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2007年11月30日 (金)

鵜川氏逝去と彼の桐蔭学園について

お断り:当ブログは「音楽関係のブログ」のため本来は私のもう1つのブログ”Kyojiのよろずひとりごと"に転載すべき内容ですが、この記事を書いていた当時はブログをかき分けていなかった点と、記事の反響が予想以上に大きかった点とこの記事の内容に嘘偽りがないことをOB関係者のコメントによって証明されたこともあり、記事をこのままにしておきました。念のためこちらにも同様の記事を掲載しております。
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20071201

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正直いってこれをブログに書こうかどうか迷っていた。正直かなりの葛藤があった。もしかしたら「死者を鞭打つ」ことに結果的になるかもしれないから、 また当学校OBに鵜川氏を熱烈に尊敬し、中には本当に「神」のように崇めているいる人すらいるのも事実。そういう人たちを刺激するかもしれない、実際この関係で当ブログのアクセス数も増えた。

だがこの学校の本当の姿は卒業した人間でないとわからないであろう。それについてあえて今だからこそ公開した方がよいと思った。一部のOBからの批判や反発を買うことを承知の上で

一昨日(日付では3日前)、ブログ記事では建前上「ご冥福云々」と書いたが、ここであえて本当の本心を書かせていただきます。

率直な印象は
「驚き」はした。だけど「ふーん」という感じ

正直いって悲しみなど覚えない。もっとはっきり本心をいうと「どうでもいい」

寧ろ私がお世話になった大学の市井三郎教授が急逝した時は本当に深い悲しみを覚えた。また高校や大学の同級生でまだ若いのに他界したのを聞いた時も悲しい気持ちになった

だが今回はそれが     

ない

確かにあの高校にいたから、インフルエンザで最悪の体調で大学受験しても現役で大学に入れた。滑り止めしか受からなかったけど一応現役で入れた。

それは感謝すべきことなんだろう。

高校時代に本来ならもっと経験すべき多くのことができなかったが、それは別にあの校長のせいではない。それは私自身の責任、問題、校則が厳しかろうがいわゆる男子校(当時は女子部はなかった)という制度のせいにはできない。もっと私なりに創意工夫があればその程度の問題は乗り越えられただろう

だが

あの学校で行われたのは本当に教育だったのか

というと 

断じて それは

違う ..........

よく考えて欲しい

一学年600人、これだってまともな教育をしようと思えば多すぎる数だ。

それが女子部が増えたとはいえ、今は一学年1800人 (!!) 

この人数では教師の数がどんなにいようが行き届いた教育などできるはずがない。これはもはや学校ではない。 没個性的な規格人間の工場である

そう、あの学園は某M菱が作った学校、 上司のいうことに盲目的に従い、与えられた枠の仕事のみをきちっとすることだけを考える没個性的「企業人ロボット」の培養工場、というのが正しい表現だ。

実際あの鵜川氏の理想は「官僚主導の国家主義的資本主義」 そしてその理想に最も適した人材を養成する、それが桐蔭学園の基本理念である。

そう、岸信介からの戦前のメンタリテイを色濃く反映した保守右派の考え方である。鵜川氏はその熱烈な支持者だった

そのため校則は戦前の軍隊学校を思わせる内容だった

そしてそれに従わない者には容赦ない「鉄拳」が待っていた。普通の学校なら暴力沙汰で大問題になるはずがなぜかこの学校では全て不問、私の記憶が確かなら在学中も少なくとも教師の暴力で4-5人の入院者が出ている。そして言葉による今でいうパワーハラスメントなど日常茶飯事。

ちなみに私の頃は男子校だったので教師も遠慮なしにそういう行為に走っていたが、女子部ができても同じような行為をしていたのだろうか。まさかいたいけな女の子に拳でぶんなぐり、竹刀で何回もぶったたき、なんてことを実際したかどうかまではわからない。いくらなんでもそこまではしていないと思いたいが...

まあ、そんな学校を作った人物である

だがこの理念は日本の保守層(特に右派や殆ど右翼(いわゆる経済右翼と呼ばれる人たちが中心)といっていい人たちまで)、自民党の右派や財界関係者にはものすごく受けた。そして「学校ビジネス」としては大成功した

東大が一時100人に迫った? 早大、慶応の合格者は他の学校を圧倒 !?
そりゃそうだ、一学年の1800人もいればね。

鵜川氏は教育のビジネスマンとしては間違いなく一流である。なんといっても一代で膨大な学園地を作り、横浜市の丘と藪しかなかった場所に巨大な学校を建てた。それはいい悪い、好き嫌いは別としてすごいことだ。

だがあくまでビジネスマンとしてだ。  教育者としてではない

少なくともこの学校から私が直接受けた人生観やその他の精神面での影響は

皆無といってよい 

お前には愛校心がないのかって?

