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2009年8月30日 (日)

お台場ーガンダムとねこたま

さて、今日は選挙で果たして民主党の大勝に本当になるのか、注目ではありますが...

実はもう昨日の話になりますが、家族でお台場に行きました。今日は関東地方は雨模様ですが昨日は真夏の日でした。要は娘がお台場合衆国に行きたい、ということで家族サービスだったんですが、私の目的はガンダム三十周年のイベントによるガンダム詣ででした。

写真でいかに大きなものかがわかります。

090829_162101 090829_162301

会場には勿論テーマソングがインストで流れていました。「燃え上がれ ♪ 燃え上がれ ♪」と歌いそうになりました。
実際にはこんな感じで見れます

090829_1631-01.movをダウンロード

そしてもう一箇所も娘の希望で「ねこたまキャッツリビング」に行きました。

ご存じのとおり、私は愛犬と飼い主がいっしょにリラックスできるペットミュージックなるものを今から9年前に発売、発表しています。

Pet_relax

実は家内がかなり犬派だったこともあり、それに影響もされており、これは和太鼓の単純な音がワンちゃんをリラックスさせることを発見したためにこういうCDが可能になりました。(なぜかはわかっておりません)

しかし基本的には猫派なんですね。そして娘も私に似たのか猫派になり、その日は前からせがまれていったのでした。

そこで猫なべの画像が取れましたのでお見せしましょう

090829_113301 090829_131002_2

狭いところに入るのは猫の習性なんですね。ちなみにYou tubeでメインクーンのねこなべになる映像も録れました。

ちなみに犬の音楽を書いたのだから猫の音楽は書かないのか、とよく聞かれます。(^^;)

まあ考えてもいいですが、猫は犬と違い好き勝手に寝ますしあまり飼い主といっしょとか考える猫って少ないんですね。猫ってマイペースだし結構自分勝手なところもあるんで...

猫って犬と違って飼い主が変に干渉するとかえってストレスになる場合が多いです。だから今のところキャットミュージックといってもたぶんあまり需要がないと思うんですよね。

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2009年8月22日 (土)

死語とされている"IT革命”という言葉

たまたまうちのアーチストの奥津恵のブログアメブロを使っている関係で管理画面に入ったらこんな記事をみつけた

■もう「死語」?なネットの言葉 http://news.ameba.jp/cobs/2009/08/43797.html

まあアメブロなんで例によって2ちゃん用語とか多いし、サンプル数も少ないのでどこまであてにできる記事か、というのも正直あるんだが、その中の「死語」リストに「IT革命」という言葉を見つけた。

確かにこの「IT革命」という言葉は一時やかましいほどマスメデイアをにぎわしたし、自分も不覚にもこのマスメデイアの煽動に乗ってしまい、一時は大きな期待をかけていた。しかし結局世の中は殆ど変化せず、正直いって失望感しか残らなかった。これに関して日経BPのある記者は「筆者を含むジャーナリズムは、IT革命が来る、と思って盛り上げたものの、世の中があまり変化しないので飽きてしまった。」と書いているが、まあいつもながら無責任マスコミ記者らしい発言、騒ぐだけ騒いで泰山鳴動すらしないでねずみの一匹も出なかったということだろう。

実際「今使うとかなり痛い[腐語]大辞典」の中にもこの「IT革命」という言葉は入っている

■死語とまではいかないが、すでに腐りかけ……[ビジネス・IT用語]の部 http://spa.fusosha.co.jp/feature/list00000636_2.php

しかしだいぶ前の記事だがこうした風潮に反論するがごとく「ITによる革命は緒に就いたばかり 」と主張する本が現れていた。
テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編)上田惇生編訳、ダイアモンド社)  である。2年くらい前の記事だが非常に参考にはなった。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070601/273297/?ST=biz_biz&P=1

02570929 早速本屋に行き購入。この本は、テクノロジーのマネジメントに関する論考を集めたもので、「理系のためのドラッカーであり、かつ文系のための技術論」(「編訳者後書き」より)となっている。基本的にはマネジメント中心の本だが特に第四章の「IT革命は産業革命になれるか」という項目は面白かった。要は産業革命の進展の仕方と今の情報革命の進展のしかたを照らし合わせているのだが、IT革命と産業革命を比較すると、コンピューターの誕生に相当するものとして、蒸気機関の発明がある。蒸気機関は社会や産業に大きな革新をもたらしたが、ドラッカー氏の見立てによると「産業革命前から存在していた製品の生産の機械化だけだった」。真に世の中を変えたのは鉄道である。蒸気機関の実用から鉄道の出現まで、ざっと50年かかっている。

 コンピューターによるIT革命も同じだとドラッカー氏は指摘する。つまり本格的なコンピューターが生まれて50年がたったが、やったことは大きく言えば機械化であり、これからいよいよ「鉄道」が出現する。ドラッカー氏によれば、鉄道に相当するものが、インターネット上のエレクトロニックコマース(EC、電子商取引)であるという。まあECという言葉も死語に近いが、しかしこれは必ずしもAmazonや楽天のようなものを指すとは限らない。それにこの指摘は確かに思い当たることがある。

 現代の我々にとってインターネットという便利なツールが出現したのが事実だが、まだ以前のビジネスの形をそのツールをつかうことによって「機械化」したに過ぎない。だから情報の数は多くなったが社会のしくみは殆ど何も変わらずに今日まで来ている。しかしそれらは単なる前ぶれに過ぎない、とドラッカー氏は指摘する。

ドラッカー氏は、鉄道が登場した10年後あたりから、「蒸気機関とは無縁の新産業が躍動を始めた」と述べる。それは電報や写真、光学機器、農業機械、肥料であった。一連の新技術の登場の後に、郵便や銀行、新聞などが現れ、鉄道が登場した30年後には、近代の産業と社会制度が確立した。ドラッカー氏は来るべき社会にも同じことが繰り返されると主張する。

