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2006年7月26日 (水)

コラム「音楽業界の現状と将来、そしてある取るに足りない者からの業界への提言」(長文注意)

この記事は2006年7月に書かれたものです。現状とは若干違う部分があります。

今月に入り一段落していろいろと頭の中の整理を行った

ご存じの通り私は作曲家/編曲家/ピアニストであり音楽制作会社の代表でもある。音楽業界でもう22年間仕事をしている。その音楽業界はご存じの通り7年連続売り上げが前年割れという異常な事態にある。他の業界を見渡していてもここまで長く低迷している業界は他にない。先日の東芝EMIの大幅リストラの話は記憶に新しい。

しかし音楽業界というのは実に不思議な業界で、これほど長い間低迷しているにもかかわらず業界のやりかたを根本から考え直すという動きが殆どない。それどころかmixiのあるコミュで業界関係者から耳を疑う発言を目にしたことがある。「バブル時代より今の方が健全じゃないか、どこが悪いんだ」ー7年連続売り上げが落ち込んでいる業界の人間の発言である。 そしてどうやらこの考え方は決して業界では少数派ではないようである。いかに不思議な業界であるかこれだけでもおわかりだろう

この7年連続前年割れの原因のほぼ全てを、現在音楽業界のトップの人たちは「CDコピー」やインターネットのせいにしている。尚、私はこれが売り上げが下がる一因にはなっていることは一応認めてはいる。認めてはいるがこれだけで7年連続前年割れになるとは到底思えない。やはりもっと根本的な所が間違っている。時代のニーズ、社会の新しい動きに対応できていないのが原因だと私は考える。そうでなければ7年連続前年割れ、などという状況になるはずがないのだ。

では新しい時代に対応した音楽業界のモデルとは何か、その答えを探しつつ私は日本最大のSNSmixiで「音楽業界の未来を考える会」というコミュを主宰し、何か答えがないか考えてきた。特にインターネット、音楽配信、ネットラジオ、ネットTVとこれからの業界のありかた、絡み方について考えた。

しかしその関係の結論からいうと、少し皆さんを失望させるかもしれない。 というのはビジネスモデルの基本的な部分は残念ながら「おそらく変わらないだろう」というのがいろいろやっているうちに導き出された結論だからだ。
但し、いろんな面で発想の転換が必要になる。というのはやはり同じビジネスモデルの中でも時代の動きに適応していないものは排除もしくは淘汰されるべきだと私は考えるからだ。実はそういうものが音楽業界の発展を明らかに阻害しているからである。

しかし同時にこの業界のありかたについて考える時、改革派の方にも落とし穴がかなりある。例えば

落とし穴1−IT革命によって業界は変わる

実は私はこれに最も大きな期待をかけていた。IT革命論者の多くはネットが全てのメデイアを凌駕し、世の中の全てを変えると触れ込んだ。勿論ネットが普及して8年余り、確かに世の中のいろんな面は変わった。ホームページが当たり前になり、以前ではなかなか出会えなかった人たちとのコンタクトが取れやすくなった。私自身もこのネットを活用して大きな収穫を得た一人である。しかし

残念ながらPCがネットの中心である限り「革命」というレベルまでいくことはないだろう。PCの普及台数は既に飽和状態に達しつつあり今後劇的な影響力の変化は起きにくいと思われる。(私はここ数年間の「変化」については肯定的に受け止めているし、その変化を認めていないわけではない)

また一部のIT革命論者が信じて疑わなかった「ネットが地上波のテレビの影響力を凌駕する」という見解も残念ながらそこまではいかないだろうというのが私の結論だ。確かに地上波のテレビの影響力は下がっており見る人はこれからも減ってはいくだろう。だが2011年のテレビ全面デジタル化(予定通り行われるかは疑問だが)になってもおそらくは変わるまい。なぜならネットはパーソナルなメデイアであって本質的にマスメデイアではないからである。 つまりテレビ=大衆性、 ネット=個人性 、テレビ=情報に受動的、ネット=情報に能動的、この図式は変わらない。そのため両者は共存するが片方が片方を凌駕するというのはおそらくないだろう、両者は本質的に全く別のものであることは認識しておいた方がいい。実際問題として情報に受動的な人と情報に能動的な人ではまだまだ前者の方が圧倒的に多いのが実情である。そして日本人特有の「何かあるかな、面白そうな事。」っていう、日本人の 下世話な国民性、自分の考えの前にまず他人の顔を見る国民性、これが変わらない限りは少なくとも日本においてはマスメデイアがなくなる,ネットの影響力が地上波を上回るということは残念ながらないだろう。