そりゃ少しはありますよ。 最近は全然駄目だけど野球部が甲子園に行った時はうれしかったし、今はラグビーも強いようだ。スポーツでも名を上げている学校ではあるが...

しかし残念ながら早くもほころびが見えてきた
鵜川氏の他界の前日に不祥事が起きた

桐蔭学園高1年の男子柔道部員を逮捕/横浜・青葉区で路上強盗【速報】
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiinov0711605/

まずいことにこの柔道部員「先輩と酒を飲んだ」と供述しており事実だとすればこれは一人や二人の退学処分では済まない。

柔道部は桐蔭の運動部の中でも伝統ある運動部であるだけに
不祥事が発展すると
桐蔭のダメージはかなり大きい

たぶん、不祥事はこれだけじゃないと思うけどね。表に出ていないことがおそらくたくさんある。

ついでにいえば

桐蔭は「受験もスポーツも強いー文武両道の人材を育成している学校だ 」
などとプロパガンダしていますが




真っ赤な嘘 

スポーツ特待生と普通の受験生が両方いる

1800人もいればピンキリです

ちなみに次期校長と目されている榊原氏
我々は「バラキ」と彼を呼んでいた。 元野球部の部長
鵜川の腰ぎんちゃくといわれた男(私が言ってるのではありません、念のため)
勿論カリスマ性では鵜川氏に数段劣る。

誰がなっても鵜川氏のような指導力を発揮するのは無理

この学園の 周落は
避けられない   残念ながら

だから申し訳ないですが、この方が死んでも
悲しみは特に感じません。
もっとはっきりいえば  「どうでもよい」

これが私の本心です。 

|

コメント

鵜川昇は毀誉褒貶のある人でもあり、桐蔭生OBが批判的なコメントを書くのを止めるわけでもないが、もう少し洗練された文章の方が読みやすい。
     (11期生)

投稿: 竹見信夫 | 2007年11月30日 (金) 18時01分

文章が洗練されているかいないかは主観の問題なので、読み辛かったということであればそれは「申し訳ありません」というしかないですね。

ただここには嘘は書いてはいないことはお認めになるでしょうか?

投稿: Kyoji | 2007年12月 8日 (土) 11時11分

没個性というけれど・・・
寧ろ西川史子や、やくみつる、織田裕二みたいなちょっと変わった卒業生が多いと思う。

数に埋没しうる教育からの反動のような。
自分の経験では、日吉キャンパスで変わった奴がいたらそれが桐蔭生だったことも少なくなかった。

投稿: 吉田 | 2008年3月26日 (水) 21時25分

ご意見に賛同します。
私のころには女子部できかけてましたが、
方針はおっしゃるとおりでした。

個人的な問題ですが、私はこの軍隊的学校卒業後、
いまだにほぼ引きこもっています。
私の頃には、「切り捨て型教育」でしたね。
スパルタ進学校だから、辞めたい生徒はいつでもどうぞ的な。
80年代で内面的な悩みが避けられがちな時代に
ムリして通ってた記憶が思い起こされます。

投稿: 卓 | 2008年5月13日 (火) 16時03分

すみません。しばらく見ないうちにOBの方からずいぶんコメントをいただいていました。
襲いレスでごめんなさい。

吉田さん

おっしゃることはわかります。「没個性」というのは鵜川氏が寧ろ目標としていたところですが実際にはその反動でかえって、一クセも二クセもある人間の方が結果として多くなっています。

というか私がみたところ両極端にふれていますね。没個性的な人間と極めて個性的な人間、権力に従順、長いものに巻かれる人間と、どちらかというと権力やオーソリテイに対して反抗的な人間、中間があまりいないかもしれません。

卓さん

はじめまして。引きこもっていらっしゃるんですか。実は結構そういう人間も多いですね。
1800人もいれば一人や二人自主退学しても痛くもかゆくもないですからね。私が「生産工場」と揶揄したのはまさにその点です。

しかしこれから少子化の方向に行く現在、一学年1800人も集まるんですかね。集めようとしたら生徒の平均レベルが落ちるのは避けられないと思いますが... ただでさえ「ゆとり」で平均レベルはものすごく下がっていますからね