 今後20、30年の間に、コンピュータの出現から今日までに見られたよりも大きな技術の変化、そしてそれ以上に大きな産業構造、経済構造、さらには社会構造の変化が見られることになる

 IT革命からいかなる新産業が生まれ、いかなる社会制度、社会機関が生まれるかはわからない。(中略)しかし絶対とまではいかなくとも、かなりの確率をもって予測できることがある。それは今後20年間に、相当数の新産業が生まれることであろうことである。しかもそれらの多くがIT、コンピュータ、インターネット関連ではないであろうことである。

 上記の最後の赤字の部分が非常に面白い。確かに産業革命では鉄道よりもその周辺の事業が大きく発展し、大もうけをした。IT革命も同じことになるだろう、というのがドラッカー氏の主張である。この本は正直、マネジメントの専門用語も多く、私には難解な部分もあったが、非常に興味深く読ませてもらった。少なくともIT関係者のよく書く「IT夢物語」的なIT革命論より、ドラッカー氏の文章の方がはるかに説得力があると思う

つまり IT技術の出現=即IT革命 では決してない、ということである。今は単にインターネットを始めとするITのツールが出現したに過ぎない。要はこのITツールを有効に使っていかに本当の意味で「革命的」な新産業を作るかで、それは我々にかかっている。産業革命の時代の鉄道のように、それは決して現代の鉄道であるIT企業からは生まれないというのは面白い。

 さて、私のようなコンテンツ屋などはITではないが、ITとかなり密接にならざるを得ない産業の1つである。「全てのコンテンツは無料であるべきだ」というのがあたかも正論であるかのように語られ、ネットユーザーの大半がそう考えている現状を考えると、映画、音楽等のコンテンツ業は寧ろ存亡の危機にすらたっているように見える。しかし現在あるITツール等を使った全く新たなコンテンツ新産業が果たして生まれる可能性があるのかという点についてコンテンツ屋の端くれとして考えたいと思う。これは必ずしもi-tunesのような配信事業ばかりとは限らない、もしかしたらi-tunesですら新しいコンテンツ産業誕生の前奏曲に過ぎないのかもしれない。

 またプロダクションや制作会社の形も変わって行くかもしれない、それがどういう形かはわからないが...

ひとつだけはっきりいえるのは絶えずそのために知恵をしぼり、頭を使うことである。音楽界、芸能界に顕著だが、実は「頭を使う」ということを極端に嫌う体質がある。業界全体が思考停止、アナログ頭という状態で、だから総務省や経済産業省のようなところでIT官界企業や役人にいいようにバカにされるのだが、そういう古い頭の人たちに早くご退場願うしかないのが悲しいところだ。そのためにも来るべき時代のためにあれこれ知恵をしぼり頭を使い続けるのが得策だろう。

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2009年8月17日 (月)

盗撮映画、ネットに流して初逮捕

■撮映画、ネットに流した疑い…国内初逮捕 
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090817-OYT1T00411.htm?from=main3

まあ氷山の一角だとは思うけど、たぶんこれをやったサラリーマンは自分が悪いことをしているという罪の意識などこれっぽっちも持っていないだろうな。中国ではこういう行為は当たり前らしいけどこの犯人の権利に対する理解力は中国人なみということだろう。

実際映画を作るためにどれだけ多くの人が働き、撮影のためのどれだけ大変な手間と労力がかかっているか、などという想像力が少しでも働いたらこんな行為はしないはずなのだが... こういう現場がどんなに大変か、一度見学してみるといい。「映画や音楽なんか簡単にできるでしょう?」、それこそ「音楽なんか女の子ナンパしながら遊び人しながら作っているんでしょう?」 なんてことを本気で考えているバカがいかに多いか。

「コンテンツなんてタダでしょう」「全てのコンテンツや情報は無料であるべきである」という考えがあたかも正論であるかのように論じられる。その一端を垣間見た感じ。掲示板等にもこの犯人に対する同情的な書き込みがあった。

何度も書くが本当に世の中のコンテンツ全てがタダになってしまったら十年以内にそもそも手に入れたいコンテンツ自体がこの世から全て消えてしまうだろう。誰もコンテンツ自体を作らなくなる。だって、そうでしょう。タダということは価値がないし、何よりももうからないんだから。そんなもうからないことを誰がやるだろうか? 

仮に残っても世の中には「価値のない」ゴミ同然の情報とコンテンツしかこの世に存在しなくなってしまう。つまり最終的にはクオリテイの極めて低い、ゴミ同然の価値のない情報とコンテンツのみしかネットに存在しなくなってしまう。それゆえ「全てのコンテンツはタダであるべきだ」という議論はかえって情報社会を崩壊させる、繰り返し論じてきたのだが、残念ながらこんな簡単なことを理解できない人が多すぎる。

コンテンツビジネスの明日はやはり今のままでは暗い

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2009年8月15日 (土)

音楽で平和のメッセージを

さて本日は終戦の日、第二次大戦に日本が敗戦してから64年の月日が経つ。平和への思いを新たにして、二度と戦争に日本という国が巻き込まれないように祈りたいものである。

 戦争体験の風化とかネットウヨによる「普通に戦争できる国にしたい」などと公言してはばからない輩が増えているというのも問題だが、そう主張する人間はおそらく想像力の極めて希薄な人物と考えざるを得ない。実際そんなに戦争というものを体験したいのならイラクでもアフガニスタンにでも行ってみるがいい。少なくとも彼らが考えているようなものではないことが実体験としてわかるはずだ。

 さて、そういう風潮に危機感を感じたのだろうが、日本を代表する漫画家たちが中心になってい展示した「私の八月十五日展」が千葉で開かれている。(明日8/16まで)http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/090727/chb0907272243007-n1.htm

