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2006年9月28日 (木)

映画「俺たちの世界」クラシック音楽演奏打ち合わせ

さて、かねがねお知らせしている映画「俺たちの世界」で使われるクラシック音楽4曲についての打ち合わせをリハーサルを兼ねて新宿で行った

バイオリンは斎木なつめさん。既にリリーズのコンサートでごいっしょしているのでもう気心知れている。ピアノは音大を卒業したばかりの早川さん。監督自身のご紹介でした。

中島監督立会いの元 以下の音楽のリハを行いました

ヴィッターリのシャコンヌ
ドヴォルザーク 「母の教え給えし歌」
ベートーベン 「月光」ソナタ一楽章
       「悲愴」ソナタ第二楽章

なつめさんは映画のシーンに合わすべく監督と演奏のイメージについて入念な打ち合わせをしてくれました。リリーズのコンサートの時もそうでしたがシチュエーションに柔軟に対応してくれるので助かります。やはり真のプロに頼むと仕事は楽になる。監督は特になつめさんのヴィッターリのシャコンヌの演奏を気に入っていました

まあ音楽はかなり監督のイメージ通りのものになりそうです。クラシックはいずれもカタルシス的な場面で使われるので見ている人は印象に残ると思います。クライマックス部分で「悲愴ソナタ」のニ楽章がでますがとてもせつない感じになります。

明日じゅうにレコーデイングの日程を決定したいと思います

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2006年9月24日 (日)

トランス音楽の原点ーインド音楽コンサート

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先日久々に会ったプレームダーサ・ヘーゴタ(写真)のインド音楽のコンサートが横浜中華街の「シルクロード舞踏館」というスペースで行われた。初めての場所だったが座布団で座る形式のアットホームなスペースで100人も入らない。それだけにリラックスしながらインド音楽を聴ける

インド音楽はアメリカの黒人音楽と並んで現代の音楽に大きな影響を与えた音楽である。ロック音楽や環境音楽、クラブミュージックのトランス系もルーツはこのインド音楽である

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編成は中央の写真の通りで写真が小さくて見えにくいだろうが前の2人が打楽器のタブラー 中央がシタールのプレームダーサ、右側はタンブーラである

タンブーラはインド音楽の低音楽器でインド音楽の雰囲気をバックで支える楽器。目立たないが重要な楽器である。ギーンギーンと後ろで鳴っていてまるでアナログシンセのスイープ系の音ーそう実は故モーグ博士もインド音楽のファンで電子音でこれを再現しようとしていたのだ。それが今我々が当たり前に使っているアナログのLFO系、Q系の音である。

タブラーはヤギの皮でできた打楽器(左写真)、アフリカのトーキングドラムと同様通信にも使われた楽器なのでインドでは英国の植民地時代に使用が禁止されたが、インド音楽ではかかせないパーカッションである

そして右がかの有名なシタールである。実物を見ると思ったより大きい。何といっても弦が20本もある。通常のギターと違いフレットが曲がっているのだ。それが独特のサウンドを生む

それらの楽器で演奏会は行われた。インド音楽は全て即興である、最低限の決まりだけ決めて曲もいつ終わるかわからない。しかしあの独特の包み込むようなサウンドは時間を忘れさせ自然に人間をトランス状態へ誘う。何千年の歴史がある音楽なのだ。

私は基本的にミュージシャンは即興ができなければならないし、才能があれば即興はできるはずというのが持論である。クラシック音楽も実は19世紀の少なくとも中頃までは即興する演奏家が沢山いたし本来音楽はそうあるべきである。ジャズなどは即興ーアドリブができなければ話にならんし、ロックも同様だ、音大の演奏教育は(即興=悪)という教育をしているが、楽譜に忠実ードイツ語でSachlich(ザッハリッヒー即物的)がよいなどという教育はクラシック音楽を駄目にしたと考えている。この即物志向が支配した時点で西洋の古典音楽は死んだのだ。

インド音楽は会場と一体化して展開される音楽なので本人たちもどうなるかわからない。今日プレームダーサは途中で日本の童謡「さざんか」のフレーズをもじったインプロビゼーションを行った。わざとやったのかプレームダーサに聞いたら本人も意図しないまま自然に日本のメロデイが出てきたという。別にファンサービスではなかったらしい。そしてサウンドはちゃんとインド音楽になっていたのだ。不思議な体験だった

ふーむ インド音楽は深い

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2006年9月21日 (木)

劇伴や映像のための音楽

今日は一日仕事場で作業をして例の映画音楽もほぼ取りあえずは完成。後程監督に見せて修正が必要であれば引続き作業をするが一ヶ月以上に及んだ基本的に作業にめどが立つ

「癒し系」とか「ヒーリング」とかのイメージが強い私だが実は劇伴や映像音楽の方がキャリアが長い。学生時代に既に小さな劇団の音楽や大学のサークル関係で音楽を作っていたりしたからそういうのを入れるともう四半世紀になる。その間、CM、企業用VP(仕事の数ではこれが圧倒的に多い)、美術館やイベントの展示映像、ゲーム。ドラマやドラマCD, そして映画と仕事の数だけはこなしてきた

映画は少ない、今回で4作目、しかもうち1作は未だ完成せず、あとの2作はいずれも短編ー一番長くて「戦慄の閉鎖病棟」の1時間だから今回の「俺たちの世界」が今までで一番長い。(108分ー但しエンドロール抜きでの話) まあ日本では映画の仕事自体が少ないので仕方ないかもしれないが...

