Kyoji "metanature"
i-tunesでも好評配信中!!
i-tuneページを表示するにはお客様のPCにi-tunesとquicktimeがインストールされている必要があります。 i-tunes及びquicktimeのダウンロードはこちら





« 私なりの20世紀音楽論 | トップページ | 生きた音楽表現 »

2005年1月16日 (日)

なぜ私は音大へ行かなかったか

昨年から久しぶりにプレーヤーとしての活動を再開したのですが、お陰さまでいずれもお客様からすばらしい反応をいただきました。それ自体はうれしいのですが、時々「あなたはどこの音大を出たのですか?」と聞かれることがあります。こういう時「私は音大は出ていないのです」といいますとたいていの場合びっくりされます。

 私は音大、特に芸大の受験を真面目に考えてそのための準備をした時期があったのは事実ですが結局音楽大学には行きませんでした。そして実は音楽大学に行かなくてよかったと今でも思っています。おそらくもし音楽大学に行っていたら今の自分はなかっただろうと自信をもっていえます。

  なぜやめたかって? 理由はいろいろありますが一番の理由は音楽大学のアカデミズムの体質にどうしても合わなかったのが揚げられます。当時私は音楽の先生の芸大の作曲学科受験を勧められていたのですが、芸大というのはアカデミズムの最高峰、その教育内容、カリキュラムもそうですが何よりもその大学に入っているひとたちのメンタリテイに対して私は終止違和感を感じていました。1年以上続けていくうちに「このままでは自分の音楽の感覚がおかしくなる」と思い始めました。そしていよいよ音大受験の本番という矢先にやめてしまいました。

  これは今思うと正解だったと思います。私はその後普通の大学に入学しましたが、皮肉なことに普通の大学に入ってから本格的な音楽の勉強を始めました。ただしこの場合音大のようなクラシック音楽一遍倒ではなく、ロックやジャズ音楽の語法、バンド活動の参加を積極的に行いました。アルバイトでラウンジピアニストをやったのもこの頃です。そうしているうちに音楽理論の勉強は必要であると感じ、音楽理論を学ぶため再び芸大系の先生の門をたたいたりもしました。そうした折ミニマリズムや新しい音楽の表現にも触れ一時は現代音楽の方向に足を踏み入れたことがありましたがつまんなくなりすぐにやめてしまいました。

; 音楽大学の世界を知らない人は理解できないでしょうが、実は音大にいながらクラシック音楽以外の勉強をするのは少なくても当時はかなり難しい状況だったのです。音楽大学のアカデミズムに染まっている人はポピュラー音楽に対してひどい偏見を持っている人が多く、実は音大の学生がアルバイトでスタジオミュージシャンの仕事をしていたために退学させられたなどという信じられないことが昔本当にあったのです。最近はそこまでひどくはなくなったようですが、でも音楽大学の基本的な体質はまだ変わったとはいえません。

  意外にお思いになる方が多いでしょうが実は音楽大学をでてプロのミュージシャンになる人は極めて少ないです。全くいないとはいいませんが、殆どいないといっていい程極めて少ない、何千人に1人という程度なのです。実際問題として「音大を優秀な成績で出た」人でプロの現場で使い物になるケースはまずありません。その理由として以下の原因が揚げられます。

1. クラシック音楽以外の音楽に対して呆れる程無知である。
2.   アドリブが一切利かない
3. 変な意味で「プライド」が高いので、こちらの要求に応えらず極めて使いづらい


   1、3は論外だが私が問題だと思っているのは特に2でしょう。

アドリブ(即興)ができない演奏家は才能のない演奏家である

; これは私の持論です。これは必ずしも全てのクラシックの演奏家が才能がないといっているのではありません。実はクラシックでも一流の演奏家はある程度アドリブができるのです。しかし大半の音大出の演奏家はアドリブ、即興ができません。これはクラシックの演奏家は全て「楽譜通りに」演奏するのが是とされ、アドリブー即興は演奏家としてやってはいけないことだという教育をしているからです。だからスタジオで即興でソロを演奏しろといっても殆どの音大出の子はできません。コード譜のみ記されていても何をしてよいのかわからないようです。しかしそれではプロの現場では使い物になりません

一体いつの頃から「即興=悪」という教育が始まったのでしょうか。実はクラシック音楽でも少なくても19世紀の中頃までは即興をする演奏家はたくさんいました。リストなどは実は即興の名人でフジコ、ヘミングで有名になった「ラ・カンパネルラ」は実はリストが即興で作った曲ということは意外に知られていません。リストど同時代のバイオリンの名手ーパガニーニも即興演奏の名人でした。それがだいたい20世紀近くになってから音楽の構造も複雑になり、ストラビンスキーなどは「演奏家は作曲家の操り人形であるべきだ」と公言していつのまにか「即興=悪」という風土がクラシック音楽の世界に蔓延したのでした。私はこのことが音楽を非常につまらなくしていると感じています。

 誤解しないでいただきたいのですが私はクラシック音楽は大好きです。学生時代は寧ろクラシック少年でした。そしてクラシックの昔の演奏家の演奏に何度も感動させられた経験を持っています。ユーデイメニューイン、アイザックスターン、レオナルドバーンシュタイン、フリードリッヒグルダ、パブロカザルス。だが悪いのですが「海外のコンクールで優勝したetc」「いろんなコンクールで上位入賞」した演奏家の演奏を聴いても一部例外はあるが大抵聴いていてつまらない、全然感動しないのです。クラシック音楽自体は歴史の波にもまれながら生き残ってきた名作ばかりです。みんないい音楽です。しかし人気はないのはなぜでしょうか。それはクラシック音楽がつまらないのではありません、クラシック音楽の演奏家の演奏がつまらないのです。私は音大出ではないから好きなことをいえます、この発言でおそらくは音大出身者から総スカンを食らうかもしれません(^^:) でもこれは私が素直に正直に感じていることなのです。


  音大にいたらこうした点がみえなかったかもしれません。実は音大出でもプロのミュージシャンになっている人は殆ど例外なくこうした「音大的」価値観に染まっていない人が多いです。中には同級生から「あんな人いたの?」と云われる程学校に行かずにプロで現場経験していた人もいます。実際そういう人間の方がプロの世界に入って伸びているのです。残念ながらそれが現実なのです。

宮内庁に似ている(!?) 音楽大学の体質

 音楽大学は「クラシック音楽の基礎を学ぶ」ための教育期間ということになっています。だからプロのミュージシャンを育てるよりは学校の先生を多く育ててきました。今まではそれでよかったかもしれません。しかしこれからはそれで本当によいのでしょうか? 音楽大学というところは云ってみれば「宮内庁」に体質が似ています。ハッキリいって時代遅れどころか時代錯誤の部分があり、人によっては頭が19世紀で止まっている人も少なくありません。しかし残念ながらそういう人たちが音大の世界を牛耳っているのも事実です。いまだに西洋のクラシック音楽を唯一絶対の音楽であるという基本的ビジョンを変えようとせず、社会がどういう音楽人を必要としているかについて考えようとしていません。

これからは少子化のため学校の音楽の先生のポストも簡単には空きません。街の音楽教室の先生とて同様です。そうした状況にもかかわらず音大が今までの教育方針を根本から見直そうと考えている態度が見えて来ないのはとても残念な気がします。卒業しても社会に役に立つ人材を育てなければ教育機関としての社会的使命を果たしているといえるでしょうか。それを真面目に考えないとそのうち音楽大学の存続すら危うくなるかもしれません。

|

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。