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2007年12月30日 (日)

いわゆる「IT革命」と音楽業界への影響について

2007年ももうまもなく終わる。

昨日の日記でもアーチストのインキュベーションの難しさを実感した旨をブログに書いたが、ご存じの方もおられるようにいわゆる「メジャー」のアーチストのプロモーションの主流として地上波のテレビ番組のタイアップが中心に行われており、そこには当然金を大量に必要とする、というのが前提となっている。宣伝費をかけられる者だけが容易にプロモーションできるといった業界環境がもう10年以上続き、当然ながら「資金力」や「政治力」の強いところが有利となる。無名の新人がいきなりそういった環境のもとでデビューするのは不可能に近いというのが現状で、かくして次の世代を担うアーチストが出辛い状況になっている。

そこでインターネットの普及に伴い、音楽業界のありかた、アーチストの新しいプロモーションの方法等が考えられないかという期待があった。いわゆる「IT革命論」というものがメデイアをにぎわした時、正直いって私もそれに大きな期待をかけていた。だが、少なくとも2007年末現在、その面でははっきりいって期待はずれになっている。

ブロードバンドの普及はだいぶ進んだ。日本は普及率では第六位の38.6%らしい。最近伸び悩んでいるという情報もあるようだし、今後どれだけ普及するのかは不明である。しかし一定のレベルまで現在普及したという認識でよいだろう。

しかし、「IT革命」といわれるような現象は現在のところ全くといっていいほど起こっていない。インターネットによる「技術革新」は確かに起きた。だが「革命」とは価値観が根本的に変わることである。現在価値観が本当に根本的に変わったかは今の世の中を見れば応えるまでもなかろう。

1.メデイアのヒエラルキーは全く変わっていない。インターネットが地上波テレビについで二番目になったといわれるが、二位でも一位にいまだ大差をつけられての二位である。地上波のテレビの社会の影響力は現在でも突出しており、2011年のテレビの前面デジタル化になってもコンテンツの質を考えると変わらないだろうといわれている。最近、地上波のテレビ側もそれを背景に一部の人間が以前にもまして傲慢、時には暴力的にすらなっている。昨今のテレビの捏造事件や某スポーツ番組の視聴者を舐めきった番組作りなどを見れば明らかだ。

2.インターネットは本来いかなる個人でも大企業に「匹敵する」情報発信力を持ち、ネットの世界では個人商店も大企業も対等に勝負できる、「はず」だった。しかし実際には大企業のサイトの力は他を凌駕しており一部を個人をのぞいてアクセスアップやネット界への影響力という点では「格差」が生じていてヒエラルキーは変わっていない。

3。そしてインターネットはユーザーに平等なメデイアだから、不公平な格差は生じないー? ? ? ー一体どこの誰がこんなことをいったんだ? K首相やT経済相の「構造改革(といわれたもの)」の推進した政策でどれだけの格差が生じたか、いわゆるワーキングプアといわれている人たちが大量に発生したか、ここで述べる必要もないだろう。
もしかしてIT革命論者の皆さんーこれがあなたたちのいう「理想社会」なのだろうか?

誤解しないで欲しい。私は本音は「IT革命」という価値観の変革が起こって欲しいと心底願っている人間である。だがいわゆるメデイアなどで登場するIT革命論者(あえていうー「自称IT革命論者」)の全部とはいわないがその殆どは全くのまやかし、にせものであるといって差し支えない。

特に堀えもんや三○谷を「IT革命家」であるかのように思っている輩がいまだに多いが、彼らははっきりいって「IT」の皮をかぶった単なる投機屋に過ぎない。彼らの行動にはITに関する哲学ー特に経営哲学などは全く感じられず。単に値上がりする可能性の高い株を買いあさり売りさばくという点では両名とも共通している。投機や株の投資は経営者としてある程度必要なのは確かだが、最近一部、特に若手の経営者に顕著だが、本業よりも投機やM&Aにエネルギーを過剰なまでに投入する傾向が強いのはあまり感心しない。これはいわゆるアメリカの投機中心の経営者モデルがもてはやされているからであるが、形だけ猿真似したところでうまくいくはずがない。ちなみにコムスンやNOVAの社長も本業よりは投機に走り経営者として墓穴を掘った例である。こうした悪例があるにもかかわらずいまだにこうした経営者モデルを良しとする経営者が少なくないのは驚くべきことである。

