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2008年5月11日 (日)

よい音楽コンテンツに「お金を払う」という気に日本人は本当になってくれるのだろうか

いきなり話がそれるが新癒しの音楽チャンネルの第二十回放送がアップされた。

http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/iyashichannnel/2008/05/post_3aac.html

このネット放送は20分間音楽をノンストップでオンエアするというポリシーで一年強続けてきたが、その方針の転換を行うことにした。というのもネットというものを自由でプロモーションを行うメデイアと位置づけ、かなりの時間以上の音楽のコンテンツを提示することにより、音楽のより有効なプロモーションチャンネルになりうるのでは、という期待があった。というのも音楽をフルトラック、しかも繰り返しネットだと聴けるということでそのことにより、癒し系の音楽のより本質を知ってもらい、音楽を好きになる人も増えるのではと考えていた。

しかし残念ながら一年以上それを続けて、全く成果がなかったわけではないが、期待したほどの成果を収めていないことがわかり、またネットにおけるコンテンツの価値の意識、権利、特にアーチストの権利に対する意識は一向に向上していないどころか、寧ろ逆にある意味では低下している感すら受ける。

実際にユーザーが「コンテンツにお金を支払うか」という点では既に7年前にジャパンインターネットコムがリサーチしており、「6割のユーザーが良いものならお金を払う」と解答しており、それが配信事業に対する期待をもたらした。

http://japan.internet.com/research/20010517/print1.html

しかし良いサービスであれば対価を支払うべき、とする声は多いが、あくまで「自分にとってそれだけの価値があれば」という条件付きである。実際、「支払っても良いとは思わない」としたユーザーからは、「そこまでする価値のあるものがない」という声も多く...

という条件つきだが、ここでポイントになるのはユーザーが「価値を見出すコンテンツ」とは何か、ということである。これがなかなかわからない。それに良く見ると「全てのコンテンツをフリーにすべき」もしくは、「コンテンツにお金を払いたくない」という層も4割いることを考えると、実質的に「コンテンツにお金を払う層」と「払わない層」ほぼ半々と考えていい。はからずも先日の私の記事「IT業界はコンテンツを無料で騙し取っていないか--著作権問題の奥にあるもの」を裏付ける結果となった。

結局日本人は形のないものにお金を払いたがらないのは事実のようである

私は音楽家だし、「音楽」を生業としている人間である。つまり音楽コンテンツを売って生活をしているのだが、最近時々「日本人は本当に音楽が好きなのだろうか?」と思いたくなることがある。

音楽が好き? といわれて「嫌い」という人は少ないだろう。だが口先では「音楽が好き」「音楽は文化」であるといわれても何かの場合には必ずといっていいほど音楽は後回しにされる。つまり音楽の重要性が語られる一方で、いつも最初に切り捨てられるのは音楽だ。だからあえてもう一度問いたい、「日本人は本当に音楽が好きなのだろうか?」。

よい音楽コンテンツに「お金を払う」という気に日本人は本当になってくれるのだろうか、と

勿論、巷にあふれる「音楽コンテンツ」、特に地上波で垂れ流しされているクオリテイの低い音楽がそういったイメージを下げている面はある。しかし実際には「大衆が目に触れないところで」クオりテイの高い音楽は結構多いのだ。日本での最大の問題はそうした音楽がなかなか広まらないこと。それの解決方法にネットがあるのでは、という期待があったようだが、例によってネットに期待しすぎると失敗する。今回も今のところそのパターンである。

また有料配信が日本でなかなか普及しないのは、セキュリテイに対する不安、特に個人情報の保護の意識が甘い、という面もありユーザーが日本のシステムを信用していないという面も大きい。日本のネットセキュリテイの甘さは海外のハッカーでは有名らしく、海外からの攻撃が耐えない、加えて企業のセキュリテイに対する意識もまだまだ低く、日本のファイアーウオールは穴だらけだという。そんなところで電子決済をして不安になるな、というほうが無理だ。

IT系業者側の個人情報の管理の意識の低さも問題だ。顧客情報をウイニーが装備されているパソコンに平気で移すなんてどうかしている。これは犯罪者に渡すために確信犯でやっているか、セキュリテイの感覚が麻痺しているかのどちらかだろう。(両方かもしれない) そうしたものへの管理体制、意識は日本にIT企業はまだまだ低いといわざるを得ない。これじゃユーザーがECやネットでのクレジット決済がなかなか普及しない原因もうなずける。とにかく何でも見境なくコピー&ペーストできるのが当然という考え方を変えるべきだが、ネットユーザー全般にその意識がしみついてしまっている。、