投稿: Kyoji | 2008年5月16日 (金) 17時31分

初めまして。私は今から丁度30年前に桐蔭を高3で自主退学した者です。今は横浜で税理士事務所を開業しています。大野さんについて全く存じ上げない者でしたが、先日たまたまこのブログを発見し、私がこれまで抱き続けていた同校の独特な教育方針に対するある種の感慨と、殆ど変わらないご意見をお持ちの方がいらしたことに深く感銘を受けました。私の場合は、直接暴力による教師への盲従化と、個性排除を徹底した人格の鋳型化を促す教育方針に拒絶する意思を、卒業間近に中途退学するということで表示できたと思います。そしてこのことが、その後大きな精神的支柱となって、紆余曲折した人生を乗り切れて来れたと思っています。ただ、大企業の歯車となり生涯を全うしたい方には、理想的な学校だったと思いますが。いずれにしても、前学長の死により、私自身の半生も何やら一つ清算されたように感じています。
今後のご活躍を心からお祈りいたします。
(卒業していたら多分12期生でした)

投稿: ROYSTA | 2008年6月16日 (月) 14時53分

初めまして。

私も上記の方と同じように前学長の死によって自分の心にあった何かが氷解していくような思いを感じました。

あの学校で過ごした日々は私の人生に強い影響を与えたし、今後も忘れることはないでしょう。

kyojiさんを含め、この記事に書き込まれた方々と同じ感情をあの学校に対して抱いています。

自己の支柱が折れそうになった時、あの頃の事を思い出して肉体を奮い立たせています。

皆様もそして、数多くいるであろう同じ思いでいる人達もお互いに頑張っていきましょう。

長文悪文失礼致しました。

投稿: 遠藤 | 2008年12月28日 (日) 19時19分

みなさん いろいろとコメントありがとうございました。

鵜川氏が死去して一年以上経ちました。

あの学校に関しては私も皆さんもいろいろと思うところがあると思いますし、これから少子化の流れの中で思うように生徒が集まるか、あのような教育方針を続けることができるか、疑問な点は多々ありますが私個人としてはこのブログで実態をありのまま書いた段階である程度精算できた感じがあります。

あとの思いは私の胸にしまっておこうと思います。

皆さんがすばらしい人生をお送りできますように

投稿: Kyoji | 2009年1月 3日 (土) 14時33分

私の人生にとって桐蔭学園はあまりにも大きな存在であり、卒業して長い年月が流れましたが、今でもこの高校に進学したことは人生最大の失敗であったと思っています。

実は入学前の健康診断時、教員の生徒に対する汚い言葉遣いを聞いて私はこの高校はまともな所じゃないと感じるものがありました。しかし、結局桐蔭に進学してしまいました。

入学時から異常なほど厳しい校則、校長はじめ多くの教員による生徒への暴言や暴行、そして父兄に対しての暴言さえもありました。

私も暴言や暴行は何度か受けました。しかし、今思えばどれも理不尽なものばかりです。実際高校時代こんなことがありました。ある授業で私は「教員自身だってこんなこと(生徒がやられている様々な教育と称した締め付け)をやられたら嫌なはずだ」という文書を授業中提出したのです。後日教員から「その通り」という返事が返ってきました。彼らは自分がやられたら嫌な事を生徒に対して行っているという意識があったのです。

教育に関しても教員は「(桐蔭の生徒は)中学高校入学の時はできるのに何で高校卒業の時はこんなに出来なくなっちゃうのかね」、「できない生徒が『有名大に行きたい』なんて言うのを聞いて、こっちは(教師は)心の中で笑ってんだ」とか、そんな暴言をよく父兄会等で吐いていました。

私は高校卒業後とある名門大学を出て今曲がりなりにも国際的な協力のもとで本物の学問を追及するという仕事をしています。受験とはレベルも内容も全く異なるものです。その私から見て当時の教員のそれら暴言には全く正当性がないということがわかります。つまり教えている教師自身が実は自分の専門科目を全く理解していなかったのです。私は今国際的な本物の学問の世界で生計を立てているのでそれがわかります。

何も理解していない教師から、生徒は何も学べません。ただ今でも私が悔しいのはかつての同級生達が今でも「自分が馬鹿だったから希望の大学に行けなかった」と思っていることです。私は言いたい「お前は桐蔭に合格できるほど優秀だった、ただ正しく教えてくれる教師がいなかっただけだ」と。高校時代ある教師に質問をして「僕に聞かないで、わからないから」と言われたことを今でも忘れられません。

