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2009年5月17日 (日)

昨日のperfumeの記事の続きー「パクり」と「影響を受ける」は違う

さて、昨日の記事

■Perfumeはもはや敵なし!? "フォロアー"が次々と自滅している(サイゾー)

http://www.cyzo.com/2009/05/post_2023.html

に関してついつい感情的になってしまいましたが、少し冷静になりましてここでは「パクり」について考えてみたいと思います。

まあポピュラーミュージックにおいて人間が「心地よい」音楽やメロデイーというのは音楽心理学上確かに限られているという面はありますし、特に日本人は「知っている」「聞いた事がある」曲を聴くと何となく「安心する」という傾向が非常に強い国民性でもあるのは事実だと思います。その面で全く「どこかで聞いたことがある」曲を作らないというのもポピュラーミュージックでは難しい点があるのも事実です。その意味では全く「模倣部分」のない音楽って、現状のポピュラリティーでは 存在しないのも事実でしょう。

但し、ここで同じ「模倣」であってもその音楽の本質を取り入れ、それを咀嚼(そしゃく)し自分のものにしていく場合と、単なる「パクリ」-表面的な部分のみを切った貼ったでつなげるという作業では天と地ほどの違いがあることを押さえていかなければなりません。

前者は私は「影響を受ける」という風に捉え、後者はただの真似ーあえていいますがニセモノに過ぎないということになります。さて、音楽の表現上はこの両者は全く別のものだと私は思います。

偉大なアーチストに影響を受けないなどということはよほど独りよがりなものを作らない限りまずありえないですし、(実験音楽ですらそうです)偉大なアーチストより影響を受けるというのは決して恥ずべきことではありません。

問題は今の日本の業界は徹底して前者を廃し、後者のみを受け入れるという体質になってしまっているという点ですね。生きた音楽表現という意味では文句なしに前者の方があるのはいうまでもありません。

Perfumeにしても私のようなYMO世代にとっては懐かしいサウンドではありますが、それでもちゃんとPerfumeらしさが出ています。なぜなら彼女たちとそれをプロデユースした中田ヤスタカ氏はきちんと80年台のテクノ音楽を咀嚼(そしゃく)し、自分たちの音楽表現にしているからだと思います。(だから次の二番煎じプロジェクトでは失敗しているんですが..(汗) そのため誰も真似しても彼女たちを超えられないんですね。

音楽の本質をよく咀嚼(そしゃく)し、それを自分のものにしたことによって「似てしまう」のは模倣ではなく、それはアーチスト性によるものです。単に表面だけマネしてできるもんではありません。

問題はそれを「パクる」ことによって簡単にできると思い込んでしまう体質に問題があるんじゃないでしょうか?

よく音楽業界では「誰々風に作る」ということを「リスペクト」などという言葉を使っています。勿論私のいう「影響を受けた」ポジテイブなものもありますが、多くの場合単に表面的なマネに終わってしまうケースが多いように思います。ですから大半は「リスペクト」といってもまやかしになってしまうことが多いと思います。

影響を受ける」と「パクり」ーこの両者の違いを理解できない人間が多すぎるのが問題だと思います。

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