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2008年7月 5日 (土)

取るに足りないコンテンツメーカーからの提言ー配信ビジネスを真に推進するために

先月の27日に総務省よりコンテンツビジネス推進のための第五次中間答申が発表された。題して「デジタルコンテンツの流通の促進」及び「コンテンツ競争力強化のための法制度の在り方」 (情報通信審議会 第5次中間答申)
http://www.soumu.go.jp/s-news/2008/pdf/080627_7_bs2.pdf

相も変わらず「役人言葉こいつらわかりやすい日本語がしゃべれんのか!!)」で難解な文章だが、ひとことでいうと「コンテンツプロヴァイダーは自分のコンテンツを限りなくタダに近い低コストで出しなさい」という内容に読める。

そもそもJEITAにしてもそして総務省にしても共通しているのはクリエーターへの思いやりのなさである、これをコンテンツメーカーの「守る」主張と勘違いしている人がいるが、コンテンツをタダ同然に出せ、というのはクリエーターに飢えよといっているのと同じである。

何かクリエーターから権利を奪い取るのがコンテンツビジネス成功の道だと思い込んでいる人間が多いようだが、はっきりいおう、今のインターネット環境のままでは自分のコンテンツを流通させても殆どメリットがない。今の環境のままでネットでコンテンツを配信しても安売りのオプション(しかもデフレスパイラル的に価格がどんどん下がっていく)しかなく、はっきりいってたいした商売にならない。なぜそうなのかを今説明しよう。

私は音楽家なので音楽を例にとろう。ご存じの通り今midiの着メロを除く音楽配信の大半がmp3フォーマットになっているが、そもそもmp3とCDが全く同じ音質だと思っている人が驚くほど多いようだがそれは誤りであるこれは音質はSN比とサンプリング周波数のみでわかる、という勘違いする人が多いためだが、実際にはそれらのパラメーターは音質の数多くのパラメーターの中の一つに過ぎない。mp3というのは標本値のポイントをCDより1/10前後少なくしたデジタル音源で、当然のことながらCDと比べ音の解像度(きめの細かさ)がかなり粗い。 わかりやすく例えて云えばCDの音源をハイビジョンの映像だとすればmp3は昔のくし型フィルター(少し古かったかな)のないオンボロテレビの画質に相当する
パソコン程度のスピーカーだとわかり辛いだろうが、高品質なコンポステレオで聞くと音質の違いは歴然としている。嘘だと思うなら一度試されてみることをお勧めする。

同じ曲でCDの音源とmp3の音源を音質のよいスピーカーで聞き比べるといい。なるべく大きな音質で聞かれることをおすすめする。あなたがまともな音楽の耳を持っていればよほどひどいハードウエアを使わない限り両者の違いがわかるはずだ。

もうかなり前からmp3中心とした配信ビジネスにあまり魅力を感じなくなっている。そもそも今のmp3がCDに完全に取って代わるほどの音質ではないのは明らかなのだがなぜかこの点に着目した議論が殆ど見当たらないのが不思議である。そもそも音楽配信が伸びているといっても九割は携帯の着メロ、着うたでi-tunes等の純粋な音楽配信のセールスは全体の一割にも満たない。
2007年の音楽配信売上は754億円、前年比41%増~日本レコード協会調べ
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/02/22/18557.html

確かに前年比30%伸びているが元々の数字が小さいし、またブロードバンドの急速な普及を考えるとこの伸びは寧ろ鈍いといってよい。本来なら倍々ゲームくらいの伸びであっていいはずである。

つまりそもそも今流通しているコンテンツの質自体がかなり低クオリテイのものなのだ。これがmp3ではなくCDとほぼ音質が同じのaiffwavで配信できるようになれば話は別だが、それには現行のFTTHの通信速度では不十分である。少なくとも現行のFTTHのスピードより数十倍速くなければならない。
現在日本では光ファイバーがある程度普及してきているので理論的には波長を現行の赤から紫に近くすれば充分にそれは可能なのだが問題はPCのハードウエアがここ5-6年実質的に殆ど進化していない点にある。どんなに光ファイバーが普及してもCPUの演算能力のスピードが現行のままでは宝の持ち腐れである。従って現在の環境ではまだ配信ビジネスが本格的になるような環境ではそもそもない

音楽すらそうなのだから映像はなおさらのことである。現行の環境で仮に映画を配信しても充分なクオリテイの画質にはならないだろう。またユーザーもyou tubeで配信されているような画質で満足しているようでは配信ビジネスのこれからのレベルにがつく。

またCDの44.1KHZ 16bitの仕様だがこのスペック自体デジタル技術草創期のものだ。現在の音楽制作の現場では24bit 以上、マスタリングも32bit時代に突入しておりサンプリング周波数も48KHZ以上、場合によっては96KHZのサンプリング周波数でレコーデイングが行われている場合も少なくない。つまりCDのスペック自体がそもそも時代遅れになりつつあるのだ。そのためSACDかDVD-Audioのような新世代のデジタルメデイアの期待があったがメーカーのエゴのぶつかりあいでどちらも普及することなく終わりそうである。現在の状況では残念ながらCDに完全に取って替わる新しいメデイアは出てきていない。