前にも書いたが作曲というのは基本的に誰でもやろうと思えばできる。一定の訓練をつめば必ずできる。しかし劇伴や映像音楽をやるにはやはり適性がある。誰にもできるわけではないーいわばスペシャリストの能力が要求される。従って日本の劇伴作家を見るとわかるがだいたい決まったメンツである。久石譲、小禄礼次郎、渡辺岳夫、etc etc

どういう能力が必要かというと

1.アレンジ能力が必要
  アレンジャーというこれも適性が必要な職業だが基本的にこの能力がないと劇伴や映像音楽は出来ない

2.場面やシチュエーションに柔軟に対応
  基本的に劇伴も映像音楽もある特定の場面。シチュエーションのために音楽を作る。従ってその場面、シチュエーションに適応したサウンドを作る能力が必要。つまり「自分のために」しか曲をかけない人にはこの仕事は向いていない。

3.仕事がある程度早くできる
  だいたい映画、CM,ドラマ等では音楽制作の作業は一番最後になる。そしてほぼ例外なく時間的余裕がない。非常に限られた時間の中で大量の作業をこなせる能力がないとできない、平たくいえば仕事が速くないとこの仕事はこなせないのだ。

尚、誤解して欲しくないがこれら3つができるできないは才能のあるなしとは無関係である。単なる個人的な適性に過ぎないのでこれができないからといって落ち込む必要はない。

また上記2にもあるように「映像」や「劇伴」のために音楽を書くのに職人的作業が必要なことから、それらは芸術ではなく商業音楽を書くのと同じだなどという一部の音楽評論家がいるがいうまでもなくそんな議論はナンセンスである。それなら全てのオペラだって考えようによっては商業音楽になってしまう。また「雨に歌えば」とか{My Favorite thing」のように元々は劇伴音楽だったことを忘れさせるほど名曲として定着していったものも少なくない。

大事なことは劇伴だろうがCMだろうがそこから音楽文化として定着しうる作品ができるかどうかである。今回の私の仕事がそうなるかどうかはこれから皆さんの判断にゆだねなければならない。しかし作る過程がどうであろうと大事なのは形ではない、できあがった音楽そのものである。うたものだろうが劇伴音楽だろうが関係ないはずである。




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2006年9月11日 (月)

Vocoder-ヴォコーダー

PFFの映画「俺たちの世界」の音楽制作ーだいたいメドがたちいよいよ作業も佳境に入っている。

今回はいろいろクラシック音楽を使うが、1曲だけ悩んでいる問題がある。それは監督のイメージで「時計仕掛けのオレンジ」に使用されているウエンデイカルロスのベートーベン第九をかなりウエンデイカルロスの原曲に近い形でアレンジしようと思っているのだが監督は、この曲のVocoderの合唱のサウンドをすごく気に入っている。しかしこの音はVocoderでないと出せない音なのだ。一応サンプリング等でそれっぽい音は出せるのだがやはり何か違う。

ご存じの通りVocoderを製造した会社はもう存在しない。楽器の中古屋を探したってそう簡単にみつかるものではない。

これだけが難問だ。それ以外の音楽は全て何とかなるメドがたっているのだが...
Vocoderをどこかで借りれるといいのだが..

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9.11から5年

今日は日が日だけに暗い話です。読みたくない人はとばして下さい

あの忌まわしい9月11日のテロから5年がたった。
ニューヨークの「グラウンドゼロ」では追悼式典が行われている。7年くらいニューヨークに住んでいた人間としてWTCのツインタワーがなくなったマンハッタンがいまだに信じられない

しかしそれから勃発したアフガニスタン、イラクでの戦争、しかもイラクの戦争の大義名分は全て大嘘だったことが判明した。しかもアメリカ内では9.11の陰謀説ーアメリカの自作自演説までまことしやかに論じられている。その真偽は別としてそれだけ政府に対する不信感がアメリカ人の間でも増大していることを示している。

あの事件からアメリカはすっかり変わってしまった。メデイアは事実上政府にコントロールされていた状態だったしリベラル派は政府、行政は勿論メデイアからも大半が追放された。政府やイラク戦争に批判的な言動をした人間は職場から追放されたか、されなくても窓際に追いやられた。その中には誰かに監視されている感じがすると訴えた人間もいる。事実とすれば今のアメリカは警察国家になっていることになる。イラクや北朝鮮のことなど同様ー事実上の独裁国家だ。