あれほど傲慢に教師が生徒や父兄に接するのはなぜなのか?私は心理学の本を読んだり、大学教授と話し合ったり、あるいは宗教活動をしている人等と接することで自分なりの答えが出ました。おそらく傲慢にふるまう教師は「本物の実力を持っていなかった」のだと今は考えています。実力が無いから自分の願いを叶えることが出来ない、だから人生に不満がある。その不満の捌け口が桐蔭の生徒や父兄に対して暴言や暴行を行うということだったのと思います。

たとえその傲慢な態度が世間一般に許されなくても桐蔭の中では許され、生徒がそれに反駁すれば腕力のある教師が出てきて教育という名の下の暴力行為(その腕力のある教師も本物の格闘技の実力は決して強いほうではない)があり、その暴力行為の事実を隠蔽してしまう桐蔭の体質が傲慢な教師を守ってしまっていたのだと思います。実力の無い教師は守られているという安心感があるからまだまだ傲慢な態度をとり続けたのだと思います。実力を試される桐蔭の外の世界では到底そんな傲慢でいられるはずも無いにもかかわらず。

朝礼の鵜川校長の話は「辞めたい奴は辞めろ、金なんか返してやる」とかそんな話ばかりでした。それならなぜ最初から「桐蔭学園の異常なまでの厳しい校則、常に教師が正しく生徒が間違っているという体質、教員の暴言や暴力容認」というような真実を受験前に伝えなかったのでしょうか?そういうことが最初から分かっていれば多くの生徒は桐蔭を受験しません。そうすれば「辞めたい奴は辞めろ」などという必要すらなかったはずです。

私は桐蔭学園は楽しい青春時代を送れず、社会人になっても様々な人生の不満を持つ教員が「勉強ができる桐蔭の生徒が妬ましい、そんな桐蔭生に楽しい青春時代なんか遅らせてたまるか」という深層心理を持ち、不満をぶつける為の学校でしかなかったと思っています。

今私が曲がりなりにも学問を理解しているのは、桐蔭卒業後ちゃんと学問を理解している人に出会ったからです。

あの学校は生徒のためにある学校ではなかったと思っています。

投稿: 賛同者 | 2009年8月16日 (日) 00時06分

賛同者さん こんにちは
私は男子の12期生でした。賛同者さんは何期生の方が存じませんが、私の頃はまだ結構個性あふれる教師もいました。

しかし次第に「ただ生徒に八つ当たりするための」暴力教師がふえていき、教師の質も落ちていったという話は風の噂で聞いていました。お話しを伺うと私の時代より教師の質が明らかに落ちていますね。まあ一学年1800人もいればそれだけ教師の数も増えるのですから無理もないでしょう。

>あの学校は生徒のためにある学校ではなかったと思っています

一部の人間を除き、たぶん大半のOBはそう感じているでしょう。記事にも書きましたがそもそもあれは学校ではなく「工場」です。故鵜川氏を始め教師たちもおそらくそう認識していたと思います。

正直この記事を書いてもっとOBや関係者から反発を食らうのかと思っていましたが、皆さんやはり同じ思いだったようですね。ちなみにアクセスログでこの記事は間違いなく桐蔭関係者も読んでいることがわかっています。

今冷静に考えてもあれだけムチャクチャなことをしていながら、殆ど表に出ることがなかったのが本当に不思議なことです。しかし皆さんのこの記事のコメントで私の書いてあることに嘘は勿論、意図的な情報操作も、誹謗中傷もないことを皆さんが証明して下さいました。ありがとうございました。

投稿: Kyoji | 2009年8月16日 (日) 13時52分

このようなBlogがあることをうれしく思います。匿名投稿のBlogは卑怯だと言う人もいるかもしれませんが、匿名でなければ真実を訴えることができない事情がある人も世の中にはいます。世の社会問題を見れば実名で真実を伝えれば命が危うい人すらいることからも理解していただけると思います。


正直高校生活は本当にひどいものでした。

毎朝毎夕、生徒数が異常に多いために100%乗車率を超えるバスに乗るために行きも帰りも1時間以上バス停で待たされて。明らかに異常なほど多くの生徒を入学させたがための問題でした。高校生活の毎日2時間以上が単なるバス待ちに費やされていました。人生の無駄です。それで遅刻すれば生徒の責任でした。私は遅刻しませんでしたが。

生活指導教員がバス乗車指導ということでバス内に乗り込んで生徒をバスの奥に押し込むということがあったのですが、生徒を放り投げる感じで押し込むんです。私も放り投げられましたけど、その時「○○%(100%を遥かに超える)乗車させる」とか言いながら楽しげに生徒を押し込んでました。その頃から私、心の中で事故が起きたらどうするんだって思っていました。満員電車が当たり前の日本だから、異常に生徒数を増やしたことが原因でバス乗車率が増えても構わないってことだったんでしょう。