いずれにせよ、以上のような背景からネットに対するコンテンツ配信の方針、戦略をもう一度見直す必要を感じている。癒しの音楽チャンネルは続けますが、以前ほど頻繁に更新しないと思う。どういうコンテンツにした方が配信する我々も、そして勿論ユーザーもハッピーになるのか、それをもう一度考えたいと思う。

どういう方向にせよ音楽家として、音楽を生業としている者として、全ての音楽コンテンツが不毛になることだけは避けたい。

最後に「ネットに情報を出せば全てうまくいく」なんていってきてもいまどきそんなセールストークを真に受ける人はいないと思うよ。IT業界の営業部の諸君、一週間に必ず何回はこの類の連中のセールス電話に悩まされるが、正直うざったく感じているのも事実なので...


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2008年5月 7日 (水)

イタリア村とセラビリゾート倒産

イタリア村:東京地裁に自己破産を申請 名古屋

http://mainichi.jp/photo/news/20080507k0000e040079000c.html

実はこのイタリア村を開発したセラビリゾートという会社と私は浅からぬ縁がある。

今から4年ほど前に山梨の八ヶ岳にセラビリゾートの「大地の園」がオープンした時にピアニストとして、デイレクターとして関っていた。
「大地の園」は音楽と自然美あふれるリゾートをキャッチフレーズに大量の音楽家が敷地内で演奏し、夜にはクラシック中心だがコンサートも行っていた。私自身はピアニストとしてかなり演奏していたし、また私自身の会社としても初めてインペグ業に手を染めた仕事だった。

チーフデイレクターを勤めていたH氏は声楽家でもあり、かなり懇意にしていたが、二年目から音沙汰がなくなっていた。何となく愛知万博も終わり、事業も今までとは雲行きが変わって行ったことも感じていた。スタッフは全員解雇されたのかと思うと残念である。

ちなみに「大地の園」の時も同じ問題を起したが、この「イタリア村」も木造建物の市条例違反という問題を起している。八ヶ岳と同じ失敗を犯したわけだ。愚かな...

このセラビリゾートの社長は多くの破綻した「リゾート」をはじめ、経営破たんした「北の家族」も一時業績回復させるなどの立て直し屋として知られたが自らの会社は立て直せなかったという皮肉な結果だ。デフレ時代の申し子と呼ばれた実業家がまた一人退場ということだろう。 ワンマン社長はうまくいっている時はいいが、つまずくと取りとめもなく落ちていく。

あの仕事は八ヶ岳牧場の乳製品や温泉も楽しめた、結構楽しい思い出のある仕事だったが、長続きせず結局こういう結果になったのは残念である。友人のH氏は今どうしているか、気がかりである。


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取材を受けました

本日音楽雑誌「大人のロック」の取材を受けました。

「大人のロック」日経BP社

http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/rock/

これは60年代、70年代のロック音楽黄金期のアーチストの情報を中心に取り上げている雑誌で、公称10万部発行の季刊雑誌です。ターゲットは勿論30代以上の世代です。私ももろに「ロックオヤジ」世代に入るものですから、雑誌を時々立ち読みはしておりました。

ここで今回「癒し系ヴォーカリストを探せ!!」という特集で私に白羽の矢が当たってしまいました。業界で「癒し系」というと相も変わらず私のところに来るパターンですが、もともと「ロック音楽」と「癒し系」というのは相容れない部分もあるので最初は悩みましたが、しかし中には心に残る名曲、いわゆるヒーリングの範疇に入れてもおかしくない曲というのは確かにあるので、その中の12人のアーチストの12曲を取り上げました。

どの曲かは読んでのお楽しみですが、結果的に割りとみんながよく知っている曲のリストになってしまいました。まあ人によって異論等いろいろあるかとは思いますが...

・掲載号」「大人のロック」15号(5月31日発売)

特集「癒しロックヴォーカリストを探せ!」

・日経BP社

全国の本屋でお買い求め下さい。


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連休明けて...

連休はご他聞にもれず、家族サービスにも負われ、しかも母親が入院と肉体的にはややヘロヘロです。

でも以下の仕事を至急こなさなければなりません。

1.リリーズのアレンジ 3曲(うち2曲は昨年の再アレンジ)

  だいたい6-7割方はできていますが、本番はこれからというところ。ここ1-2週間がヤマかも

2.CM音楽 

地方CM用のオリジナル音楽、まだ頭の中でラフにしかできあがっていない、本格的作業は映像ができあがってからでしょうが、来週あたりがヤマ?