南京虐殺記念館で日本漫画展=ちばさんら戦争体験描く-中国http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009081500217

戦争を知らない世代に戦争体験と平和の大切さを伝えようと、先の大戦の記憶を持つ漫画家や作家らの有志でつくる「八月十五日の会」の協力により、旭市が主催。ちばてつや、さいとうたかを、やなせたかし等有名漫画家が多く参加した。

日本ではこういう「重い」テーマのものを敬遠する傾向がある。音楽の世界ではこういうテーマで曲など書こうものならレコード会社が必ず渋い顔をする。しかしビッグアーチストが平和とか反戦を語れば多くの人は注目するし、それが社会を動かす原動力にもなる。しかし最近そういった動きが日本国内で本当に目立たなくなったのは非常に残念である。その意味では60代、70代(やなせたかしはもう90歳!!)の偉大なご老人たちに日本の音楽家たちは明らかに負けている。

本来ならアーチストはこういう時にこそ声をあげるべきである、しかも自分の作品で声をあげるべきである。ジョンレノンはイマジンによってそれを実行した。

 その替わりといったらなんだが8月15日の終戦日ではないが、例の911にちなんだイベントでシンガーソングライターの庄野真代さんとNPO「国境なき楽団」が主宰するセプテンバーコンサートに今年も参加して、私なりの平和のメッセージを音楽で表現したいと思う。やはり音楽家としてこういう訴えを続けることが重要だと考えるからである。今年はまだ出演日は正式に決定していないが、決定次第当ブログで発表します。

NPO法人「国境なき楽団」 http://www.gakudan.or.jp/

セプテンバーコンサート  http://www.sepcon.jp/

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メジャーレーベルを捨てた矢沢永吉のニューアルバム『ROCK'N'ROLL』

メジャーレーベルを捨てた矢沢永吉の新作が音楽ビジネスを変える!? http://www.cyzo.com/2009/08/post_2558.html

正直いってやっと日本にもこういう動きが出てきたか、というのが率直な印象。海外ではマドンナがワーナーとの契約を解消するなど、海外では「メジャー離れ」はかなり加速しているのに日本ではこういう動きはなかなか起きなかった。

今CDの流通も配信もメジャーでなければできない理由はどこにもない。スタジオやスタッフに恵まれているアーティストは インディーズでもまったく問題ない。 それにメジャーといったってたいした宣伝をするわけじゃないし、そのくせマージンだけはわんさか取っている。普通に考えればこういったアーティストが出てくる事は至極自然な事。

しかしこれはメジャーで十分に知名度が行き渡り権力やパイプを持っているから可能なやり方ではある。 マドンナでもレディオヘッドでも無料DLやそれに近いやり方で新譜をリリースしてもビジネスとして成立するのはパッケージの世界での成功があり、ライブ公演で莫大な利益を得れるトップアーティストだからだ。新人アーチストはこうは行かない。それゆえ私も自社のアーチストの奥津恵のインキュベーションに七転八倒する毎日が続いている。

しかし奥津メジャーでなんてことは私は微塵にも思っていない。仮にメジャーに提出したところで給料の出ない印税のみ契約、ワンショット契約(デビューシングルが売れなかったらそこで終わり) と悲惨な契約となるのは火を見るより明らか、世の中に出ることもなく使い捨てにされる可能性の方が高い。私は奥津を使い捨ての消費財にするつもりは毛頭ない。それゆえ苦しくとも今の道を続けるしかない。

それでも「メジャーデビュー」「夢の芸能界」に憧れ不当な契約をする新人は少なくないだろうな。また日本の音楽事務所の連中はまだ「メジャー信仰」を持っている思考停止の人間が多いし、新人のアーチストの親とか親族からたんまり金を取ってデビューできないまま終わってしまう悲惨な例もたくさん知っている。そういう思考停止アナログな人間が多いから総務省や経済産業省でのコンテンツ流通促進委員会でIT関係の会社や役人にいいように付け込まれる。

 でも矢沢さんのようなビッグアーチストがこういう行動を取ることによってそうした「メジャー信仰」による幻想がなくなる方向に行くのであればそれはすばらしいことである。しかし私は正直懐疑的である。こういう動きが加速するかというと少なくとも日本国内では難しいかもしれない。

桑田圭祐さんやミスチルなどがいい例だがこういったアーティスト達は育ててもらったレコード会社を支えている為 インディーズで、なんて微塵も思わないだろう。実際こういうビッグアーチストの中で「メジャー」という肩書きにこだわっているアーチストも少なくない。

だがそうしている間に「メジャー」自体が全て崩壊する可能性もあるが... さて今年の夏から秋までを乗り切れる「メジャー」レコード会社や大手プロダクションはどれくらいあるだろうか?

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2009年8月14日 (金)

コンテンツビジネスでの相互啓蒙の必要性

今さら申しあげるまでもないですが、私はコンテンツ屋である。音楽や音声や音響効果等「音」の名のつくコンテンツはほぼ全てやっております。さて、昨年あたりから総務省や経済産業省で議論されている「コンテンツの流通促進」についてこのブログでもさまざまな記事を書いていたが、まずここで中心となっている議論で一つ私自身が半信半疑なのはそもそも「テレビ番組等のコンテンツを無償で垂れ流しすれば、コンテンツ業にとってもメリットがり、全てがばら色になる。」などということが本気で論議されているというのが正直にわかに信じがたいのである

 ネットに露出すれば全てがばら色、なんてネット草創期やホリエモンあたりの終わった人の口から出てくるのならまだしも、今ある程度ネットを日常的に業務で使っていてそんな一昔前のIT夢物語を本気で信じる人などまずいないはずである。もし総務省や経済産業省でそんな話が本当に大真面目で論じられているとしたら、それは役人があまりにも現実に対して無知で頭が悪すぎるとしかいいようがない。そしてIT側が本当にそういう発言をしたとするなら、それはIT側にまだ非現実的な夢想家がいるか、あるいはコンテンツ屋を「どうせITのことなんかわからんだろう」とバカにしてそういう話をしているか、その中のいずれかであろう。(たぶん後者のような気がする)