バスの整列乗車を求めている生活指導教員がバス待ちの列に割り込んで先にバスに乗せてもらったり、バスがバス停に着いた途端に「俺が左側の前から二番目の席取ったー」と大声でアピールして席を取ったり(もちろん教員と生徒という立場では生徒は積極的に教員に席を譲るべきだとは思いますが)。もう生活指導教員の生活態度が酷かったんです。今はちゃんと教員も列に並んでバスを待っていると信じたいです。

生活指導教員が威圧的な態度で生徒に接したり、汚い言葉を吐いたり、左右のフックを顔面に浴びせて生徒が鼻血を出していたなんてこともありました。「帽子はかぶるものだから、かぶらず手に持っていた場合は帽子を破る」なんていう訳のわからない校則ができて、生徒が帽子を破られたり。生徒に「だらしが無い」なんて言っている教員が校外学習の演劇鑑賞時に大口開けて寝ていたり。教育実習の学生が授業をしているときに監督教員が眠っていたり。

ある時ちょっとしたことがあって教員専用の部屋行った時には、学校でも最も生活指導に厳しい教員の一人が早弁して、その隣にいた教員は机の上に足を乗っけてくつろいでいたのにはびっくりしました。

「桐蔭生が○○予備校の模試を受けると2点とか3点しか取れなくてよ」なんて生徒を罵っていながら、やはり自分も2点とか3点しか取れないとしか思えない程度の能力しかない教員もいました。

我々は人間ですから100%完璧には振舞うことはできません。教員だって人間ですから100%なんて求めることはできないです。そして生活指導も教員の仕事として必要です。でも生活指導を超えた嫌がらせとしか思えませんでした。

今の自分を支えているのは当時の悔しさや苦しさです。理不尽な物事に耐えて見返すという思いで今までやってきました。傍から見たら馬鹿馬鹿しいでしょうが、今の自分を支えているのは理不尽なことに耐えてきたという思いです。

でも今でもなぜ一切新聞等で問題とし取り上げられないのか疑問です。

投稿: 賛同者 | 2009年8月16日 (日) 22時19分

ネットで故鵜川氏に関して調べていて偶然このブログを拝見いたしました。

私は先輩とは結構離れていまして40期の卒業生です。現在は早稲田にて教育学を専攻しております。

ブログを拝見してあまりに正鵠を得ていたのでコメントしてしまいました。文中にある培養された企業人間というくだりがまさに自分そのものでした。

自分は国家公務員志望で思想は完全に保守といった感じです。まさに官僚主導の国家社会主義者といったところです。
ちなみに苦笑されるかもしれませんが自分は幼稚部から14年間在籍しておりました。
幸いに大学までは桐蔭に付き合わずに済んでます(笑)

ただ先輩のころのスパルタは噂程度にしか聞いてませんが、私がいた4,5年前は教師の体罰や暴言はあまりなかったと思います。逆に教師が没個性化した感じで、質の悪い予備校みたいでした。加え、陰で故鵜川氏の悪口を生徒と言い合うような生徒・教員が一体となったシニカルでペシミズムに支配されたような空間でした。

ただ自分の人格が桐蔭に作られたという自覚がある以上、それに抗わずにこういう人間になった自分には桐蔭はあっていたのかもしれません。一応はそれなりの学力は養えました。精神衛生に良くない学校という点は大いに賛同できます(笑)

もっとも鵜川氏が経営者として一流なのは非の打ちどころがありません。
加えて、桐蔭は教育学の研究対象としてはピカイチなので論文執筆に経験がとても役立っています。

まあ、先輩の頃よりは随分とまるくなったかもしれませんが引き換えに進学実績や偏差値はだだ下がりで週刊誌に凋落の特集を組まれる有様です。

悲しいことにあそこに長くいすぎて桐蔭を主観的にしか見れないので、客観的な意見を拝見させていただいて為になりました。
先輩の益々の御活躍を一後輩として御祈り申し上げます。

投稿: a.i | 2010年8月 9日 (月) 05時02分

aiさん  こんにちは

教育学を専攻されているとのこと
で、ならば桐蔭などは「負のサンプル」としてはまさに格好の素材でしょうね。

aiさんの頃は教師も「没個性化」したとのお話でしょうが、さもありなん という感じですね。私の頃はよくも悪くも「個性的」な教師も多かった一方、昔の古い学園ドラマに出てくるよりひどい「暴力教師」(大半が体育教師ですが)などが大勢いました。しかし上のOBの方たちの説明もあるように、だんだん教師の質が落ちていき、生徒や父兄に「八つ当たり」するしか能のない教師も増えていったようですね。

