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2004年5月20日 (木)

私の音楽家としての生き方

音楽家の生き方というと堅苦しいというイメージを持つかもしれません。私は大学生時代に市井三郎という哲学者のゼミに参加したことがありますが、ここではそういう話しをするのではありません。ただ、一人の人間として周囲の雰囲気に流されたりするのではなく、きちんと自分とは何か、どういう人間なのか、どういう音楽家なのかについて見つめるのは必要だと思いましたので自戒も含めてこのページをもうけました。と申しますのはこの情報が溢れている時代に音楽業界人として生きつつ自分の生き方を見失いがちになるからである。

  20世紀の音楽のみならず文化芸術全般についてある歴史家は「大衆文化の花開いた世紀」などと論じるかもしれない。しかし私はそれは違うと思う。第一にこの大衆文化なる言葉は私は大嫌いだ。だって考えてみれば非常におかしな話で元々芸術、文化は大衆というか一般人民のものであり、別に一握りの音楽専門家のためでもないし、いわんやいわゆる特権階級のものではない。確かに表面的には19世紀.まで芸術文化は貴族や特権階級が中心に享受しているように見える。だが映画「アマデウス」でも描かれていたがモーツアルトの音楽を支持して、後世に伝えていたのは貴族や特権階級ではなく一般の市民階級であったことを思い出して欲しい。あるいはシューベルトは死後認められたというけど、当時の多くの人々は彼の愛らしい歌曲のメロデイは知っていた。(ただ作者はシューベルトとは知られてなかったようだが) 昔から良質の音楽は一般市民に支持されて後世に伝わっていたことが多いことを未だに多くの音楽史研究家や音楽評論家という人たちは認めようとしていない。そのためにこのような考えが未だに大手を振ってまかり通っている。

 それを云うなら貴族や特権階級のコントロールから完全に解放された世紀と云った方が私は正しいと思う。(最もヨーロッパ等の一部の国ではいまだに特権階級は存在するが) 一方では資本主義、商業主義の発展という別の面もあるが、とにかくいわゆるポピュラーミュージックが花開き、20世紀の音楽の発展に大きく寄与したことには誰も異論はないだろう。一方ではこれは19世紀以前から続いた伝統的な西洋音楽の事実上の終焉をも意味していると思う。

  前者には異論はなくても後者に異論を持つ人は多いかもしれない。特にいわゆるクラシック系の音楽をやっている人たちにとっては。では21世紀に入った現在、20世紀の伝統的な西洋音楽家で現在大きな影響を与えている人はどれくらいいるだろうか?

  まず20世紀の前半だけにしぼって見れば私が本当にすごい作曲家だと思うのは3人しかいない。ジョージ・ガーシュウィン、ベーラ・バルトーク、そしてデユーク・エリントンである。この他アービン・バーリン は多くの名曲を残したし、スコット・ジョップリン(20世紀の人とは言えないかもしれないが)の多くのラグタイムの名曲もあるが、この3人が作った音楽の質、後世への影響、という面でずば抜けている。この3人の中でいわゆるクラシック系の人はバルトークだけである。(ちなみにここではドビュッシー、ラベル、サテイは19世紀の作家と定義している)
  ではストラヴィンスキーは? 彼が本当に面白かったのは「春の祭典」や「ペトルーシュカ」を書いていた初期の頃だけで、「新古典派」以降の音楽は実に退屈だ。
       シェーンベルク?ウイーン楽派?  12音技法なんて実にくだらない。いわゆる芸術音楽をおかしな方向に持っていったA級戦犯といっていい。あれだけ音を無機的にして芸術でござい、なんてふざけるなといいたい。
      ジョンケージ?  私は彼を音楽家ではなく思想家として見ている。彼は「どんな曲を書いた」というより、「どんなことをしたか」で記憶されるだろう。彼の思想が現在私が取り組んでいる環境音楽に間接的にせよ影響を与えているのは事実である。今では当たり前になっている自然音の音楽への導入や、日用品を打楽器にする等、当時としては革命的な概念といえよう。そうした面は確かに認めるが、それらはあくまで芸術思想の面で革命的なのであって、そういった点でも彼は音楽家ではなく思想家と考えた方が自然である。(同じようにマルセル・デユシャンも美術家というよりは思想家である)

  20世紀の後半は50年代から特に80年代初頭くらいのロック音楽が黄金時代を築いたのは今さらいうまでもあるまい。特筆すべきアーチストが多すぎてこのページでは到底足りないのでここでは割愛する。ひとくちにロックといってもヘビメタからAORと多岐に渡り過ぎるし、更に80年代以降からジャンルの多様化が押し進められ、テクノミュージック等に進化したりしている等、それら全てについてここで論じるのは不可能である。ただ20世紀後半の音楽はこうした多くのアーチストの様々な試行錯誤に支えられて発展してきたのは事実である。

  いわゆる芸術音楽という方面に目を向けると特筆すべきは70年代中頃から出てきたミニマリズムが揚げられる。このミニマリズムはいわゆる現代音楽に事実上最後の花を裂かせたといってよい。ステイーヴ・ライヒやテリーライリーの名前を揚げるまでもあるまい。このミニマリズムはブライアンイーノを始め私がやっている環境音楽にも多大な影響を与えたし、近年ではクラブミュージックにも大きな影響を与えているのは周知の事実である。

  20世紀の後半はこのミニマリズムとロック音楽を初めとするポピュラー音楽を中心に発展してきたが、ここ10-20年だけで見ると実は本当の意味で新しいものは出ていない。つい先日までアンダーグラウンドで盛り上がっていたDrum'n Bass とかトランス系、アンビエント系といったクラブミュージックも結局はミニマリズムをクラブ風に料理したに過ぎない。いろんなアーチストが様々な音楽スタイルをコラージュして様々な試行錯誤を繰り返しているが、残念ながら本当に新しいものは出ていない。その意味で20世紀末は音楽史的には停滞した時期だといえるだろう。

  ポピュラー音楽もだいたい90年くらいから商業主義の部分がやたら強固になりアーチストの活動もその範囲内に制限されている。その商業主義のシステムは強固でアーチストは徹底的に管理されており、その様子を見ると下手すれば19世紀以前より自由がないのではと思うくらいである。こうした状況の中アーチストはある選択を迫られている。つまりメジャーレコードにお世話になって必ずしも自分がやりたくない音楽をやるか、自分で制作からCD販売まで全てやって自分のやりたい音楽にこだわるか。それはアーチストの生き方しだいだが決して簡単な選択ではない。別貢のクリエイテイヴに生きるということでも述べているように現代はクリエイテイヴに生きるのは簡単ではない。

   何よりも問題なのはここ20年、本当の意味で新しいものが生まれていないという点だろう。これは必ずしも"アバンギャルド"云々ということではなく、感覚的にも音楽語法的な面でも。これは一方では映像、特にILMのようなSFX制作会社から革命的な映像表現が発表されているのと比べると対極にある。

   私が本当に新しいものを生み出せるかどうかはわからない。しかしチャレンジだけはしてみたいと思っている。何よりも絶えず新しい試みをする精神だけは大事にしたい。それを失ったらもはやクリエータとはいえないと思うからである。そうした中でもしかしたら新しいものが生まれるかもしれない。

   
 

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