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2009年11月16日 (月)

被害を受けている音楽の権利者がなぜ非難されなければならないのか?

さて、私の以前の記事

1. 違法コピーが音楽業界衰退の原因ではないと誰がいったのか?
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2009/10/post-4c4f.html

あるいは

2. あえて改めて世の中の人に問いたい!!  音楽は世の中にとってもはや不要なものなのだろうか?! 
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2009/10/post-29ca.html

これに関して上記1.の記事で一般消費者と称する人たちから次のような反応が帰ってきたことに触れました、

一般消費者と称するSさん

「権利や知財についても一消費者でしかないので詳しくはわかっていませんが、既にP2P共有ソフトなどが蔓延している今現在でも、売れるものはしっかり売れていますよね。

ある程度制作側の権利を蔑ろにする要因の一つなのかもしれませんが、今現在を見ていると(違法コピー)それが致命的なものだとは考えられないんです。」

一般消費者 Hさん

「音楽業界は衰退の責任をネットばかりに押し付けていて不愉快だ。違法コピーはあるにせよ、それが業界衰退や崩壊につながっているとは到底思えない」

実はこのようなケースはこれだけでなく、以前私が別のSNSの掲示板に同じような内容のコメントを書きましたが、結果は袋たたきでした。要は「被害者意識を丸出しにするな!」とか「ネットのせいにするな!!」といった内容の反応ですが、なぜ実際に被害をこれほどまでに受けている我々がこんなにも非難されなければならないのか、正直納得がいきませんでした。そしてこのようなケースは私だけではありません。

そしてよく考えてみるとこの構図、どこかで見たことがあるな、と思いました。そうです、昨年の「自己責任論」に基づく派遣村バッシングのあの構図と同じだと思いました。行政もストップする年末年始の寒空のなか、仕事も住む所も失った派遣村の労働者というもっとも弱い立場の人たちに「自己責任論」をふりかざして攻撃する、あの構図です。要は「被害を受けるのも自己責任じゃないか」という発想が根底にあるような気がします。

私は別のブログ「自己責任論」があまりにも安易に使われすぎているということを以前述べましたが、その安易に使われている「自己責任論」で社会より自分に怒りが向くように政府、財界そしてマスメデイア(あえて名指しさせてもらうが、みのもんたのようなタレントを始めとする)より刷り込まれてしまっているといえます。「社会のせいにするのは弱い人だ」とか、「問題をすりかえる人だ」というような言説があたかも正論であるかのようにまかり通ってしまったという実態です。

そして、どんなに理不尽な要求であっても、企業が要求してくることを、とにかくこなしていかないとという強迫観念が植え付けられ法的レベルで労働者の権利や雇用する側の義務が定められていたはずの雇用が、事実上、奴隷的な労働にさえ至っているケースも少なくありませんでした。そういう社会への異議申し立てを妨げてきたのが「自己責任論」です。

この「自己責任論」は何かの行動をとった場合、さまざまな原因と責任がもたらしたものを、結果をもたらしたすべての原因に対して本人が責任を負うべきだという話にすりかえてしまっており、これはいかなる結果や社会の問題にしても「自己責任論」を持ち出すことで、自分は「許されている」、自分には責任はない、免責されているという面があるように思います。当事者の自己責任になるわけですから、自分は何もする必要がない、心を痛める必要もない。そうやって自分は何もしないことが正当化されるわけです。実は、そういう問題に自分が関与している、場合によっては貧しい人を追い込んでいるかもしれないのですが、その「自己責任論」によって自分は免責されているような感じになってしまう。音楽の不法コピーを始め、派遣村にいかざるを得ない人たち、社会的に弱い立場に立たされた人たちに対し、何もしない。関心を抱かない。そして何より心が脅かされないことを自己正当化したのです。

だからこそ被害の実態を知らせる内容の記事やコメントに対しては過剰なまでに反応してしまう、なぜならそうしたコメントは罪悪感を思い起こさせるためだからでしょう。社会的に弱い立場を追い込む側が、自分の罪障感を感じないようにするためにしがみつく「自己責任論」と表裏一体で対応しています。つまり、自分たちが歩んできたし、それに乗ってきた競争的な社会構造が、若者に生きづらさをもたらしていることをどこかで自覚しているのだけれど、そこを直視してしまうと、自分たち自身のそれまでの人生や生き方をも否定してしまうことになるから、それはできない。その結果、「若者」や「フリーター」を始め社会的に弱い立場の人たち、新たなシステムによって「被害を受けた人たち」を過剰なまでに攻撃し、本人の責任という形で責めつづけるわけです。

上記の一般消費者のHさんは私が携帯の不法コピーの実態のデータを示したら、「そんなの嘘に決まっている」という理由でそのデータを見ようとすらしませんでした。態度としては感心しませんが、要は「本当の現実」を直視することに耐えられなかったんじゃないでしょうか?(Hさん、反論があるのならどうぞ!1)

このメカニズムを鋭く分析した本がありますので紹介しましょう。

                湯浅誠著『反貧困~「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)

昨年の「派遣村」の件も含む、ワーキングプアその他の状況を的確に分析した本です。読んで損はない本です。

勿論上記のような行動を取る人たちは必ずしも社会の多数派ではありません。例えばインターネットの論調を見ると日本の右傾化が凄まじいかのように錯覚してしまいますが。大阪大学大学院人間科学研究科准教授の辻大介さんの最近の研究ですとネットの特性とは関係なく、ごくごく少数の人間がネット上で突出して暴れているだけだということを実証しています。
http://d-tsuji.com/paper/r04/index.htm (ページに報告書のPDFファイルがダウンロードできるようになっています)

したがってこのような安易な「自己責任論」を持ち出し、社会的弱者や新システムによって被害を受ける人たちへバッシングする人たちーいってみればB層の生き残り、といういいかたもできるわけですがーも社会的には多数派ではないと思います。実際小泉ー竹中の新自由主義路線を支持する人間が本当に社会の多数派であれば前回の選挙で民主党があれほど大勝しなかったでしょう。

問題は「ネット右翼」やこうした「B層の生き残り」、が暴論をばらまき、社会的な多数派ではないにもかかわらず、あえていわせてもらいますが身分不相応の発言力と影響力をもってしまった点が問題といえると思いますこういう人たちはネットの情報の質を著しく落としているのは確かなので、彼らの発言力は削ぐことは考えた方がいいかもしれません。(具体的な方法としてはスルーする、つまり無視することです) 

とにかく被害を受けている人間が不当に非難される、こんな不条理なことがあってよいはずがありませんから...

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