桐蔭の周落はもう止まらないでしょう。特にこの少子化の時代に一学年1800人も集めるなど常軌を明らかに逸してますし、さまざまなことを思い切ってかえていかないと学校自体が生き残れないでしょう。

かつてのように生徒や父兄を上から見下ろすようなやりかたは、我々の時代は通用したかもしれませんが、これからはどう考えても通用しません。それにこだわったらあの学校は間違いなく滅びますね。

いずれにせよaiさんがどのようなレポートを作られるか、私は教育学が専門ではありませんが、楽しみです。

比較的最近卒業された方のコメントはありませんでしたので、新鮮でした。ありがとうございました。

投稿: Kyoji | 2010年8月 9日 (月) 10時32分

現在、理数科に通う高校2年生です。 鵜川先生が在命中の中学までは週末課題もたくさん出ましたが、今は全く出なくなりました。実テ上位者はほぼ予備校に通っているのが現状です。東大に何十人も入った頃とは比較になりません。今はバスの中で携帯のエロサイトを見ている男子生徒もいます。先生も大人しくヤル気がない方が多いです。私としてはスパルタ教育を復活して欲しいと思っています。

先日、デーモン小暮、やくみつる氏、ニュースゼロのアナウンサーが講演にいらっしゃいました。配られたパンフレットにデーモンさんの職業が【悪魔]と書かれていて、
先生方がこのまま載せるか随分悩んだろうと思ったら、笑ってしまいました。
あと、神谷町の駅に桐蔭法科大学院の宣伝看板があってなんだか恥ずかしかったです。雑居ビルの一室が大学院の住所でした。
私は桐蔭で楽しい青春期を満喫してるとは言えませんが、それ程惨めでもないです。もしかしたら大人になって後悔するんでしょうか。ただ優秀な諸先輩方を誇りに思っています。

投稿: 在校生 | 2012年5月30日 (水) 22時16分

凋落した原因は その根本的なDNAにある。

一学年が1000人以上、マスプロ教育でエリートは出来るはずはない。
1000人以上もいるので玉石混合、
学習が遅れている生徒をそれに合わせて教育すると言うのは建前。
能力別クラスは玉と石を分別するためにある。

授業料が高い、マンモスだが授業料はディスカウントしない
東大(現役3人)以外は つまり石は授業料支払要員である。

駅から遠い&バスがやたら混む 通学に不必要に時間がかかりすぎる
遠くからはとても通えない。近くでも不便。

校則が厳しくがんじがらめ 生徒の自主性がない
「受験少年院」や「収容所学校」と揶揄される。
明治憲法を引用して「校長は神聖にして侵すべからず」

投稿: 卒業生 | 2012年7月30日 (月) 00時04分

小生は24期卒業生です。
まず、鵜川氏の問題点は、「経営者としてのセンスの無さ」です。
桐蔭は、小生のような人数の多い世代、いわゆる「団塊ジュニア世代」から生徒数を
倍に増やしました。
(正確に申しますと、生徒を増やし始めたのは小生の一学年上からです。)

そして、この経営戦略は、結果的に成功しました。 なぜなら、生徒数を増やした分、進学実績も倍にしたからです。 小生が卒業した年、桐蔭は、初めて東大合格者が100人を超えました。

しかし問題は、この後です。 バブルの当時、桐蔭は巨大なホールや、ぜいたくな野
球場を次々に建設するなど、莫大な設備投資をし、巨額の負債を背負ったことでしょう。そのため、これだけ少子化と言われる現在でも資金確保のため、生徒数を大きく削減することができず、相変わらず1000人以上の生徒を採り続け、それが学力レベルの低下という悪循環を招いたと考えられます。 言うまでもなく、これは鵜川氏の責任であり、「経営の驕り(オゴリ)」、ワンマン経営の弊害が出たと言えるでしょう。 国家であれ、会社であれ、学校であれ、「ワンマン、独裁体制の組織」は、遅かれ早かれ凋落する宿命にあります。