それに冷静に考えてみるとわかる。ネットは確かに影響力が上がっている唯一のメデイアではあるが、テレビ、ラジオ、雑誌等の紙媒体等、たくさんあるメデイアの中の一つに過ぎない。そろそろ"IT熱"から冷めて冷静にネットというメデイアについて考える必要はあるだろう。あまり過剰な期待をネットにかけない方がいい。期待しすぎると必ず失敗する。

但しネットが最も手軽でしかも安くプロモーションができるメデイアであることは事実である。またネットでの有効なプロモーション方法のノウハウを身につければかなり効率的にプロモーションができるだろう。個々の手法については事務所のノウハウに関係するのでここでは触れないが、以前私が「マネーボール」で書いたようなお金のかからないプロモーション方法をやるならはやりネット経由だろう。もうすでに下手なラジオ局のプロモーション力よりはネットは勝っている(如何に日本のラジオがだらしないかということにもなるのだが.) しかしそのためにはネットでのプロモーションで現在レコード協会やJASRACによる様々な規制を撤廃してもらう必要がある。現在メジャーアーチストがネットラジオやネットでプロモーションには規制が多すぎて有効なプロモーションができないでいる。現在経団連で「ネットでストリーミング可能なサーバーでの演奏は放送とみなせ」という提言をしているが日本レコード協会やJASRACの猛反対で頓挫している。ストリーミングサーバーならコピー不可能なのになぜこれにも反対しているのかわからない。ネットプロモーションそのものを否定しているとしか思えない。とはいえ、これもいずれは変わっていくものと思われる。変わっていかざるを得ないだろう。

一方ネットで有効なプロモーションをするにはネットのみでも不十分だ。ネットと他のメデイアとの連動、リアルば部分での連動があって始めて有効なプロモーションになる。いずれにせよ過剰なネット信仰は禁物だ

落とし穴2-メジャーとインデイースの差はなくなる。

表面上はその方向に行っているように見える。数例はまだ少ないがインデイースでも下手なメジャーより売れているアーチストはいる。また先日の東芝EMIの例を述べるまでもなくメジャーレコードメーカーの多くは実質的にただのデイストリビュータに成り下がり、辛うじて制作部を残している会社でも制作体制は大幅に弱体化した。これだけ見るとメジャーとインデイースの差はなくなっているように見える。しかし「メジャーなんかになりたくない」と云っているアーチストは実のところ少数である。なぜかというとこの日本という国にはもう1つ見えなくて、しかもやっかいな障害があるのだ。

確かにライブイベント、ツアー等の手売で何千枚売れたらおいしいし全部自分たちの取り分になるからそれを考えると流通で半額以上持って行かれるのは馬鹿馬鹿しいと思うのはわかる。しかしそうやって売れてもこの日本という国は「記録」に残らないのだ。それは単にネット販売の集計方法がないというだけの問題ではない

日本人には「ブランド信仰」がある。海外でブランド品を買いあさるのを見てもいかにそれが強いかがわかる。残念ながらいかにメジャーが落ちぶれたといっても「腐っても鯛」というのが実情である(数は減るとは思うが)。そして残念ながら今後もそうあり続けるだろう。テレビ局、メデイア局に行っても、インデイースアーチストで何十万枚売れようが、一般の待合室追いやられ素人扱い、千枚程度しか売れない「メジャーアーチスト」だとVIP待遇されてしまう。おかしい、と思うだろうがそれが現実である。いくらインデイースやアキバ系の娘たちが手売りで何千枚売ったとしても公の記録に残らない以上信用されない。社会上認知されない。残念ながらそれが現実だ。従っていくら「メジャーなんかバカバカしくてなれない」といっても少なくとも「社会認知上は」単なる自己マンに過ぎないと思われてしまう。(私自身はそう思っていません、念のため)

勿論本人たちがそれで満足しているのならそれで一向にかまわない。しかし実質的にそれで頂点にたつのは、たぶん、難しいだろうと思われる。なぜならアーチストというのは「ブランド」にならないといけないからだ。しかし社会認知をされない「ブランド」などありえない。残念ながらこの現実は重い。この「障害」はどうしようもなく乗り越えるのはきつい、日本人のブランド信仰体質が変わらない限りは....
実は日本人の国民性というのが結構障害になっている面があるのは否定できない。