蛇足だがブルーレイならハイビジョンの映像で映画を完全に記録できると思っている人が多いようだが、実はハイビジョンを完全な形で記録するにはブルーレイでも不十分である、ということをご存じだろうか。完全にハイビジョンが社会に定着した場合には更に新たなメデイアが必要だ。

だからといって今の配信の環境がそれに取って代わるレベルではないのは今のネット環境の話で明らかだ。ITジャーナリストの多くは配信の将来を語るときに配信というメソードを絶対視するあまり今配信されているコンテンツのレベルをきちんと勉強しているように見える人は残念ながら殆ど見当たらない。

音楽でいえばプロのマスタリングスタジオでの高品位な音を高級レストランの料理だとするとmp3は安っぽいジャンクフードレベルのクオリテイに過ぎない。CDの音質は? まあファミレス、くらいかな?要は今のネットのハードウエアの環境ももっと進化しない限り現行ではコンテンツプロバイダーは安物を安価に、下手すりゃタダ同然で配信するオプションしかないのだ。これでははっきりいってコンテンツプロバイダーにメリットがない。

ただジャンクフードばかり食べていたら健康がおかしくなるように、「mp3というジャンクフード」ばかり聞いていては感性もおかしくなり、おそらくいろんなことにも鈍感になっていくだろう。精神的に不健康になる。最近の猟奇的な犯罪が増えているのと必ずしも無関係ではないように思える。そのためにはCDと本当の意味で同じかそれ以上のクオリテイの配信が可能になるようにする必要があり配信もmp3のような低クオリテイのものから24bit,32bitのような高品位の音質のものまで消費者が選べるようにする配信システムが必要である。そのことによってデイスカウントだけでなく付加価値のついた高品位なものまで販売することができるようになりその段階になって初めてコンテンツプロバイダーに本当の意味でメリットが出てくる。

もし本当に日本という国をコンテンツの最先進国にしたいのなら今の情報通信審議会のような進め方では逆効果ばかりか、日本の文化自体が消滅するおそれがある。彼らの論点を見ていると全くずれているとしかいいようがない。本当に配信ビジネスを発展させたいのなら以下のようなことが考慮されることをー例によって取るに足りないコンテンツプロバイダーよりー提言する。

1.まず配信の速度を現行よりも更に数十倍ー百倍程度通信可能なハードウエアに進化させる。

2.クリエーターからの現場の意見をもう少し反映し、クリエーターの権利に関する配慮に関して再度検討する。(特にコピー問題について)

3. その代わりIPマルチキャスト、ストリーミングサーバーに関しては配信ではなく「放送」とみなしネットでのプロモーションの可能性を広げる。

アーチストが権利を主張するのを、あたかも政治家が既得権益を守るのと同じように見る人がいる。だがそれは違う。我々は決して特権を求めているのではない。自分が身を削る思いで作ったコンテンツの対価ー正当な報酬ーをお願いしているだけである。また一部メデイアがそこの所を混同して報道しているところがあるのは困ったものである。そしてそれを鵜呑みにする人々、 コンテンツメーカーとハードウエアが相互理解を深めお互いがメリットが出る形でないとコンテンツの先進国など到底ならないといってよい

ブログが普及し、誰もが自分のエッセイやコンテンツを発信できる「一億層クリエーター時代」が来たといわれる。そのこと自体はすばらしいことではあるが、その中の議論にプロのクリエーターとそうでない人の作品のありかたを混同している議論が見られる同じコンテンツだからなぜプロのを特別扱いするんだ、という議論だがプロとアマチュアの違いというのものをこれは誤解している議論である。プロは単にそのコンテンツで生活している、というだけでなくプロとしての責任(プロには「甘え」は許されない、アマチュアはいいわけが通る)というものが存在するし、自分の生活のために仕事をしているものと「趣味」でやっているものとはおのずからありかたが違う。そしてこの理屈は校野球の選手とメジャーリーガーの選手を同じ価値で扱え、あるいは草サッカーのプレーと世界のトップサッカー選手のプレーを同じ価値に扱え、といっているのと同じである。もっと別の極端な例を出せばクソも味噌も同じ価値にしろ、:*といっているのと同いかに短絡的な議論であるかおわかりだろう。こういう考え方はコンテンツの質を間違いなく低下させ、コンテンツビジネス自体を崩壊へと招く

今、役人、経済関係者も、そして我々コンテンツプロバイダーも「配信は将来のビジネス」という熱に犯されている。勿論、最終的にはそういう方向に行くのは間違いないが、現行の環境をもう少し冷静に見れば、焦ってことを性急に勧めると、気がついたら配信する文化自体がなくなってしまった、商材自体がなくなってしまった、なんてことになりかねない。現状の進め方ではハードメーカーやIT側、総務省側が強引に推し進めている印象は否めない、何度もいうがクリエーターの権利を奪う、コンテンツをタダがタダ同然で扱うというのは、コンテンツそのものの質の低下を招き強いてはコンテンツビジネス自体の崩壊を招く。そういう事態は誰も望んでいないはずである。その点をもう少し理解して欲しい。

いずれにせよ配信が現行のmp3かwindows media, real player のレベルでとまってしまうようなら配信ビジネスの明日はない。

*注:高校野球をクソといっているんではありません。くれぐれも誤解しないで下さい


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