こうしたテレビ等の露出が多い自称IT革命論者は、IT夢物語をマスメデイアに流すことによって自らの会社の株価を可能な限り上げようという思惑がある。またNHK等を除くマスメデイアも投機運用のために会社として「IT株」を実は大量に買っているのは、証券関係者なら誰もが知っていることだからマスメデイアにとっても「IT夢物語」を可能な限り流布した方が会社としての収益につながる。そうした思惑でかなり本来の考えとは違う「IT革命論」が社会に広がりあたかもそれが正論であるかのうように社会に定着してしまったのである。更にT元経済担当大臣のやることすべてが「改革」でそれに異を唱える人は全て「保守派、守旧波」などという短絡した「改革論」がはびこったのもそれに追い討ちをかけた。

「改革」なんて行われていない。-いわんや「革命」なんて起こっていない

なぜなら価値観は全くかわっていないからである。。少なくとも今のところは......

じゃあ、「IT革命」なんて絵空事なのか? 全くのウソなのか?

という前にそもそも「IT革命」とは何なのか? それを本当に私たちは理解しているのだろうか?
実は全くわかっていない。ただ言葉の響きに踊らされているだけだ。

実はIT革命、というより情報革命というのは確かに人類が文字を発見し、使用し始めた頃から存在する。古代中国での紙の発明からグーテンベルクの活版印刷の発明などはいずれも、人類社会におけるコミュニティの規模的拡大を推進した大事件だった。そして無線、電話、そしてラジオ、テレビ等の革新が起き、遠い時空の出来事も瞬時に情報を伝え、それが「価値観の変更ー革命」につながっていった。マクルーハンのいうように「メデイアはメッセージ」であるが故の出来事である。それを考えると確かに少しづつ目に見えないところで「価値観の変動が起きる」可能性が確かにある。

そうした情報の革命、情報のありかたから社会構造ーポストモダンの社会背景におけるIT革命について的確に述べたブログを見つけたので記しておく。だいぶ前に書かれたブログのようなので一部の人には今更といわれるかもしれないが

・浅薄なメディア論に疲れたあなたに贈るIT革命論 (2005/04/25 03:5)
http://japan.cnet.com/blog/kenn/2005/04/25/entry_it_3/

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確かに産業革命が起きはじめてからはっきりとした形になるまで数百年を要した。今度もしIT革命ー情報による革命が起きたとしたらその数十倍の速さでしかも数十倍の規模だ、と云っていた人がいた。その予想が当たるかどうかはともかく、インターネットが普及してまだ十年余、確かに目に見える価値観の変化が起きることを期待するのは無理かもしれない。

しかし音楽業界の人間としていわせてもらえば、現在の業界の状況、特にこの世界で働く作曲家、演奏家(プレーヤー)等「使われる」立場の人間からすればIT革命の価値観の変化を何十年も待っていられるような悠長な状況でないことも確かだ。その前に業界自体が維持できなくなるかもしれない、というほど今の状況は深刻だ。私の会社も奥津恵(写真)のインキュベーションを行わなければならないので同じくそんな悠長なことを云っていられない。音楽業界が本来ITや情報革命では寧ろ主体的な役割をー何といってもコンテンツなのだからー果たさなければならないのだが逆に情報革命の波に対して受身的にならなければならない、というのは正直辛いところである。
だが同時に希望も捨ててはいない。なぜならコンテンツホルダーという「情報を作る」立場にいる人間には必ずチャンスが訪れると信じているからだ。