そして、何よりもあれから罪のない人間の何人が死んだのか。
更にあの戦争によって確実にもうけた連中が存在するという事実、そしてそのもうけた連中がブッシュの支持母体であるという事実。

何度も言うがアフガニスタンでもイラクでも実際のテロリストより一般市民の犠牲者の数の方が圧倒的に多い。アメリカのメデイアはそのことに殆ど触れていないがそれは紛れもない事実である。(実際殆どのアメリカ人がそれを知らない)

アメリカ人は海外で現地の人間がどれだけ死んでも眉一つ動かさないが、アメリカ人が外国で一人でも惨殺されたらヒステリックになる。大半のアメリカ人にとって外国で何が起きようと知ったことじゃないと考えているのが現状だ。アメリカ政府などはもっとひどい。アメリカ一国の利益さえ守られればいい。あとは知ったことじゃない。逆らう国は全部つぶすぞ。そういう国になってしまった

アメリカは私に自由と民主主義のすばらしさを教えてくれた国である。その国がこんな風になってしまったのは悲しいしやりきれない。

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2006年9月 7日 (木)

キューブリック映画と「俺たちの世界」の音楽記号論

さて、「俺たちの世界」の音楽も一応順調に進んでいるが今回実は音楽の構想、組み立てを行うのに相当苦労した。というのはところどころクラシック音楽をキューブリック的な使われ方をしているためで、そこの所と自分の音楽の組み立て方の整合性を作るのにずいぶん苦労した

キューブリックの映画の中での音楽の使い方は本当に独特で他のどの監督とも違う。普通このシーンではこの音楽は使わないだろと思う使い方をしてそれが不思議に映像とマッチしているのだ。「時計仕掛けのオレンジ」でのベートーベンの第九やレイプシーンで使う「雨に歌えば」、「2001年宇宙の旅」でのツアラトウストラはかく語りき等

実は「俺たちの世界」でも「時計仕掛けのオレンジ」でのベートーベンの第九を何とレイプシーンに使っている、それ以外に
以下の音楽が使われる
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ピアノソナタ「月光」一楽章
冒頭部分、殺人シーン、

ピアノソナタ「悲愴」二楽章
いじめられっ子が反撃するシーン、ふんぎりつかない人間が
泣き叫ぶシーン

エリーゼのために
公園で泣くシーンー但しこれは僕の作ったオリジナルに差し替えられる可能性が出てきた

ヴィターリ のシャコンヌ
主人公が車でさまようシーン、もう1人の主人公の高校生が親と姉を殺すシーン

ドヴォルザークの母の教え給えし歌
主人公が仲間にせきたてられて強制的にレイプさせられるシーン
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これだけ述べるとなんでこのシーンにこの音楽と思うだろう。そこが一番悩んだところだ

植島啓司の対談集「デイスコミュニケーション」には新しい情報の認識のありかたとして「文化の記号化」のありかたを説いている。細川周平も「音楽の記号論」で同等のことを述べているが、上記の音楽を主人公の心理状況を「記号化」したものとして考えるとわかりやすくなる

つまり

ピアノソナタ「月光」一楽章ー主人公の絶望的心境、状況を表す(それゆえ普通の月光よりも重く暗くゆっくりと演奏されなければならない)

ピアノソナタ「悲愴」二楽章 ー精神の開放、自分で押さえ込んでいた感情、行動をあらわにしてしまう

ヴィターリ のシャコンヌ ー主人公の心の旅立ちー決心の象徴

ドヴォルザークの母の教え給えし歌ーあーとうとうやってしまった。後戻りできないことをしてしまうことに対する記号化

ベートーベンの第九ー管理社会の中で生きていくメタフォア、意味合い的には「時計仕掛けと同じ」

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キューブリックの映画も同じ使われ方がしている。それゆえキューブリックの映画では同じ曲が違う映画で使われることもある。例えば「時計仕掛け」のあのバロック風テーマは「シャイニング」でも使われている。

その記号化路線を睨みながら僕は主要な3種類の音楽を考えた

俺たちの世界「管理社会のテーマ」ー時計仕掛けのようなバロック調の音楽

俺たちの世界ー居場所のない人間のテーマー生きる方向性、希望を持てない人間の心境ー悲しい感じの音楽ーちょっと久石譲敵な音楽になってしまったが

俺たちの世界ーいじめ、虐待ー何とアバンギャルドタッチのモダンジャズ風にしました。いかも不協和音ばりばりーバッドパウエルやセロニアスモンクでもここまではやっていないと思う

できあがったら公開しようと思っています

映画のテーマはまさに宮台真司がいっていた「終わらない日常ー永遠の退屈」そこを実にうまくえぐっている。しかもヨーロッパ的な映画のタッチで...
というわけでお楽しみに






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