それから、桐蔭のもう一つの問題点は、「授業の進度」です。 せっかく能力別にしているのに、中間層のクラスでさえ、「すっ飛ばしの授業」をしていて、これでは能力別のメリットがほとんどありません。 例えば、数学の授業で入試レベルの問題を中間層の生徒に、じっくり解説するには、わずか50分の授業時間なら、せいぜい3問がいいところです。しかし、実際には、正面の黒板だけでなく、横の黒板も使って多数の生徒に1問ずつ、合計10問以上の問題をガチャガチャと回答させ、さっと解説して終わりにしてしまう。 生徒は板書をノートに書き取ることもできない。これでは消化不良を起こします。 英作文もそう。 某大手予備校の授業なら、50分の中
で英作文の解説は、わずか3題くらい。 その代わり、「この英文にでてくるこの単語は、こういうふうに置き換えられる。 他にこんな意味もある。 ただ、こういう表現はできない。」など、様々な派生的な解説をしてくれます。 生徒に合計20題以上もの英作文を黒板を書かせ、ただ答え合わせをするだけの授業とは違います。

それから、以下は桐蔭についての個人的なポジティブな見解です。
まず、校則ですが、桐蔭の校則は、世間が言うほど厳しいとは感じませんでした。 
むしろ、自由だと感じました。
小生は、ある都内の公立中学で、部活(あるスポーツ)をしていましたが、規則が非常に
厳しく、たとえば、練習着は部が指定したTシャツか学校指定の体育着しか許されず、アシックスやアディダスなどのブランド・シャツは白でさえ許されず、着る場合は、そのマーク部分に白い布を縫い付けて隠さなければならないという徹底ぶり。 
試合で遠征に行く際、バッグも、学校指定のもの以外は禁止でした。
そして、顧問教師の根性主義的な暴言は、本当に聞くに堪えないものでした。


ところが、桐蔭に入学して、同じスポーツの部活に入ると、Tシャツはどんなカラフルなものを着ようが全く自由。 もちろん、試合で遠征の際は、好きなスポーツバッグを使っていました。 学校や遠征先での練習の後は、いつも例の近くのお店(御存じですよね‐笑)やコンビニに、たむろして、ジュースや菓子を食べていました。 
驚いたのは夏合宿。 先生、コーチとは宿舎が別で、お菓子や飲み物は持ち込み放題。 全て、生徒の自主性に任されていました。 「団訓」とは大違いです。(笑)
コーチの練習指導も、非常に厳しかったですが、論理的でした。

多くのエリートが活躍する桐蔭スポーツの中で、小生が所属した部活は県内でベスト16レベルでしたので、それほど強かったわけではありませんが、練習は非常にハードでした。桐蔭の部活に所属し、厳しい練習で培った体力、精神力、チームワークの精神は、社会に出てから大きく役立っています。 いまでもOB会に出席し、多くの同期や後輩たちと酒を飲みながら、「あの練習は地獄だったな。」とか、「あの時の勝利は大きかったな。」とか、昔話は尽きず、桐蔭の部活で築いた人脈は小生にとって最大の財産となっています。

生徒数が多いと、バスの待ち時間も大変です。 しかし、小生の場合、部活をしてい
たので大変なのは行きだけ。 帰りは部活が終わり、道具を片づけて着替えると18:30を過ぎるので、その頃になるとバス停の人もまばらでした。
小生は文転するなど遠回りしたことで、早稲田を1点差で不合格になるなど、受験では全くいいところがありませんでした。 しかし、桐蔭での生活については、部活のおかげで、それなりの充実感を得ることができました。また、小生の部活の先輩、同期、後輩の多くは文武両道で、厳しい練習をこなしながら、東大や一橋、早慶などに進学しています。

桐蔭は一部のスポーツ・エリートを除き、小生のような、いわゆる「一般の桐蔭生」
で部活をしている生徒が極端に少ない。 あれだけ生徒数が多いのに、多くの生徒は部活をやらず、「帰宅部」として過ごしています。 つまり、一部のスポーツ・エリートや、学業トップクラスの生徒、そして小生のように部活などの課外活動に取り組んでいる「一般の桐蔭生」を除くと、多くの生徒が、巨大な学園の中で、「1500分の1」の存在として埋没してしまう可能性がありました。

以前、30代の頃、クラスの同窓会の幹事をしたことがあります。 桐蔭はレッスン制でホームルームでのつながりが希薄なため、どれだけの人が集まってくれるか不安でしたが、本当に沢山の人が集まってくれました。 帰宅部で、また大して勉強もせず、これと言って学園生活に充実感が得られなかった人も、それなりに愛校心を持っているようでした。要するに、「ウカワは嫌いでも、桐蔭自体は嫌いじゃなく、仲間は好きだ」ということかと。