 ここで、IT関係者が聞いたら卒倒しそうな問題提起を行なおう。そもそもネットで情報を垂れ流しすれば無条件でコンテンツビジネスが発展する、というが本当にそうだろうか? IT関係者の大半やネットユーザーの大半がこのことを信じて疑っていないようである。

.さて、私は「癒しの音楽チャンネル」というネットラジオも運営して実際に音楽のネットプロモーションに関しては少なくとも音楽業界関係者の中ではかなりいろんなことをやってきてきたという自負があります。

 その経験からすると結論からいってある程度露出するのは一定の効果はあるが、かといって過大な期待をかけられるほどの効果的なプロモーションとはいえない。というのが実際にやってみて実感してきた点である。少なくともネットプロモーションを主体に音楽をプロモーションしたら必ず失敗する。つまりひとことでいって「やらないよりはやったほうがいい、だけど大きな期待はできない」というのが実際にやってみた実感である。いわんや「ネットで流せば全てばら色」なんていうのは笑止千万の議論としかいいようがない。

 だがこの見解はIT関係者はもとより多くのネットユーザーがまるでカルト宗教のように信じ込んでいる見解である。そして伝わっている情報が正しいとすればネットでコンテンツを無償で垂れ流すことこそがコンテンツの流通促進であり、それこそがネット社会の発展につながるなどという見解が大真面目に総務省や経済産業省で論議され、バカな役人たちは明らかにこの見解を支持している。

 私はこれに異を唱えてきたし、慶大の岸さんも同様だが岸さんはエーベックスの役員という点がどうもIT関係者に色眼鏡で見られる原因にもなっているようである。冷静に考えれば岸さんの見解は非常にまっとうな議論なのだが、ITジャーナリストや関係者にはすこぶる評判が悪い人である。ネットで著作権を主張するのがあたかも犯罪行為であるかのようにいう人間も多いが、これらの議論を聞いて感じるのは著作権を主張=既得権益の保持という風に短絡して考える向きが非常に目立つ点である。(誤解のないようにいっておくが私は仕事でエーベックスとのつきあいはないし、同社が現行の体制を維持している限りたぶんつきあることはないであろう。)

 そもそもコンテンツ、ソフトウエアというのはまず権利ビジネスであり著作物の権利で商売するのだが、どうもモノ以外は商品ではない、と考える向きが多いようである。そのため他人の権利がある著作物を無断使用していいはずがないし、使用する場合は対価が発生するのはソフトビジネスの観点からみて極めて当然のことである。そこを理解できない人がまだまだ多いようである。

 だからネットで露出するにしても一定の条件、ある程度の「秩序」というのはやはり必要である。勿論JASRACの現行のネットに関する規定が充分とはいえないのは確かであるし、あの馬鹿馬鹿しい45秒の法則や、ストリーミングすら配信と同一視する、といった非現実的な部分は改正すべきだと私も思う。しかしその議論と何でも無償で垂れ流しするのがよい、というのは全く別の話である。そこを混同している議論が多すぎる。

 ネット社会がより発展するには良質のコンテンツが必要である。このことは誰も異論がないだろう。しかし良質なコンテンツが普及しない原因を全て役人もIT関係者もコンテンツ業者のせいにしているが、これは全くの筋違いである。コンテンツプロバイダーは権利が侵害されないのであれば、コンテンツの提供を嫌がらないが、現行の環境はそれに対する充分な環境を提供していない。またコンテンツ流通促進委員会でも出たが、IT側がコンテンツプロバイダーにとって魅力的と思われる提案を全くしていない。現行のネットのシステムでは「やらないよりはやったほうがいい、だけど大きな期待はできない」という程度のレベルの環境である。そういう環境で無秩序の無償垂れ流しをするのは我々コンテンツプロバイダーにとってあまりにリスクが高すぎるのだだから良質なコンテンツが普及しない原因を全て我々に押し付けるのは筋違いもはなはだしい。

 例えば私はコンテンツ屋なのでいうが「コンテンツは重要である」とIT系の人もハードの人も口ではいうが。「どの程度」重要に思っているかと詳しく聞くと、多くの場合、実は「タダかタダ同然でいいコンテンツを扱いたい」という内容の要望であることがわかる。

しかしはっきりいうが。そういう要求をし続けたら今世紀中にコンテンツ業自体が消滅してしまうだろう。 今ネットの世界を中心に「全てのコンテンツはタダであるべきだ」などという暴論があたかも正論であるかのように広まっているが、本当にそうなってしまったら十年以内にそもそも手に入れたいコンテンツ自体がこの世から全て消えてしまうだろう。誰もコンテンツ自体を作らなくなる。だって、そうでしょう。タダということは価値がないし、何よりももうからないんだから。そんなもうからないことを誰がやるだろうか? あっても世の中には「価値のない」ゴミ同然の情報とコンテンツしかこの世に存在しなくなってしまう。つまり最終的にはクオリテイの極めて低い、ゴミ同然の価値のない情報とコンテンツのみしかネットに存在しなくなってしまう。それゆえ「全てのコンテンツはタダであるべきだ」という議論はかえって情報社会を崩壊させる、と私は繰り返し論じてきたのだが、残念ながら私には自明のように見えるこの議論を理解できない人がネットの中にかなりいるようである。

そんな事態は誰も望んでいないと思う。そしてこの問題の原因はハードやITの世界とコンテンツ制作の業務や扱う商材についての認識が著しく違う点にある。わかりやすくいえば、ハードの世界はソフトーコンテンツの世界の本質を理解していないし、ソフトはソフトで自分たちの世界を理解してもらおうという努力を怠ってきた点が大きいと思われる。
双方の世界を理解するための啓蒙の機会が必要なのではないかと思う。