産業革命時、特に鉄道が出現したときは当時の投資家の金は鉄道会社に集中した。しかし鉄道会社は設備投資や維持費ばかりかかり収益をそれほど上げることができなかった。何やら最近のIT熱に煽られてIT株を買う話に似てないだろうか。しかし産業革命当時一番儲かったのは、荷物の配送業者や旅行代理店ーそう、鉄道の関連会社であった。同じように今もてはやされているIT業界だが、実際に本当にもうかるのはIT業者ではないかもしれない、いや実はそのIT技術を利用した関連会社の方だという可能性はあるのだ。音楽コンテンツーまさしく関連業界だーに充分その可能性はあると信じている。尚、これは必ずしもいわゆる「音楽配信」といったものとは限らないと思う。私見では音楽配信は「有料のプロモーション」にはなりうるが産業の中核になる「可能性は低いというのが正直な印象だ。

あと、東浩紀氏によるとIT革命が実際起きたにしてもそれは「近代」の流れの中にいる現代ではなく、いわゆるポストモダン社会、つまり国とか国民といった枠にとらわれずに多様化した価値観を持つ人間が多数を占める社会、においてではないか、という説もある。理論的にはそうかもしれない、しかし正直私は今の日本人を見て果たして本当にそうなるのか懐疑的にならざるを得ない。そもそも島国根性が強く、ネット右翼ーアイデンテイテイを安易に国家に求める輩ーが幅を利かせるような国民にそもそも「ポストモダン」など訪れるのか、というのが正直な疑問だ。この点では残念ながら悲観的にならざるを得ない。もしかしたらIT革命は日本にだけは起こらないのかも知れない。

特に島国的、村社会の論理がはびこっている音楽業界やテレビ業界の現状を見てしまうとこの業界に「ポストモダン」など無縁だと思えてならないのだ。もしかして音楽の世界だけIT革命から完全に取り残されたりして?

いずれにせよ結論として少なくとも現在は"IT革命論”をあてにして音楽業界の再生を願うのはういささか時期尚早のようだ。それでは既存の手段、古典的手段に頼るしかないのか。いや、何かあるはずだ、と願いたい。

はっきりいえるのはこうである。決して費用対効果が高いとはいえなくなってきている地上波TVの「タイアップ」等の既成概念に惑わされることなく、音楽業界が産業として立ち上がった草創期の発想に戻るべきかもしれない。これは決して「昔は良かった」とかいっているのではない。産業としての原点に戻るべきだ。初心に帰るべきだ、といっているのだ。そうした上でインターネットを含む現在のメデイア環境をどれだけ有効に、効率的に使うか。それしかないであろう。

あと「ライブ」というものが今までに増して重要になる。なぜなら音楽は「ファイル」として、コンテンツとしてサイバー空間に広がるが「ライブ」というのは本当にその場にいなければ「体験」できないことだからである。ライブをWindows media等の「コンテンツ」を見てそれで全て体験した気になっているとしたら、それは「ライブ」という「体験」がどういうものかわかってない証拠だ。音楽というものを理解してない証拠だ。そういう人はおそらく実際にコンサートに行った経験がない人なのだろう。音楽芸術が他の芸術形態と最大に差別化できる特徴であり、音楽だからこそ提供できるシチュエーションである。それを生かさないでどうしようというのか?





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コメント

ご推察の通り、放送免許に守られた既得権駅舎であるメディアは「通信」に過ぎないインターネットが、「不特定多数への伝達=放送」を脅かすことをまったく望んでおりません。
あくまでも先に「放送」があって、それをエイドする形で「インターネットによる広告、投票、アンケート」を使いたいだけです。

何しろ、デジタル録画は1回きりにする、デジタルビデオのHDDからDVDに転送した時点でHDDから原データを消去せよ、なんて無体なルールを家電メーカーに強要している連中です。

インターネットで自由な時間に、視聴者の都合に合わせて番組が見られる、なんてとんでもないと思っていることでしょう。

音楽業界の方は、こちらは免許で守られているのではありませんが、先発組がテレビや広告屋を押さえ、プロモーション、タイアップに断然有利な状況です。曲を聴く前からのメディア、販売店への露出により信用力・ブランド力で客層を捉えているため、インターネットによる配信は相対的に効果が薄められてしまっているようです。

どうも音楽業界も放送業界も部外者からはよく見えませんが、新規参入者をはじきとばすガラスの壁があるようです。

投稿 ミハイル | 2007年12月31日 (月) 03時25分

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