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2004年6月27日 (日)

音楽療法について(改定版)

音楽療法なる言葉を聞いたことがある人もいると思います。英語のMusic Therapyを訳したもので故桜林仁氏が日本で初めて紹介したのですが実はこの音楽療法なる言葉は実に誤解を呼んでおります。そのまま言葉を 聞くと音楽を使って治療するということになりますが、たいていの人はそれを聞いて「そんなバカな」と答えるでしょう。音楽で病気など直るわけがない、と。そう考えるのは無理もない話ですが、私の考えを述べる前にまず音楽療法についての発展の歴史について簡単に述べておきましょう。

  古代社会では医学と呪術の境目がなかったこともあり、音楽(というより祈り)が医療の現場にあることはそれほど珍しいことではありませんでした。しかしそれは医学という学問自体が確立されてなかった頃、近代医学に入ってから音楽が医療の現場で使われたのは現在わかっている範囲では早くて第一次大戦後、ドイツ軍の毒ガスの被害を受けてぜんそくになった人の回復法として、リコーダーやフルート等の管楽器を演奏させたいわばリハビリ法の1つとしてあみだされました。それ以外にリューマチ患者に弦楽器やピアノを演奏させて指を健全な動きに回復させる方法等もあります。いずれも音楽を演奏させることによって、筋肉等の肉体的回復をめざすというもので、元来医療現場で音楽療法といえばこのことを指していました。そしてここ20年くらいから音楽を演奏することによる心理的効果が注目され始め、心身症の患者の回復法の一つとして音楽を演奏させて精神病を回復させる方法や、老人ホームで痴呆症の老人に歌を歌わせて痴呆症状を防止または緩和する等の方法等、いわば精神的回復方法を目指したものも取り入られています。

  これらの回復方法の現場には音楽療法士という人たちが病院や老人ホーム等で患者たちの指導に当たり、患者の肉体的回復や精神的回復の役割を担っています。(この音楽療法士が国家資格化される法案が提出されようとしましたが学会の事実上の分裂で法案提出が見送られました) ここでお気付きの方も多いと思いますが、これらはいずれも患者たちに音楽を実際に演奏させるものであり、実は通常音楽療法といいますと今述べた"音楽演奏型"のものをいいます。

   ここで本題に入りましょう。実はこの音楽療法の"療法"というのがひじょうに曲者なのです。療法という以上これらは医療行為と同時にいわば"処方せん"として音楽を使う、つまり音楽をいわば薬というふうに考えるわけです。だが思い出して下さい。ぜんそく患者に管楽器を演奏させる、リューマチ患者にピアノや弦楽器を演奏させる過程を考えた場合、この理屈だと管楽器やピアノが"処方せん"ということになります。これって変でしょう? また精神病患者に楽器を演奏させたり、痴呆患者に昔懐かしい歌を歌わせるというのも別に音楽が薬の作用をしているというのは正しくありません。

   これらは音楽を演奏することによって"リハビリ"を行う事によって肉体的および精神的回復を図るというのが実態で、この場合音楽は薬ということより"リハビリテーションツール"としての役割を担っているという認識の方が正しいのです。近年いわゆる音楽療法に関心を持っているお医者さんが増えているのは喜ばしい反面、音楽を薬という過った認識を持っている人が多いのは困ったものです。

   なぜ困ったものかというと、私のように音楽業界で仕事をしているとよくわかりますが、要は100人が聴いて100人が気に入る音楽などこの世に存在しないということです。考えてもみて下さい。日本におけるミリオンセラーの曲だって人口100人当たりたった1人買えばそれでその曲はミリオンセラーになるのです。そんなものなんです。つまり音楽は非常に嗜好性が強いもので、私はいろんな現場で同じ音楽でもお医者さんの音楽の好み次第で正反対の結果が出たことを何度も経験しています。つまり同じような症状でもその人の音楽の好み、育った環境、世代等によって全く違う音楽が効果的な場合があるのです。だが薬というのはどの症状にはどの音楽と"処方せん"が固定されてしまいがちで、かくして例えばうつ病にはモーツアルトの音楽がいいといった,(ある特定の人にはいいでしょうけど) 本人の音楽の好みを無視した"処方せん"が大手を振ってまかり通っているというのが日本の現状なのです。