 これに対してどうするか、録音機器というものが現れてからコンテンツ関係とハードの間のすれ違いが存在していたのでこういう話は今に始まった話ではない。だが、ここでハードとソフト両面からビジネスソリューションについて考え、コンテンツはコンテンツの世界のこと、ハード屋はハード屋の世界、双方の世界を理解しきちんとしたビジネスソリューションについて考える会社が必要であろう。 

 私は別会社で「防犯BGM機器」という商品を開発したが、この別会社にはハードの専門家、SEやCGの専門家がスタッフにいる。そしてコンテンツ屋の私が建前上の代表になっている。この環境でソフトとハードの橋渡しを行いビジネスソリューションを模索していこうと思う。

株式会社D-LOOP   http://www.d-loop.co.jp

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また巨星逝く レス・ポール氏永眠

レス・ポール、永眠
http://www.barks.jp/news/?id=1000051982

偉大なるギタリストであり、エレキギターの父として、近代音楽のレコーディング技術のイノヴェーターとして多大なる影響を与え続けたレス・ポールが、2009年8月13日永眠した。94歳だった。

数年前のモーグ博士といい、また現代の音楽に多大すぎるほどの貢献をされた方がまた逝ってしまいました。ツエッペリン、エアロスミス、エリッククラプトン、どれだけの偉大なアーチストがこの人のギターを愛用したか、現代のロックの歴史そのものを作った人でした。

「明日を見ることができれば良いと思っているよ。それだけだよ、続ける事だね。時間は止まらないし若返らないしね。できる限り自分のやっていることを続ける事だ。」──レス・ポール

90を過ぎても自作のギターでステージに立っていたそうです。たとえどんなに老いてもこうありたいですね。

昨年この人の伝記映画が出たばかりでした。

■『レス・ポールの伝説』 予告編
http://www.barks.jp/watch/?id=1000022864

■『レス・ポールの伝説』公開、生きる伝説をNYで直撃(2008年8月22日)http://www.barks.jp/news/?id=1000042789

心よりご冥福をお祈り申しあげます。

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2009年8月13日 (木)

音楽をめぐる怪談話(@Д@;

さて、お盆の季節になりました。ということでちょっと遊んでみようと思います。(^_^)

この季節というと怪談!!

ということで音楽の世界にも当然その類の話があります。

例えばクラシック音楽で有名な話、かつてのアナログのLP盤の話でフルトヴェングラー&ウイーンフィルベートーヴェンの交響曲第7番(EMI)の終楽章には、「呪いの声」と噂される女性の声が入っていました。実は私も聴いたことがありますが、残念なことに(!?) CD盤ではマスタリングの作業で除去されたようです。

またブルースのレイ・チャールスが飛行機に乗ろうとしていたところ、「いやな予感がする」といってスタッフ全員を別の飛行機に変えようといつになく強硬に主張(ふだん、レイはそんなことをいう人ではありません) そうしたらみんなが乗るはずで乗らなかった飛行機が本当に墜落してしまった、というこれまた有名な話があります。

 また業界では有名で都内の十大心霊スポットの一つである某社のスタジオーここは昔お寺の墓場の跡地に建てられ、元々の墓場はなぜかすぐ隣のトンネルの上に移設されているのですが、ここはもうはっきりいって怪談の宝庫ですね。タクシーの運ちゃんもあまりこのそばを通りたがらないです。私もこのスタジオで数えきれないほど仕事していますが、特に三階のラウンジのあたりは有名な心霊体験スポットの1つにはなっていますね。私も深夜1人でラウンジに入った時(自販機がたくさん並んでいるため)誰も居ないはずのところに人に気配を感じたことがあります。(私は霊感の強い方ではありません。)ちなみに財津和夫さんは決してこのラウンジのそばに近寄ろうとしないそうです。いわく「いつも不気味な女の人の顔が見える」とのことで...

 有名な話としては岩崎宏美さんの万華鏡」はこのスタジオでレコーデイングされました。私はこのエンジニアとも古い知り合いですが「絶対にあんな音は録っていない」と断言しています。 

もっとすごい話をしましょう。もう20年くらい前なので時効だと思いますが怪談で有名なあの"I川J"さんの怪談話もあのスタジオで録音されました。レコーデイング終了後"I川J"さんの車がよりによってスタジオの隣のトンネルに入ったとたん原因不明のエンストで煙が出てしまい、車が動かなくなったという話があります。しかもその車、前日に整備点検したばかりとのこと。

 まあスタジオというところは元々怪談が多いところですけどね。今はなきソニー信濃町スタジオもかなり不気味な話が多くありました。結構その辺を捜しますとまだまだ私も知らない話が出てくるかもしれません。

 さて、クラシック音楽の作曲家にまつわる極めつけの怪談話というと「ハイドンの頭蓋骨」の話があります。それはハイドンの死後、頭の部分だけが150年間切り離され続けたという話で、オーストリアの刑務所管理人であるヨハン・ペーターという者がハイドンの死後、ウイーンのフントシュトゥルム墓地を掘り起こし、無断で彼の首を切断して持ち帰っていたあたりから、かなり猟奇的な犯罪へと発展していくことになります。

 この事件が発覚したのは、1820年にエステルハージ侯爵家のニコラウス2世が、ハイドンがエステルハージ家の所領であるアイゼンシュタットに埋葬される事を生前に望んでいたことを知って、改葬しようと掘り起こしたためだったりします。主犯のベーターは、「骨相学」ということになるのでしょうが、頭蓋骨の形態と知的才能の間には関係があるという学説の信者で頭蓋骨を計測するのが趣味だったそうです。