落とし穴3-音楽配信でCDがなくなる。

実はいまだにこれに関する見方は別れている。結論からいうと私はCDパッケージはなくならないと考えている一人だが、一部の人はCD自体がなくなると考えている人も少なくない。
要はこれからの音楽業界は「音楽配信」が主体になるのか、CDが主体になるのかという話になるとこれは難しい話になる。正直いって将来はどうなるかは私にもわからない。しかし現在のPC中心の音楽配信環境ではまだ音楽配信が伸びているといっても採算レベルではまだない。i-tunesがあれだけのアーチストを揃え、あれだけ宣伝しても大もうけはしていない。あの程度なのだ

だがポイントは何といってもモバイルである。現在携帯各社がそれぞれ大手の音楽配信サイトと組もうとしている。
携帯とi-podやmp3プレーヤーが合体し、無線LANなみの通信速度になれば音楽配信が現在以上に飛躍的に上昇する可能性がある。その時始めて音楽配信が商売になるかもしれない。

しかしそうすると結局、各携帯キャリアとの提携が可能になった音楽配信サイトが生き残り他は淘汰されるということになるだろう。となると、結局ここでもインデイースだけの音楽配信サイトの今後はきつい。

いずれにせよ音楽配信がどの程度の比重をしめるか、だがCDがなくなることはないだろう。なぜならアーチストを
愛する人たちというのは確実に存在するから、この点はあとで述べる


以上音楽業界の未来を考える上での3つの落とし穴について述べたが、この3つを読むと結局何も変わらないじゃないか、という風に思うかもしれない。だが実は音楽業界の今後を考える時IT、ネットやシステム中心に見ると少し惑わされてしまうかもしれないと最近思うようになった

音楽業界低迷の原因

勿論インターネット社会に今の音楽業界は充分に適応しているとは言い難いのでそれも低迷の原因の1つでないとはいわない。しかし低迷の原因はもっと基本的な,根本的な点にある。それにはここ十年くらいやってきたことの大部分をある意味否定しなくてはならない。

原因1-マーケテイングミス

音楽業界は今まで10代後半ー20代の若者をメインターゲットに商品開発をしてきた。しかしこの若者世代は減って来ている。にもかかわらずこの基本的マーケテイング方針を変えようとしていない。まさかいまだ日本という国の少子化の傾向を知らない人は少ないとは思うが念のため総務省のデータを示そう
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2004np/

しかもこんなデータもある。厚生労働省のデータだと15歳ー29歳の若者でフリーター(無職)なのは337万人にも上る。これはこの年代の若者の約5人に1人に当たる。

http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3450.html


つまり

この年代は基本的に金がないのだ


この金のない世代が携帯には万単位の金を使っている、その連中に\3000のCDを買え、というマーケテイングをいまだに続けている。ファッション業界やゲーム業界は既にメインターゲットをミドルからその上の年代にシフトをしているが音楽業界は全くといっていいほどその動きを示していない。他の業界に比べてマーケテイング戦略が遅れているといわれても仕方がないところだ。

既に日本レコード協会(RIAJ)のデータでは30代以上が10代ー20代のCDの購買数を上回っているのがデータで証明されている

http://www.riaj.or.jp/report/mediauser/pdf/softuser2005.pdf

にもかかわらず相も変わらず10代ー20代のみをターゲットとした基本戦略を変えようとしない。これは実に不思議なことである。特にフロントラインの商品で30代以上をターゲットとした商品は殆どない(強いていえば綾小路きみまろ、くらいーちなみにこのアーチストのCDを買っているのは殆ど40代以上の「おばさん」たちであるーそしてきみまろは今一番日本でCDを売っているアーチストでもある)

15-29歳の世代はこれからどんどん減っていく。少子化が止まらない限りこの傾向は続く、つまり奪い合うパイはどんどん減っていき、業界はまずまず小さくなっていく。そのことを理解できない人間が多いのは実に不思議だ

原因2-ファン獲得のミス

私事だが今年の3月から6月にかけてかつてのアイドルリリーズの復活プロジェクトに関わった。主にサウンドプロデユーサー、アレンジャーとしてチームに加わったわけだがそこで私は驚くべき現象を目にした。ご存じの通りリリーズは21年のブランクがあって復活したわけだが、その復活ライブ"Fantastic Forest"を見に行くのに何とわざわざ北海道や九州からファンがそのライブを見に来るためだけに駆けつけてきたことである。それも一人や二人ではない、相当数がわざわざ遠いところから来たのである。
大変失礼ながら現在一世を風靡しているレコード会社A社のアーチストがもし21年もブランクがあったとしたらその復活ライブにファンがそこまでして駆けつけるだろうか? おそらく失礼ながら存在すら忘れられる可能性の方が高いと思う。

ところがここ十年ばかりで音楽業界はメーカーもプロダクションもそういった人たちを「ただのコアな層」というひとことで片付けてしまい、こういう熱心なファンを大事にしなくなってきているように思う。21年ぶりのライブを見に行くためだけに北海道や九州、全国から駆けつける、本当に心の底からそのアーチストを愛していなければできない行動である。そういう人たちをなぜ大事にしなくなってしまったのだろうか?

