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2008年6月23日 (月)

「コンテンツ制作者に冷たい日本」ーデジタルコンテンツは「文化」であってただの「ファイル」ではない

慶応大学の岸さんのコラム

「コンテンツ制作者に冷たい日本」(日経ITプラス)

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT12000023062008&landing

先週は、コンテンツに関係する政策面での2つの注目すべき出来事があった。一つは「知的財産計画2008」の決定であり、もう一つはダビング10の急転直下の開始合意であるが、これらを通じて一つの事実が明確になった。日本の政府と関係者はやはりコンテンツ制作者に冷たい、ということである。(岸博幸の「メディア業界」改造計画)

この総務省の委員会で、権利者側がダビング10の開始を容認、つまりダビング10と補償金を分離し、一方で補償金については新たな合意もどきが喧伝されてしまったため、権利者側がやむを得ず譲歩してまとまった、ということである。早い話が今まではダビングしてもメーカーか補償金が下りたが、ダビング10では少なくとも今の現状ではびた一文それが出ない。役人の空手形と口約束にいとも簡単に篭絡されてしまった、というのが現状のようだ。だが、岸さんもいってるように役人の空手形と口約束ほど当てにならないものはない。

ここでもう一度声を大にしていいたいが、

コンテンツというのは文化である。 

決して消費財ではないし、消費財であってはならない。コンテンツはデジタルでも「ただのファイル」ではなくアーチストが身を削る思いで作った文化なのだ。そこを理解しない人がこの国では本当に多い。「ファイルの一種だからコピーして何が悪いの? 何をしようが私の勝手でしょ?」という人がいかに多いか。

コンテンツの流通というのは文化、ソフトウエアを作る人間の制作環境が充実し、権利者とユーザー双方がハッピーになる条件で行わなければならない。しかし岸さんがここでも書いているように

この国の政府や関係者は、本当にコンテンツを強化しようなどと考えてはいない。「デジタルコンテンツの流通」という流行りものを追求したり、自分たちで作った合意をとにかく実施したりという目先の利益のために、コンテンツ制作者を平気で犠牲にする人ばかりなのである。

前にも書いたが彼らの視点からは「デジタルコンテンツは文化だ」という視点が全く欠けている。単なるファイルの一種くらいにしか思っていない。そういう人間が委員会の大半だから困るのだ。

今、ネットではこの「デジタルコンテンツの流通」「ネット世界の発展」のためなら全てのことが正当化されるという雰囲気がある。だが、前にもいったようにコンテンツ権利者をないがしろにし、コンテンツ制作者の制作環境(実はかなり今既に悪くなっている)が悪化することはコンテンツの質を低下させ、最後にはコンテンツ、文化そのものが崩壊する危険性を持っている。つまり、結局は「デジタルコンテンツの流通」によるビジネスチャンス今のままではデジタルコンテンツビジネスそのものが崩壊する危険性を帯びているということである

勘違いしてほしくないのは私はコンテンツ制作者としての正当な報酬について論じているだけであって、決してどこかの政治家や官僚のように既得権益を守ろうという観点からこのことをいっているのではない。そこはくれぐれも勘違いしないで欲しい。私は心のそこからデジタルコンテンツビジネスが発展して欲しいと思っている。しかしこのままではコンテンツビジネスの明日はない


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