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2009年9月23日 (水)

あえて問う!! 次世代パッケージの形を語ることは本当に時代遅れなのか?

始めにお断りしておくが、私は配信を否定するつもりは毛頭ない。既に配信の是非云々を論じる時代はとっくに過ぎておりこれは今後のコンテンツビジネスの中で大きな位置を占めることを疑うものではない。それどころか音楽の面では私は日本発のビジネスモデルである携帯の「着うた」に関しては寧ろ評価している。欧米ではこれが商品になるという発想すらなかったこのビジネスは「リングトーン」としていまや海外が日本の動きに追従する動きを見せている。この点に関してはなぜか日本のITジャーナリストや経済学者が頑強に評価することを拒んでいるが、海外では日本のこのビジネスモデルを高く評価している点は不思議なほど日本では殆ど伝わっていない。

無論、「着うた」は音質という点ではお話にはならないのは事実だ。しかしだからといってmp3の音質だってCDの音質に比べればひどいもんである。(驚くべき話だがいまだにCDとmp3が同じ音質だと思っているITジャーナリストや経済学者が驚くほど多い彼らの音質への感性や、理解力はその程度なのか、と疑ってしまう

多くのITジャーナリストや経済学者は配信こそが未来のメデイアであり、「モノ」のメデイアではありえない、と論じている。一例として以下のようなコラムがある。

東芝のHD DVD撤退は「朗報」──パッケージメディアの終わりの始まり (ASCII 記事ー池田信夫(経済学者)

http://ascii.jp/elem/000/000/108/108890/index-2.html

もともとIT系の論客たちは「モノ作り」「コンテンツ作り」旧態依然の産業と決め付け、最初から見下す傾向がある。正直このコラムはエンタテインメント産業を表面的な形でしか見ていない典型的な議論である。

例えばコンサートや映画での映画の舞台あいさつとかの現場をこの人たちは見たことがあるのだろうか? コンサートではCDを会場で買ってアーチストにサインしてもらう、そして握手をしてもらう、それがこうしたイベントの中で最大のファンの楽しみになっている。CDやその他のグッズの存在そのものを否定することは、ファンからそういう楽しみを奪うのと同じことである。

また「モノ」があってこそファンはアーチストや映画、コンテンツ等に愛着がわくのであり、一方では配信のデータは便利ではあっても、流行りが終わってしまえば以外に消費者は簡単にすててしまったりしている。私はこのブログで「音楽も映画も文化であってただのファイルではない」と繰り返し論じているが、やはり「データ」のみだとそのことに対する実感がわかず、コンテンツに対する愛着もわかないという点は否定できない。

おそらく池田氏を始め「配信を絶対視する」人たちは特定のアーチストや映画コンテンツのファンになった経験がない人たちであろう。一度でも自分たちを夢中になるコンテンツのファンになった経験があれば、CDやDVD, ブルーレイ等のメデイアを含め、Tシャツやフィギュアに至るまで、ファンの心をつかむためには「モノ」が必要であることがわかるはずだ。しかし「配信を絶対視する」人たちは配信以外のあらゆる「モノ」の存在は時代遅れどころか時代錯誤であり、不要なものであると主張しているように聞こえる

はっきりいってエンタテインメントの仕事をしている我々からすれば、こうした特定のアーチストや映画等のファンになった経験がないと思われる人たちがこれからのエンタテインメントの形についてマスメデイア等で論じていることに大きな疑問を感じざるを得ない。あえていうが配信さえあればあとはいらない、とか配信のみがこれからの産業のありかたである。と主張しているのはエンタテインメント産業の中身を表面的にしか見ていない証拠である。

しかしだからといってCDという商品の形がよいということではない。そもそもCDの仕様は44.1KHZのサンプリング周波数、16ビットというデジタル草創期の仕様である。現在のレコーデイング現場ではサンプリング周波数96KHZ, 128KHZが当たり前になりつつあり、マスタリングもシングルビットのマスタリングが主力になりつつある。こういう時代にCDの44.1という仕様がもはや時代遅れであることは明らかである。そのためにはCDに取って代わるより高音質のメデイアが必要なのはいうまでもない。

ちなみに音楽配信だが現在の環境ではmp3のレベルの音質、映像もウインドウズメデイアレベルの画質でしか配信できない環境であり。何度も書くが現行のCDやDVDと比べればはるかにクオリテイが落ちる形式である。このレベルのクオリテイしか配信できる環境しかないのに、この形式のみを絶対視する理由がわからない例えていえばMDという新しいメデイアができたからCDよりMDの方がいい、といっているようなものである昨今1G環境の光ファイバーが普及し始めているが、パソコンの環境がそのネットワークを生かしきれる環境に追いついていないのが現状である。せめてCDなみの音質のwavかDVDと同じ画質のmpeg4レベルのクオリテイ配信が当たり前になっている環境において、配信のみがこれからのコンテンツ産業の唯一のありかたと論じるのならまだ理解できる。ITジャーナリストや経済学者の視点からはこの部分が全く抜け落ちているとしか考えられない。

1つ大きな問題はもう忘れかけているSACDやDVD-Audio そして最近発表されたBlue Spec CD等が一向に定着するように見えない点である。産業界も配信のみがこれからのコンテンツ産業の唯一のありかたという風潮を見るに着け、本格的な拡販に踏み切れないのであろうか? アナログのLPからCDはあっさり切り替わったが、それ以降はなかなか進まない。だとすればこれは次世代のオーデイオソフトにとって非常に不幸なことである。

今一度改めて問いたい。次世代パッケージの形を語ることは本当に時代遅れなのか?、

困ったことに配信のみがこれからのコンテンツ産業の唯一のありかたと論調が経済産業省や総務省、そしてネット全般にあたかも正論であるかのように伝わっている。そのことを信じて疑わない人間も多い。まるでカルト宗教のように、

だが声を大にしていいたいのは、コンテンツビジネス、特に音楽や映画等のエンタテインメント産業はファンあっての産業なのである。表面的な形式のみにこだわりその産業の本質をみようとせずエンタテインメント産業の未来を論じたら必ずや取り返しのつかない事態になる。世間や社会のムードに流されず、もう一度エンタテインメント産業がどのように運営されているかを冷静に分析して、その中で未来の配信ビジネスはどうあるべきか、エンタテインメント産業の中でどう位置づけるべきか、について論じて欲しい。

でないと21世紀中にエンタテインメント産業は本当にこの世からなくなってしまうだろう。

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