で、後程詳しく述べますが本日音楽雑誌の取材に応じます。
私の仕事場での取材です。

というわけでなかなか肉体的にも精神的にも立ち上がりが遅いですが多忙モードに突入します。

加えて今月中に会社の決算書も作らねばなりません

実はまだ何もやってませんげっそり
昨年度は業績が悪かっただけに気が重い...


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2008年5月 1日 (木)

IT産業もハードメーカーもクリエータへの思いやりがない

慶応大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構准教授の岸さんのコラム

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT12000026112007

この人は確かにエイベックスの取締役でもあるからIT関係者から「音楽業界のロビイスト」と罵られたりしたし、音楽業界の保守派からは{IT業界のまわしもの」と忌み嫌われている。しかしその考え方は非常にバランスの取れた視野の広いものだと思う。

>1つはデジタル放送におけるコンテンツの複製を巡る権利者とハードメーカーの対立であり、もう1つは、ネット上で違法にアップロードされたコンテンツのダウンロードも違法とすることに対するネット寄りの人々からの反論である。双方に共通するのは、クリエーターに対する思いやりの欠如だ。このままでは、プロのクリエーターのデジタルやネットに対する不信が増大するだけであり、ネットによる社会の変革もソフトパワーの強化も絵に描いた餅となりかねない。

こういう視点でものを見れる人がIT業界のみならず、実はコンテンツ制作業界にも少なくなっているのは最近肌で感じている。現在、「IT化」で本来一番恩恵を受けるはずのクリエーターは現場で一番恩恵を受けていないというのが一番の問題である。

また「はてな」の梅田氏が対談集「フューチャリスト宣言」で「全てのコンテンツはフリーであるべき」と受け取れる発言を行い、IT関係者から喝采を受けている模様だが、IT関係者でおそらくコンテンツのクリエートの現場を知っている人は殆どいないため、それがどれだけ大変な作業であるかを理解している人間は少ない。それが事態を悪化している。どうも全員ではないが、一部のIT業者の中に変なエリート意識があり、モノ作り、コンテンツ作りを「旧態依然の産業」と決め付け最初から見下すような態度の輩も少なくない。

特に以下の発言はおおいに賛同する

JEITA(社団法人電子情報技術産業協会)もMIAU(インターネット先進ユーザーの会(MIAU))も、個々の論点に関する主張には理解できる部分もあるが、全体として、制度変更に対する批判ばかりで、その前提としてクリエーターに対する思いやりが足りないのではないだろうか。今回文化庁が提示した制度改正が最善の策とは思わない。しかし、現行著作権法の抜本改正がすぐにはできないなか、深刻化した違法コピーとダウンロードへの対応として、権利保護の強化は止むを得ない面を持つのではないだろうか。

 デジタルとネットの普及でクリエーターは所得機会の損失という深刻な被害を受けている。MIAUは「一億総クリエーター」という政府の標語を引いているが、プロとアマチュアのコンテンツは分けて考えるべきである。放送局やレコード会社などを含むプロのクリエーターは、作品から収入を得ているのであり、その収入が激減するのを放置したらどうなるだろうか。ネット上でのプロのコンテンツの流通が増えるどころか、プロの道を志す人が減り、日本の文化の水準が下がる危険性もあるのではないか。

全く同感である。特に「全てのコンテンツがフリーであるべき」と考えている情報機器ハードメーカーの人たちや、IT業者の人たちに言いたいのは、一度映画や音楽の製作現場を実際に見てみるといい、少なくとも彼らが考えている以上に「クリエートする」というのは大変な作業であり、音楽も映像も「簡単にできるもの」ではないということがそれによってわかるはずだ

結局この「クリエートする」ことが文化を支えていくものである。彼らの視点からは全くこの視点が欠けている。結局、文化や創造性というもの(当然それには権利が発生する)への理解の欠如が今日のITのコンテンツ事業の停滞を生んでいるのではないだろうか。これは結局は電気情報技術メーカー」もIT業者も自分の首を絞めていることになるのである。そのことを理解しない人間が多すぎる。

岸さんのような人間がもう少し増えれば日本のデジタル文化の未来に希望が持てるのだが....


フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656)

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