。


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2010年4月 6日 (火)

とんでもない昔の仕事で私の名前がwikiに載っていた。

実は最近気づいたんだけど私の昔の仕事で私の名前がwikipedia.に載っていることがわかった。年がわかっちゃうけどもう四半世紀の前の仕事。当時 はある制作会社のサウンドクリエーターとして働いていた。

その仕事は「富士急ハイランド」のホラー館である"ショック119" そして一年後には"スリラー館”の仕事も行なった。

当時はまだペーペーといってよく、ちょうど当時の東芝EMIからあるバンドのキーボードとしてメジャーデビューするかどうかの矢先だった。メチャクチャ忙しかったのだが、そんな中での仕事。どうせやるのならとにかく「メチャクチャ恐い音を創ろう」ということでさまざまな実験的なサウンドに取り組んだ。「癒し系」というイメージが強い私だが実はこういうホラー系のサウンドを作るのも結構得意だったりしている。(実はかなりこういう音創るのが好きだったりする(^^))
別に不思議なことではない。要はホラーは癒しの逆をやればいいだけのことである。だから「癒しサウンド」が得意な私がホラーサウンドが得意というのは寧ろ自然なことだろうと思う。

実は富士急ハイランドは割りと縁がある。10年前に行なった「戦慄の閉鎖病棟」のショートフィルムと館内の展示映像の音楽も富士急ハイランドの仕事だった。しかし"ショック119"は今でもファンの方の中では「メチャクチャ恐かった」お化け屋敷として記憶されているらしい。結構スプラッター系で救急隊員が電気のこぎりで襲いかかる、といった内容だったように記憶している。

詳しくは富士急ハイランドの「過去の施設」の中のショック119の項をご覧下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E6%80%A5%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

   

* 恐怖のスリラー館(1986年 - 1995年?月)

    2人乗りの車椅子を模った乗り物で館内を巡るスリラーハウス。ショック110とショック119の二種類がある。外観は宝箱に剣が突き刺さった形であった。 ショック119では交通事故の恐怖を、ショック119では恐怖の人体実験の様子を体験できた。ショック119のBGMは作曲家の大野恭史氏が作成した。


それにしても私ごときの四半世紀も前の仕事を一体誰が覚えていてくれたんだろう?

http://www.hybridmusic.jp/sounddesign.htm

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2010年4月 4日 (日)

仕事仲間が減っていく...

私の長年の仕事仲間で映像会社のプロデユーサーをやっていた仲間で、普段は温厚でおとなしい人間なのだが、それにも関わらずハードロック、ヘビメタ関係が好きな友人がいる。(L.Zeppelinのジミーページが好きなことからみんなから「地味な」ページ君といわれていた)昨日、その友人の最後のライブが西荻窪の某ライブハウスでやるというので見にいった。

お互いまだペーペーだったころからのつきあいで、この友人との仕事は私の仕事のキャリアの中でもかなり重要な仕事がある。それだけに多くの思い出もあるのだが、来月長年いた映像の制作会社をやめ、何と屋久島に移り住むという。

彼としてはいろいろ考えてあげくの決断だろうが、映像の世界も音楽と同じく売上が右肩下がりの状態となりここ十年近く殆ど給料は上がっていないという。そしてリストラの嵐も強い、という点では音楽業界と同じ。結局彼はこの業界に見切りをつけたらしい。屋久島では何と自給自足の生活をするという。

同時に彼との話で同じく長いつきあいのゲームプロデユーサーも長年いたゲーム会社を退社していたことがわかった。ゲーム会社もごく一部のものをのぞいてきついのだ。

音楽のみならずコンテンツ業界全般の厳しい現実である。

私は残念ながら基本的にはこの世界で生きていくしかない。しかしそれでも音楽関係のみの売上ではやっていけないことはわかっているのでさまざまな対策を取ろうとしている。今ホームページの更新作業も、新規事業や新規マーケットに活路を見出そうという観点から始めている。現在進めている案件がこけても、まだ踏みとどまるために第二、第三のセーフテイーネットを作るという意味もある。

全てのコンテンツはただであるべきだもっといえばコンテンツに金を払う奴はバカだ。 そんな考えがあたかも正論であるかのようにはびこっている限りこのビジネスモデルの崩壊は止まらない。例え理屈の上ではそれが暴論だとわかっていても、一部のおばかな人間がそれを吹聴するだけで、そういう雰囲気がネット内で広がってしまう。コンテンツ産業にとってはそれだけで充分すぎるほどのダメージなのだ。

それが結果的に多くのかつての仕事仲間が去っていく原因にもなっている。
自分はそうならないように、これから死に物狂いであがくことになるだろう。
それを悪あがきとか、もがきとかいう人がいるかもしれないが、自分はそれしか選択肢がない。


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