 薬品などで綺麗に処理されたハイドンの頭蓋骨は、綿密な計測が終了した後、従犯のヨゼフ・カール・ローゼンバウムという熱烈なハイドンのファンに渡され彼の家の専用の祭壇に安置されることになります。彼らはハイドンの熱烈な崇拝者だったようで、頭蓋骨を持ち去り、丁寧に保存し続けたようですが、この頃から奇怪な出来事が起こり始めたそうです。ある夜、ローゼンバウムの妻が、この頭蓋骨から不気味なうなり声があがっているのをはっきりと聞いたというのです。

それからうなり声はたびたび聞かれるようになり、最初は半信半疑だったローゼンバウム自身も、ある夜、頭蓋骨がアゴをカタカタ鳴らしながら自宅の中を飛び回っている場面を目撃したそうです。

うなり声と空を飛ぶ場面をたびたび目撃するようになり、ついにローゼンバウムは頭蓋骨を手放すことにしたそうです。医師→解剖学者→その息子→ウィーン大学の病理研究室と経て1895年にウイーン市からウイーンの楽友協会に鑑定と保管が以来され、事実上、楽友協会の所有になったようです。

 その後、二度の世界大戦の主要な舞台となったこともあって、なかなか首と胴体は再会できなかったのですが、1954/06/05に公式な二度目の葬儀が行われアイゼンシュタットの墓地で150年ぶりに首と胴体が一緒に埋葬された ・・・ 事になっています。

 いやあ奇怪な話があるもんですね。というわけでお盆の時期にふさわしい怪談話でした。

裏飯屋 happy02

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2009年8月10日 (月)

音楽ビジネスの投資的価値

 今週から世間はお盆休みモードですが、関東地方は昨日は震度4の地震、そして今日は台風の影響による大雨と休み入りの環境としていまひとつですね。特に昨日の地震はマグニチュード6.9ですが震源が340キロと深かったために震度4程度で済んだようです。不幸中の幸いってとこでしょうか?

 さて、私個人はとりあえず夏休みが終わったのですが世間がお盆モードの時はさすがに電話とかも少なく、ふだんなかなかできないことをやろうと思っております。その中でこのブログの主要テーマである音楽ビジネスのありかた、について考えたいと思います。

 一昨日のノリピーこと酒井法子とその周囲をめぐる覚醒剤事件、押尾容疑者による合成麻薬事件(こちらは死人が出ている)等が世間を騒がしていますが、薬物と芸能界や音楽界とのつながりは今に始まったことではありません。またこういう事件が起きるたびに音楽界と芸能界の中の金がらみのことが存在がクロースアップされます。

 しかし冷静に考えてみて思うのは、特に音楽界に限っていえば今の音楽の世界にそれほどお金をかけることのメリットってなんだろう。とも思うんですね。

いわゆるメジャーとインデイースの差というのはレコ協以外ははっきりいってもはや宣伝費にかける費用しかありません。そして放送局とレコ協加盟のいわゆるメジャーレコードとの排他的、独占的関係は今も維持されており、そこにはレコ協関係以外の会社が入る余地はほぼないといっていいです。そして確実に多額の「お金」の存在があります。(いわゆるタイアップという奴ですね) かつてはそのお金はほぼ問題なく回収できていました。しかし最近はごく一部を除き回収が難しくなっています。これはご存じの通りテレビの視聴率の低迷が背景にあります。つまり多額の宣伝費を投じても番組を見ている人が減っているんですから、投資に見合う回収ができなくなっているのです。

 コンサートにしても同様で実際にはアーチストや事務所の「関係者のサクラ」によって成り立っているケースの方が多いです。なかなか皆さん忙しくてコンサート会場にかけつては下さらないんですね。

 つまり現状の音楽業界は少なくとも投資対象としては「ハイリスクハイリターン」の場合も確かにありますが、実は多くの場合「ハイリスク、ローリターン」なわけですね。つまり投資対象としてははっきりいって最悪です

 これはもうけようと思うのなら音楽は最悪の選択である。ということを如実に示しています。残念ながら私もその通りと認めざるを得ません。

 しかしかつては「音楽で一旗上げる」ことが可能な時代がありました。90年代のいわゆる「音楽バブル」の時代がそうでしたが、残念ながら今はもはや時代背景、社会の経済環境が違います。しかし問題は時代背景、社会の経済環境が違うにも関らず音楽業界は「音楽バブル」の時代と殆ど同じ手法でプロモーションしている、という点にあります。しかしこれは必ずしも音楽業界の人間だけを責めることはできません。

 率直にいって少なくとも日本では地上波テレビの露出以外に有効なプロモーションが存在していない、ということが最大の問題だと思います。これは自分でプロモーション活動していて肌で感じている現実です。

 「インターネットのプロモーション」を有効に活用すれば地上波テレビに取って代わるプロモーションになるはずだ、という人がいます。しかしそれは少なくとも現在の状況では正しくありません。なぜかという理由、続きは明日書きます。

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2009年8月 9日 (日)

イケ面はキケン!?