上述の通り、小生は桐蔭の校則はそれほど気になりませんでした。 高3になると、女子部の生徒と共学になりますが、部活を引退したのに、受験勉強もせず、女子部の生徒たちと向ヶ丘遊園でボーリングをしたり、一緒に横浜に遊びに行ったりしたことが、「多感な青春時代の良き思い出の1ページ」として、今も胸に刻まれています。

小生の卒業時は進学実績が躍進し、また翌年、野球部が甲子園に出場するなど、90年
代の前半は桐蔭の全盛期だったのでしょう。
もう独裁者はいないのですから、OBの一人として、学園の民主的な再建を心より祈念
しています。

投稿: 某OB | 2012年12月23日 (日) 01時23分

もうこの記事は五年前に書かれたものなのですが、いまだに当ブログのアクセス数のベスト10に入っており、多くのOBやOGの方のコメントをいただいております。

感じるのはやはり世代間で微妙に学校生活のありかたも変わっていますし、各個人のさまざまな環境で桐蔭に対する印象が違うな、という点です。
まあ当然かもしれませんが

私はもう卒業して三十数年経ちますがおそらく私のころが一番校則も授業も厳しかったかもしれません。現代なら「暴力教師」といってもいい教師がおおぜいいましたし、頭の中が戦前で止まっている教師も少なくありませんでした。
ただ、授業の質は全部がそうではないかもしれませんが、それほど悪くないクオリティだった思います。非常に要点を整理しわかりやすい授業をする教師もいました。またよくも悪くも個性的な教師が多く、卒業してもいまだに印象に残っています。まあ東進ハイスクールほどではないかもしれませんが(笑)...

バブルの時に飽満経営をした、という話はさもありなん、と思います。文化活動にそれほど力を入れてない学校なのになぜあんな立派なホールが必要なのか、とも思いましたしね。今は一応オーケストラがあるようですが、私のころは桐蔭でオーケストラ作ろうといったら教師から否定的な声が返ってきました。ブラバンはありましたが、文化活動というよりは野球の応援団の付属という意味合いの方が強く、たいした活動はしていなかった印象があります。

おそらく80年代末から90年初頭が桐蔭の最盛期だったのでしょう。しかし今大河ドラマで「平清盛」をやっていますが最盛期の時に実は没落の芽はすでに生えています。「元OB」さんもちょうどそういう時に在学されていたのでしょう。

鵜川氏を始め桐蔭の幹部教師が「驕っていた」のは生徒の父兄に対する上から目線からでもよくわかります。今思うと本当に「何様だ、おめえ」といいたくなりますね。まあそれが現在の衰退状況を呼んだのでしょう。「驕れるものも久しからず」です。

しかし一方ではクラス会等の集まりはいいですね。卒業してもまだ連絡を取り合ったり、いっしょに仕事している人間すらおります。桐蔭の卒業生には何とも不思議な連帯感があります。

あと一部のスポーツエリートをのぞいて大半が「帰宅部」というのは大いに笑わせてもらいました。自分の時と大して変わらないなあ、と

あと「女子部」ができた、というのも大きいでしょう。高3だけでなく部活でもいっしょの場合があるようで、桐蔭同士のカップルも少なくないようです。その辺りは野郎しかいなかった時の自分からしますとちょっぴりうらやましかったりします(笑)

投稿: Kyoji | 2012年12月23日 (日) 09時24分

こんにちは。時々ブログを拝読しています。同高校の卒業生です。

合格実績だけでなく、昔からいる教師の質も劣化しているようです。S教師が、その例。彼はこう主張します。
「都知事が「天罰」と言ったら待ってましたとばかりにバカが噛みついて来た。言葉足らずだったんだ。
天罰であり神罰であり仏罰。あれは東北に落とされた罰じゃないんだ。我々人間に落とされた罰なんだ」

以下、この発言のリンク貼ります。
https://www.youtube.com/watch?v=2ma0ahdQNjA

この学校の低迷は、自業自得なのでしょう。

投稿: 卓 | 2015年4月28日 (火) 18時16分

卓さん おひさしぶりです。

ああ古文のS氏ね。
まぁこの人は我々在学中からこんな感じでしたよ(^^:)
発言聞いていかにもSらしいな、という感じですね。

この人の見解に同意することはありませんでしたが、この時代の教諭は良くも悪くも自分の考えをはっきり言ってましたが、漏れ伝わるところによると最近はそれすらなくなっているようです。ただ何も考えず学校の方針に流されてるだけのようですから、個性も質も落ちたということなんでしょうね。

投稿: kyoji | 2015年5月 1日 (金) 13時16分

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