私はファンには大きくわけて3種類あると考えている
A層:いわゆるコアな層: アーチストの真のファン アルバムは必ず買ってくれコンサートにも極力来てくれる人たち
B層:中間層:コアというほどではないが一定の関心は持ってくれる層;CDもできがよければ買ってくれる
C層:いわゆるミーハー層 真のファンにはならないが「流行っている、みんなが聞いている」というと買う層
   数的にはA層、B層に比べ圧倒的に多い

私はこれが音楽業界が犯した最大の過ちだと考えているが、ここ十年でいつのまにかC層しか見なくなってしまったのではないかと考えている。理由は単純にC層が一番多いから、そこだけ相手にしていればプロモーション上は楽だからだ。あとは広告費を可能な限り流し込んであたかも「ヒットしている、流行っている」環境を作ればいい。そうすればC層のかなりの部分が買ってくれる。こういう考えでずーっと来ていた。しかしそのため若手アーチストを見ても、仮に前のCDがそこそこ売れても結局A層、B層というコアのファン層が育たなかったため、次の新譜の時にまた実質的に0からのスタートとなる。そのためまた膨大な広告費を投入して、なんてことを繰り返す、そのうち疲弊してしまう。その繰り返しではなかったかと思うのである

勿論、口でいうのは簡単だ。インデイースとか同人誌系アイドルや声優等はA層が主体になっているが、実はA層を広げるというのはとてつもない労力と手間がかかる。音楽業界はいわば「タイアップ至上主義」に慣れすぎてしまい「楽なやりかた」に慣れすぎてしまった。「面倒くさい」「手間のかかること」を極端に嫌うようになった。実際熱意、情熱を持ってアーチストをプロモーションしようという人間が少なくなってきている。全て金だけで解決がつくようにする習慣が身についてしまったからだと思われる

リリーズがアイドル時代のプロダクションにはこうした「地道な」「泥臭い」やりかたがまだ存在していたし、それをやったからこそ「コア層」が育っていった。こうした原点に帰ったアーチストの育て方を今一度見直すべきではないだろうか?

汗水たらしながらがんばるのはダサい、面倒くさい、泥臭いやりかたする奴はバカだーこういう考え方はバブル時代の日本の負の遺産だと思うがまだそういった考え方が根強く残っていないだろうか?

問題はアーチストをプロモートしたいという熱意である。楽なことではない。特に小さなプロダクションにとっては、アーチストと心中するくらいの意気込みが必要である。しかしそのくらいの覚悟がないと今後の発展は望めない


原因3-いまだにSeller's Marketにこだわっているミス

まず他の業界に目をやってみよう、この十年間で何が変わったか? 価格破壊、規制緩和、異業種交流、etc etc これらの言葉で共通することは何か?
そう。どの言葉も「音楽業界」に当てはまらない。という点である

ここ十年でまだ不十分な所はあるにせよ、日本はSellers MarketからBuyers Marketにある程度移行したと考えていいだろう。しかし音楽業界は「守られて」きた業界であり現在も殆どの経営者が「守り」に入っている。

特に日本レコード協会が必死になって守ろうとしている再版制度だがこれも実質的になくなる方向に動くだろう。
しかし私は必ずしも悪いことだとは思っていない。というのは再販制度廃止というのは価格の自由化を意味するが確かにかなりのタイトルの価格が下がっていくだろうが、コンテンツやアーチストの付加価値を如何につけて売るかという企業努力の温床にもなる。うまく付加価値をつければ逆に価格を上げることも不可能ではない。極端な例を挙げれば1枚1万円のCDを出すことも可能なのだ。再版制度だとそれはやりにくいが価格自由化になればそういうこともありうる。要は如何にコンテンツに付加価値をつけるか、だ。頭の使い方次第、この業界頭を使う習慣がなくなっているがこれからは必要であると思う。