さて、とりあえずいろんな意見はあるでしょうがノリピーこと酒井法子容疑者(「容疑者」と書かなきゃいけないのが辛いですが)は無事警察に出頭し心配された最悪の事態は回避されました。あとは警察当局が覚醒剤の入手経路やその背景をどこまで解明できるかが鍵になります。酒井法子容疑者の事務所のサンミュージックとは私もおつきあいした経験があるので、これに関してはいろいろ思うところがありますがひとまずは命の別状なく収まったということでよかったということにしておきましょう。

私はだいぶ前、まだアイドル全盛だったころに一度だけノリピーに会った事がありますが少なくともこの時はとても覚醒剤に走るという風には到底思えませんでした。私の情報網からだとやはり夫の高相容疑者との結婚から雲行きが変わったようで、最近はかなり奇行も目立っていたようです。自称プロサーファーでイケ面と結婚したということで今から13年前くらいにだいぶ話題になりましたが、私自身「ノリピー」というイメージを考えると正直違和感を感じていました。まあノリピーの覚族ー父親も弟もー正直その筋の人たちというのは最近知りましたがやはりそういうつながりというのもあったかもしれませんが、この高相容疑者もかなり怪しげな人物であることは確かで、そういう意味ではイケ面とはいえ悪い男につかまってしまったのかなーという印象があります。ノリピーの息子は私の子供と同じ年なので行く末が心配されます。

そして例の押尾と矢田亜希子の問題、まあ矢田の場合周囲があれほど反対したにも関らず結婚を強行したあげくの顛末ですから、自業自得といわれても仕方がないんですが、冷静に考えれば典型的な「駄メンズ」の押尾にイケ面というだけでこんなにも盲目になってしまうのはやはり測らずも「男は外見でなく中身だ」などという議論は全くの建前論に過ぎない、ということを立証してしまったように思いますね。ノリピーのケースにしても詳細な事情は不明ですが同じようなケースでしょう。

 こんなことをいうと「あんたイケ面でないからひがんでそんなことを言うんでしょう?」などというギャル層からの反発をくらいそうですが(笑)、しかしノリピーのケースにせよ、矢田のケースにせよ、芸能界は見栄えを優先する社会とはいえそれにこだわりすぎた故の悲劇であるような気がして仕方ありません。男も女で身を持ち崩すころがありますが女性も男で人生がメチャクチャになってしまうーその典型的な例を見たような気がします。

音楽もショウビズ全体も個性を売る商売ですが、見せ掛けの個性ではなく中身がきちんと評価される時代になって欲しいと思いますが、そういう時代は果たしてくるんでしょうか?

念のため音楽界でも芸能界でも真面目に仕事に取り組み、明日のことを真剣に考えている人たちが多い、ということも付け加えておきましょう

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2009年8月 5日 (水)

八ヶ岳での休暇

3日から本日まで家族と八ヶ岳での休暇に出ていました。天気はおおむねよかったですね。

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私は長野県とか、山関係のリゾートへ行くと頭の中にブラームスの音楽が結構なるんですね。クラシック音楽も結構好きなもんで...  それで小淵沢インターに入ってからBGMはブラームスのバイオリンソナタト長調、そして交響曲第二番二長調にしました。

ブラームス自身、結構避暑地で作曲をよくしており、そのせいかそういう雰囲気が何となく音楽の中に入っているんでしょうね。おかげですっかり避暑地気分になりました。

しかし今回八ヶ岳に来た目的の一つが「中村キースへリング美術館」です。前々から行って見たかったんですねー。建築も独特の美術館です。

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普通美術館というのは中で写真撮影できないもんなんですが、今回は貸切状態だったので思いっきり撮れました。

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じっくり見ても一時間ちょっとで見て堪能できます。
さすがにキースの作品の時はブラームスではなく、HIP-HOPかテクノ系のサウンドがうかんできますね。

八ヶ岳は音楽祭も時々行なわれ、美術館も多いところです。高原ということで空気も勿論おいしいですが、野菜類が何よりおいしいですね。

八ヶ岳といえば、今から5年前にセラビリゾートの「大地の園」でインペグ関係の仕事をした思い出がありますが、今回はそちらの方には行きませんでした。一応まだセラビリゾートの施設ーコッテージと花ホテルーはまだ残っているようですがかつてのように音楽家が大量に演奏することはないようです。もう一度仕事をしたかったですね。

八ヶ岳にはいいレストランもたくさんあります。下記は富士見町にある「カントリーキッチン」 バイエルン地方の地ビールも飲めますが、車で来たので飲めなかったのが残念sweat01

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石窯で焼いたパンも売っています。数に限りがあるのであらかじめ予約しておいたほうが確実です。

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2009年8月 2日 (日)

ITの急激な発達でも社会は進歩していない

えーっ!!! と思う人も多いでしょう。(笑)

これを説明するには、ある哲学者の著書を紹介しなくてはなりません。私の出身大学の哲学の教授で故市井三郎歴史の進歩とはなにか (1971年) (岩波新書)という著書で従来の進歩史観とは全く異なる視点を示した著書がありました。

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市井三郎 1922-1989

可能な限り簡潔に説明しますと我々が進歩と考えていることー例えば工業化、経済成長etcーには必ずそれに伴う「副作用」、といいますかそれらの進歩と引き換えにネガテイブな部分を社会にもたらしている、という点を市井三郎は指摘していまして、例えば公害とか昨今問題になっている地球温暖化などはまさにその「副作用」に当たるといってもいいでしょう。市井先生はそれを歴史の進歩のパラドックス」と定義し、その歴史の進歩のパラドックスによって生じる苦痛、(公害で苦しむ人々、温暖化に伴い起こる自然災害等)を不条理の苦痛」と定義しています。つまり進歩主義者は人類が生み出したテクノロジーや近代化のプラスの部分のみを見て、そうした歴史の進歩のパラドックス」の存在自体を認めようとしない、という点からすると従来とは全く違う進歩観を示した日本国内でも特色のある学風の持ち主の哲学者だったといえるでしょう。

今年はこの市井三郎元名誉教授の没後20周年にあたり私はこの「市井三郎サイト」を大学のOBたちや市井先生のご遺族とともに立ち上げ、実はそのホームページの管理人という役をおおせつかったわけです。 http://www.ichiisaburo.com 

あわせてこの市井三郎の思想を後世に継承し、哲学を目指す人たちへのサポートも目的とした市井三郎基金というものを設立しました。現在は任意団体ですが将来はNPOか公益法人も視野に入れてあります。

と、まあそういう背景があるわけですが、私自身はこの「市井三郎サイト」を構築しながらもし先生がもし今も生きていたら昨今のIT化した社会、あるいはグローバリズム等をどう見るだろうか、ということを考えてしまいました。