   従って私は"音楽療法"というのは間違いで"音楽リハビリテーション"というのが正しいと思っております。以後の話で私は療法という言葉は用いずに"音楽リハビリテーション"という言葉を用います。

実はこの受動的リハビリテーション、私以外の人は受動的音楽療法といいますが つい最近まで"音楽療法学会"の人たちを中心とする人たちは(もしあなたの知り合いにそういう人たちがいれば、ですが)音楽を演奏する音楽療法は存在するが、音楽を聴く音楽療法など存在しないという考え方が支配的でした (今でもそういう人たちは少なくないですが)。つまり私が"やっているいわゆるヒーリングミュージック"によって精神的に癒すという方法は音楽療法、いや"音楽リハビリテーション"とつい最近まで認められていなかったのです。

また現在の音楽療法の世界はバラバラで、各大学の音楽療法の専門家(と自称する人たちも含めて)が自説こそ正当派で自分以外の学説は全て邪道、といった偏った見方をする人間が少なくありません。 ここまでくると学問ではなく宗教に近い、残念ながらこういうレベルの低い状況が今の日本の音楽療法の実態と云わざるを得ません。 実際、私は音楽療法は”リハビリテーション"であって治療を補うものであって、音楽そのものが医療の根本的な治療にはなりえないという立場です。これだけで日本の音楽療法の世界では異端視されてしまいます。
私は"音楽演奏型"の音楽リハビリを"能動的音楽リハビリテーション"、そして音楽を聴くものを"受動的音楽リハビリテーション"と定義しています。これはハッキリいって私だけが使っている言葉で、世の中の"音楽療法"の専門家の方々にこの言葉をぶつけても「何じゃそれは?」という言葉が間違い無く帰って来ますのでここだけの話にして下さい。

   どうしてこうなってしまったのでしょうか?。おそらく"受動的音楽リハビリテーション"は殆どの場合「病気というレベルまではいかないが、精神的に疲れている人たち」が対象になっているからで、いわゆる今流行りの「癒し」を欲している人たちも含まれます。また先程も申し上げた音楽の趣味等が異なることによる、個人的嗜好性が強いことからそれを「非科学的」といって最初から論じることを嫌うお医者さんも少なくありません。

    わかりやすく表にするとこういうことになります。

能動的音楽リハビリテーション 音楽を演奏することによって癒しや肉体、精神的なリハビリを行う方法 いわゆる「病気」と医者に診断された人
受動的音楽リハビリテーション 音楽を聴くことによって癒しや、精神的なリハビリを行う方法 病気というレベルまではいかないが、精神的に”癒し”が必要な人たち

   しかし実際には「本当に病気」の人と「病気というレベルまではいかないが、精神的に疲れている人たち」では後者の方が圧倒的に多いことは云うまでもありません。 最近こそこうした受動的リハビリテーションを現場で実践する人たちが増えてきましたが、まだまだ日本の音楽療法は世界的に見ても認識が遅れているといわれても仕方ありません。

         私の知り合いには何人かお音楽療法士と呼ばれている人がいますし、彼等の活動には敬意を表します。彼等の勤務状況は想像以上に苛酷で大変なものです。待遇もはっきりいってアルバイトと同等で大学で先生をしている一部の人を除いて音楽療法で生活できている人も殆どいないのが現状です。
最近でこそ、老人ホームや医療施設で「音楽の時間」と称して音楽療法を実践することは珍しいことではなくなってきました。しかしまだ単なるリクリエーションという範疇を超えていないものが多いのが現状です。しかし少しずつですがよい方向には向かっている気もします。今後この分野が発展して欲しい気持ちはありますが、 何よりも社会での音楽療法そのものの啓蒙も必要でしょう。そして音楽療法の世界がもっと客観的な性格になり統一してきちんとした音楽療法の認定制度を作るべきだと考えます。


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