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2007年3月 2日 (金)

私のコラム「なぜ私は音大へ行かなかったか 」に関して

私の以前に書いたコラム「なぜ私は音大へ行かなかったか 」というコラムがあります
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2005/01/post-03fe.html

これは私がかつては音大受験を目指したもある事情で断念した背景を説明しそれに関して日本の音楽大学の現状に関して批判記事をかいたものである。なかにはあえて音大関係者にはやや刺激的な表現も盛り込んでいるがこれは一向に現状を改革しようという意図が音大の特にトップの人に見えないためあえてそのような表現を盛り込んだものである。

このコラムはもう掲載してから5-6年はたっておりあまりに昔に書いたものなので私も書いた正確な日にちは覚えていない。そしてこのコラムに関して何人かの音大生等から反応があったがどちらかというと内容に賛同したり等ポジテイブな反応が帰ってきてやや拍子抜けしていたが、先日音大関係者と思われる人物よりある反論が私に送信された。残念なことにその人物は自分の名前、ハンドルネームすら名乗っていない。そのため本来なら無視していもいい発言なのだが、問題の本質をやや突いている部分もあるのでその発言の主旨と私のそれに対する応えをここに掲載しておきます。これが今の音大及びクラシック音楽の教育に関してある問題提起、一石を投じることになればそれなりに意味があると考えた上でのこのブログの掲載です

尚、この人物非常に残念なことに私の回答に関して何も返信して来ていないのがとても残念である。文章はだいたいの主旨をまとめた形で公開させていただきます。
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「殆どの音大生はアドリブができない」「クラシック音楽以外の音楽に無知である」
この表現に関してこの発言者は「クラシック音楽は「再生芸術」であることを理解していない発言だ、「再生芸術」にアドリブなど必要ない。音大生がクラシック以外の音楽に無知だというのならあなたはクラシック音楽に関してあまりに無知だ」

という主旨の発言をメールで送信してきました。

それに対する私の反論は以下の通りです

まずクラシック音楽が現在「再生芸術」であることくらいわかっております。ここで私が問題としているのは、我々が「クラシック音楽」と呼ばれている音楽は「最初から再生芸術だったのか」という点です。私はそれはNOだと思います。なぜならさまざまな資料から少なくとも19世紀中頃までは演奏家や作曲家の「即興」というのは間違いなく行われていることがわかっています。ショパンは「私の楽譜の裏の意味をわかって欲しい」といっていますし、リスト、パガニーニは即興の名手でした。あの古典的なイメージの強いブラームスですら、酒場でのピアノのアルバイト時代はかなりの即興の名手だったことがわかっています。(楽譜なしにどんな曲も瞬時に弾くことができたという記録が残っています)。
つまり少なくともリスト、ブラームスが生きていた時代までは我々が「クラシック音楽」と呼んでいる音楽は「再生芸術」ではなく「表現芸術」であったといって差し支えないのです。

それがだいたい19世紀末から20世紀の始めにかけて作曲家と演奏家の「分業化」が始まりました。と同時にご存じSachlich 注*(=即物的)なー楽譜に忠実に弾くという考え方が広まり、演奏家が即興するなんてとんでもない、などという価値観が急速に広がりました。これは作曲技法が複雑化したというのもありますが、20世紀に入り作品の初演に作曲家自らが演奏するということがだんだんなくなりました。(ただしバルトークなどは健康を害した晩年を除きピアノを使った大半の曲を自分で初演していました)そして現在に至っています

つまり私がいいたいのはかつて「表現芸術」であったものが現在「再生芸術」となっている。しかもその「即物的に楽譜に忠実に演奏する」方法があたかも作曲者の意図に忠実な唯一の正しい演奏方法であるかのように誰もが思っている、思わされている。私はそれに対して疑問を投げかけています。なぜなら「表現芸術」の演奏と「再生芸術」の演奏には自ずと表現の説得力に違いが出るからです。

演奏というのは本来は「表現芸術」であったはずです。それがいつのまにか「再生芸術」になったとたん、演奏に面白みがなくなったと感じた人が多いのではないかというのが私が提起した問題です。バッハの時代などは通奏低音だけで「好きなように弾くように」という感じで五線紙が空白なものがたくさんあります。リストの「ラカンパネルラ」はリストが即興で作ったものを楽譜にしたものです。私はその点を問題にしていることがおわかりいただけるでしょうか?