勿論、CDのようなソフト、コンテンツは一般の物品をデイスカウントショップで売るケースと全く同じわけにはいかない。なぜならソフトは権利ビジネスである知材だからである。そして先ほど私は「CDコピーが業界低迷の原因でないとはいわない」とわざわざ言ったのは、確かにこの知材に対してお金を払わない体質がこの日本という国に厳然と存在しているという事実である。例えば同じ文房具でもキャラクターがつくと高くなる。これはキャラクターの権利料が付加されるからだが、その「権利料」というものを理解できない人間が少なくないのも事実である。勿論中国などはいうに及ばずアジア全般にこういった傾向が強いのだが、この「知的所有権」に関する意識が低いままでいる状況は何とか変えないと今後日本がこれからの国際競争力を養う面で非常に不利になっていくことは明らかである。音楽をはじめソフトウエア、コンテンツは「知材」でありそれらは確かに形のないものではあるが立派に商品なのだ。このことに関する啓蒙は私は必要であると考える。

従って、他の業界のような価格破壊は起こらないかもしれない。しかし大事なことは>「消費者に選択の余地を与えること」である。例えば店頭で新譜を試聴させる、最近でこそようやく行われていることだが、これを導入する時でさえ業界は猛反対した。現状ではユーザーが音楽を普通に探すためには選択の余地がまだまだ少ない。I-tunesがまだ採算ベースまで行っていないとはいえユーザーに好評なのは全曲試聴が可能だからである。しかしこの「試聴」というものに対しては音楽業界の人間は極めて否定的な人間が多い。しかしユーザーに買ってもらうためには商品を理解してもらうことが必要であろう、その商品の良さを理解してもらう努力をしなくてはならないのだ。ゲーム業界などはオンラインゲームで一定限度無料にすることによって逆にファンを獲得し、今では業績がかなり回復してきている。なぜ同じことが音楽業界でできないのか。そこの所の頭の切り替えは必要性を私は提唱したい。

ちなみに先日の東芝EMIが大リストラした件は同社が最後までCCCD(コピー不可能なCD)にこだわったことが消費者の反発を招いたという説がある。セラーズマーケットにこだわっても消費者の反発をくらったらこういうことになる一例ではないだろうか。なぜCDが売れないかーそれはまがりなりにも消費者を味方にしていないからである。ここ十年の間に業績が急成長した会社はほぼ例外なく消費者にFriendlyな営業方針を貫いている。音楽業界もそういう方向に転換すべきだろう。でなければ本当にこの音楽業界自体が事実上滅亡するかもしれない。

取るに足りない者からの音楽業界に対する提言

長々と書いてしまった。まあ私のような一介のアレンジャー・作曲家のいうことなど取るに足らないと云われるかもしれないが、私は心の底から音楽の世界を愛しているからこそこういう発言をブログに書いている。そしてこの年々悪くなっている状況に対していてもたってもいられなくなっているというのが真実だ。私の業界に対する影響力など微々たるもので、現状を肯定しようとしている人間は無視するかもしれない。(実際現状肯定派がこの業界の大多数を占めている現実がある)、それでもあえて今までのことを踏まえた上で以下の提言を行いたい。

1.アーチスト+ファン手作りの勧め

「地道に」という言葉はこの音楽業界ではものすごく嫌われる言葉である。しかし私はやはりアーチストとアーチストを本当に好きなファンとでいっしょになって大きくなっていくシステムによるインキュベーションが必要だと考える。理想論だと笑う人がいるかもしれない。しかし先ほどのリリーズの例にもあるように「コアな層」こそ大事にすべきという発想の転換をしないと次世代のアーチストはいつまでたっても育たないであろう。確かに時間もかかる、リスクも半端ではない。大手プロダクションならともかく、小さいところはとてももたないかもしれない。
そこで提唱したいのは

1.リスクシェアリング
1つのプロダクションで全てリスクを負うのではなく、プロダクション、制作、アーチストがリスクを分担する
いうまでもないがリスクをシェアするのだからレベニュー(収入)もシェアする

2.アーチストも含め全員がスタッフである
プロジェクト成功のため、全員がプロモーションや運営に協力するスタッフという意識改革をする
私もリリーズのプロジェクトにはプロモーションに協力していたが、ただ「雇われた」という意識ではない
かかわりかたが必要であろう。勿論アーチストだから運営に何もしなくてはいいということにはならない。