そして過去のテクノロジーの発展の時と同じくIT化した社会にもそうした不条理の苦痛」はたくさん発生しました。スパムメールスパム行為などはまさにそれに当たるだろうし、掲示板やブログでの「荒らし」行為などは時には個人の身の危険にまで発展した例すらあるし、パソコンを使っている人ならいつでも脅威にさらされているコンピューターウイルスなどもまさにその不条理の苦痛」にあたるでしょう。

 グローバリズムというのはまさに西洋の近代化論ー「西洋化=近代化」という観点の変形であり、要はグローバリズムという名の世界のアメリカ化に過ぎないことは昨今の状況から明らかでしょう。このグローバリズムとIT化は表裏一体で発展してきており、今もIT企業家やITジャーナリストの多くがそれをあたかもカルト宗教のように正義だと信じ込んでいます。IT化、グローバリズムがもたらす歴史の進歩のパラドックス」を全く考えようともしない点では従来の古典的な西洋的近代化論と基本的には何の変わりもありません。

 しかしスパマーや「荒らし」行為、ハッキング等を行なう人間はそのうちプロバイダーとの企業努力によってだんだん追放される方向に行くだろうし、ネットが人類に役立てるためにもそうすべきだと思います。すでにブラックリストなどが存在しているようですので、一度スパム行為や「荒らし」を行なった人間は二度と他のプロバイダーと契約できないようにして、ネット社会から永久追放すべき方向で考えるべきです。それらは時間がかかりますが少しずつそういう方向に行くと思われるし、いかないと正直困ります。

 だが、私はインターネットがもたらす歴史の進歩のパラドックス」でもっとやっかいで恐ろしい問題が存在している考えています。それは掲示板、ブログ炎上の状況を見れば明らかですが、実は掲示板やブログが荒れる時はたいてい誰かが暴論や誹謗中傷を行なわれている時で、やっかいなことにネットではそういう時に「類は友を呼ぶ」というか同じような暴論的な見解を持つ人間が一箇所に集まる、という傾向がよくあります。

 そうすると普通に考えれば社会的に少数派の意見、暴論と思われるものがあたかも「多数派の意見」、正論であるかのように広まってしまう。特に日本人は一般的に情報に対するリテラシーが極めて低く、誰かがもっともらしく何かをいうとそれを鵜呑みにしてしまう人間が多い。

 かくして暴論があたかも正論であるかのような伝わり方をしてしまうのです。実は私はこれこそがネット社会でもっとも恐ろしいことであると考えております。典型的な一例を出しましょう。

例えば「全てのコンテンツは無料であるべきである」というのはまさに暴論があたかも正論であるかのように広まった典型的な例でありましょう。実際ネットユーザーのかなりの層がそう考えているのは過去のいろんなデータであきらかです。

4割のユーザーがいかなる場合でもコンテンツにお金を払わない(ジャパンインターネットコム)

http://japan.internet.com/research/20010517/print1.html

無料=タダというのは価値がない=ゴミ同然の価値ということです。これは既に我々が古典、文化として定着しているものを含め、全ての文化をゴミ同然にしろと主張しているのに等しい議論です。だが総務省、や経済産業省でのコンテンツ業推進委員会では実際にその手の議論が大真面目で議論されているようです。総務省でのコンテンツの流通促進委員会では、

(1) ネットに全てのコンテンツ(特に既存のテレビ番組)を流せば、全員がハッピーで全てがばら色になる

(2)全てのコンテンツが何でもタダ、というのが流通促進のあるべき姿である。

などということが真剣に議論されているようです。(1)のネットに流せば全てがばら色、なんてホリエモンじゃあるまいし、日常的にネットを使っている人間なら、そんなことを鵜呑みにする人間などいるはずがないなんてことくらいわかるはずですがね。(2)のコンテンツ側にIT業者側が「おたくの商材を全部タダにして」などともし本当に要求していたとすれば非常識極まりないし、非常にふざけた話でコンテンツ業者を人間とすら思っていない証拠といって過言ではありません。(実際私もIT業者とコンテンツ制作の仕事をする際にコンテンツ制作業者を人間と思っていないのではないかと感じたことが時々ありました。)そしてそれを後押しする総務省も頭が悪すぎます。役人には東大出が多いはずだが役人になると急に頭が悪くなるらしい。

特に。(1)のネットに流せば全てがばら色、なんていう発言を本当にしていたとしたらそれはいまだIT熱に犯されている非現実的な夢想家の発言か、どうせコンテンツ屋なんてアナログ的な人間しかいないからとバカにした上での発言か、そのいずれかでしょう。確かに芸能プロや音楽制作会社のトップにアナログ的な人間が多いのは事実ですが、もし後者のケースで確信犯的に発言したとしたらそれは詐欺行為に等しいといっていいでしょう。 そしてそれを後押ししている総務省や経産省の役人の愚か者ぶりには本当に呆れて言葉も出ません。

暴論があたかも正論であるかのように広まり、それがコンテンツ産業自体を今結果的につぶそうとしています。というのが現状であることがこれによっておわかりいただけますでしょうか?

市井三郎論的にいう「不条理の苦痛」によって今コンテンツ産業、文化そのものが21世紀に継承することすら危うくなり、ゴミ同然の価値にされようとしている。コンテンツのタダ同然のたれ流しこそが、コンテンツの流通促進であり、それでこそIT社会、ネット社会の発展につながる、と本気で考えている人間が少なくありません。しかしそうしたIT社会の発展による「歴史の進歩のパラドックス」による「不条理の苦痛」の犠牲者にコンテンツ業界はされようとしている。それはよいとはいえない、とまともな人なら思うはずなのですが..

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だからあえていいます。

ITの急激な発達でも社会は進歩していない

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