注:*Sachlich (ドイツ語)ザッハリッヒードイツ語で即物的のことをいう。特に「新即物主義」という芸術思潮が20世紀初頭ー主に第一次大戦儀に入り起こり「飾りめいたものを取り払って、物自体を描写していこう」という芸術運動がおき、演奏でも「余計な演奏はしないで、楽譜自体をそのまま忠実に弾こう」という意味になる。つまり「新即物主義」ーNowe Sachlichkeitに即した演奏とは即興や装飾的な演奏そのものを否定するものである。この運動を境にクラシック音楽は「再生芸術」と化した。
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ここに私は今の音楽教育の基本問題があるように思う。私見ではSachlich「新即物主義」は第一次大戦後にヨーロッパで起こった一芸術運動に過ぎない。いってみれば過去の芸術思想である。その芸術思想に基づいた音楽の演奏法を100年以上も続けていることに誰も疑問を持たないのが私は不思議でならない。

何度でもいう、19世紀の作曲家・演奏家は間違いなく即興演奏をしていたのである。記録はいくらでも残っている
それがドイツの「新即物主義」以降そうした即興演奏を「悪」として、かつて「表現芸術」であったものが「再生芸術」になった、しかもその「即物主義」的な方法論こそが作曲家の意図を「正しく再生」する唯一の方法だと誰もが信じて疑わない。実際その演奏方法でバッハやモーツアルトやベートーベンが本当に喜ぶのだろうか?何か音楽の根本の部分を忘れていないか、と思うのである。

なぜ「新即物主義」的な演奏が定着していったのか、その原因を考えるに要は
1.新即物主義的な方法の方が演奏技法を指導しやすい。
2.方法論を「規格化」できるためアカデミズムを構築しやすい

という2つの原因が考えられる。つまりこの方法論の方が指導するのに楽だからというのが主な理由ではないかと思うのである。(反論のある音大の先生はいつでもコメントしてください)

私が音大を受験しようとしている時に「表現する」ことに関して否定的な指導されたことが私自身どうにも納得がいかなかった。ジャズやロックは「表現するのが当たり前」な音楽表現なのにクラシックはその「表現する」行為そのものを否定した。しかしモーツアルトは自分の演奏を本当に「ただ再生」していただけだろうか?

このコラムはそのことに関する問題提起でもありました。

いずれにせよ、16小説ソロを弾きなさい、コード譜はこうです、といってソロが弾けるようでないと少なくともポピュラーの世界でプロは務まりませんよ。ということはもう一度云って置きましょう。ちなみに私は音大出でもちゃんとアドリブやソロが弾けるプロフェッショナルな人たちをおおぜい知っています。

最後にこの記事の主旨とは関係ないがこの発言者、あまり感心できない発言もしている。私はこの発言にあまりに呆れてこの項目には触れる気がしなかった。発言の主旨は「音大を批判するなら音大を出てからにしろ」というもの、つまり音大出でない限り音大を批判するなということだが、外部からの批判を受け付けない、声に耳を傾けない体質があるとしたらこれは問題だと思いませんか? 私は日本の音楽文化が良くなってほしい、そのためには音楽の教育機関にもう少し時代に即した教育をして欲しいと願ってのこのコラムだが、音大卒でない奴は黙ってろということならこれは非常に傲慢な発言といわざるを得ない。これでは日本の音楽教育の明日は残念ながら暗い

せっかく問題の核心に触れる発言をしながら残念ながら最後の部分でこの発言者のレベルがわかってしまったのが残念である、

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コメント

グーグルの検索に導かれてまいりました。
古くからこのような正論を主張しておられたことに感動いたしました。
どうぞこれからも言論をますます活発にされますようお願いいたします。
なお、この貴重なページにリンクさせて頂きたいのでよろしくお願いいたします。

投稿: tonton | 2010年8月14日 (土) 01時10分

tontonさん はじめまして

コメントありがとうございました。
このようなブログでよろしければ是非リンクして下さい。

よろしくお願いします

投稿: Kyoji | 2010年8月14日 (土) 19時57分

16年間ピアノ教師をやっていたある年配の方を知っていますが、その方は「クラシック音楽はつまらない、200年も前の曲を繰り返しやっている。音楽はジャズがいい。」と何度となく言ってました。

ジャズにはアドリブがあるけれど、クラシックにはないとか、作曲者の意図通りに弾く、演奏するしかないだとか…。

どうもこの人はkyojiさんの言う「再生音楽」と思い込んでならないひとのようです。このひとも音大出たわけでもないのですが、こういう人は少なくないようです。

投稿: ミハイル(かりな | 2010年10月 5日 (火) 02時23分

ミハイルさん どうも

まあジャズの人でそういう人が多いのはわかりますね。アコーステイックなんだけど結局クラシックではない方向にいってしまう人。

でもクラシックでもいい音楽はやはりいい音楽ですがそれをもっとわかりやすく伝えられる演奏家の出現が待たれます。

投稿: Kyoji | 2010年10月 5日 (火) 18時17分

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