3.ファンクラブ、ファンあってのアーチストである
これが基本でしょう。時々勘違いで自分の力で大きくなったと考える愚か者がいるがそんな人間は長続きしない
支えてくれるファンによって活動できる自分がいることは、アーチストは勿論、プロダクションスタッフ側も絶対に
忘れてはならない。活動するにしてもファンクラブと連動しお互いが大きくなっていく。これは本来基本のはずである

こうした手作り感覚を本当に今は忘れられている気がしてならない。今こそ原点に帰るべきではないのか

2.「売れセン」放棄の勧め

だいたい90年代中頃からだろうか「売れセン」なんて言葉が使われ始めたのは、勿論発売する以上は売れなくてはならない、当たり前の話だ。しかし実は「売れセン」なんてものは存在しないのだ。要はあるメーカーであるジャンル、スタイルの音楽がヒットするとその二番煎じ、三番煎じが出る、ということを繰り返してきた。そしてそれがマーケテイングだなどという大勘違いを業界全体で行ってきた。その繰り返しが明らかに低迷の原因となっている。要はアーチストの音楽に共感する人が多ければ、どんなスタイル、ジャンルだろうが関係ないはずである。そろそろ「売れセン」の放棄を私は勧めたい

3 ユーザー、ファンに優しい業界への転換の勧め

少なくともネットでも店頭でも音楽をもっと聴けるように、ユーザーに選択しやすい環境を作るべきだろう。
これは音楽以外の他の業界では当たり前になっている。だいたいどんな音楽かわからなければCDを買うはずがない。そのことを理解できない人間が多いのは本当に不思議である。ネットも例の「45秒の原則」を変えるのが嫌ならばせめて「ストリーミングサーバー」でのストリーミングを「放送」とみなすべきだ。ストリーミングサーバーなら不法コピーは殆ど不可能のはずである。余程超腕利きのハッカーでもない限りは(SSLサーバーを突破するだけの能力が必要といわれる) そのくらいの規制緩和は必要だと思う

今CDが売れない理由はいろいろいわれているが明らかに消費者を味方にしていない。CCCDにこだわって消費者を敵に回したらどうなるか東芝EMIの例を見ればわかるであろう。同じ轍を踏みたくなければ消費者を味方にする方策を考えるべきである。でないとこのリストラの波が収束することはないであろう

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以上が私の提言である。異論がある人も多いだろう。あくまで私個人の考え方だが、これをたたき台にしてもし今後のあり方についての議論等が業界人の間で活発に闘わされるのであればそれが私の本望である。できれば業界の中枢の人がこれに加わってくれれば、

このまま音楽業界が落ちぶれた状態が続くのを見たくない
何とかしてこの流れを断ち切りたいと思うが由の発言である



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2006年7月 9日 (日)

久々にLTJ ブケムを聴く

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自分でもなぜかわからないが急に無性にある音楽が聴きたくなるということがある。というわけでレビューにも書いたがLTJブケムの"Earth Vol1&2"をCDの棚から出して聴いた。

癒し系とかアコーステイックなイメージが強い私だが実はこういう音楽も結構好きなのである。反対にエレクトロニカ系が好きな人はアコーステイックを聴かないなどという俗説を唱える人がいるが全くのナンセンスである。その逆も同じ。それに元々私はYMOはじめBイーノやローデリウス等のエレクトリック系もよく聴いていたからこういうのを僕が好んで聴いても少しも不思議ではない

ちなみに少々ポップすぎているかもしれないが僕自身も自主制作ながらエレクトロニカのアルバムを出している

http://homepage1.nifty.com/hyb-music/metanature.htm
理由あってわざとJASRAC登録していない音源である。
興味ある人は聴いてみてください

このLTJブケムの"Earth Vol1&2"、いわゆるドラムンベースが 注目浴び始めた頃のアルバムで既に発表から8年もたっている。しかしドラムンベースというよりは寧ろアンビエントに近い。Vol1が動としたらVol2は静になるだろう。8年前に作られたアルバムだが今聞いても新鮮である。クラブ系お勧めのアルバム。Earthシリーズの原点がここにある。
時々テクノでありながらジャズ的なエッセンスが多分に入っているのがさすがアメリカ人のユニットだ。ヨーロッパのテクノユニットとは明らかにテクスチュアが違う

ちなみにうちの小学生一年の娘は結構これを聞いてノリノリだった。こいつ大きくなったらクラバーにでもなるのかな? ちょっと困るかも..(^^:)

興味ある方はこちら
LTJ ブケム Earth, Vol. 1

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