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2004年2月22日 (日)

奇人変人が多い大作曲家の人物像

ここでは珍しくクラシック音楽の話をしよう

  クラシック音楽というものは歴史の波に揉まれているだけあって当然のことながら名曲、名作が多い。しかし「こんな素晴らしい曲を書く人なのだからすごく立派な人でしょう?」などといった世間知らずのお嬢さんのようなことを云うなかれ。実はいわゆる大作曲家の多くは奇人変人の類いにあてはまることが多い。

  しかし大作曲家といわれる人たちは多かれ少なかれ伝記作家や音楽評論家たちによって美化されている。特にモーツアルトやシューベルトといった人たちは若くしてしかも貧乏のうちに死んだということもあって過剰なまでに美化されている。しかし実像は今あるイメージとはかなりかけ離れているのを御存じだろうか。

   20年近く前に映画「アマデウス」というのがあったが、その映画に描かれている破天荒なモーツアルトの姿に憤慨したモーツアルトファンが少なくなかったようだ。だが実際のモーツアルトは(たぶん)あれよりもっとひどかったようである。実はモーツアルトは手が付けられない程のイタズラ小僧で舞踏会で女の子のスカートをまくったり、ウイッグにイタズラをしたり等しょっちゅう女の子にチョッカイを出していた。そのことがザルツブルグ大司教の怒りを買ったわけだが、それだけではない。モーツアルトの友人の手紙を見るとまあシモネタ、ウ◯コネタがバンバン書き込まれていて、「紅顔の天才美少年」というイメージはこの手紙を読むともろくも崩れ去る。実際あまり知られていないが「オレのケツを舐めろ」という題名の曲すらある。もっともこれは日本でいうアカンベーと同じニュアンスで英語にも"Kiss my ass"という表現がある。

 そしてシューベルトの場合だがこれはモーツアルトよりもっと深刻だ。彼が31才という若さで極貧のうちに死んだという人生を後の伝記作家や音楽評論家たちがあまりに美化し過ぎた結果、主にクラシック系の作曲家の間に「シューベルトシンドローム」なるものがはびこってしまったのである。つまり「生前は殆ど認められず極貧にも負けず素晴らしい作品を残したーなんて素晴らしい作曲家なんだ」というわけである。おかげで「生前認められなくてもいずれはシューベルトのように評価される」などという馬鹿馬鹿しいことを考える人間まで出てきた。シューベルトのような生き方こそ作曲家の理想であると云わんばかりだが、作曲家の端くれである私からみれば冗談じゃない、ふざけるなといいたい。迷惑もいいところである。

   実際にはシューベルトは物凄くだらしない男であった。背も小さく服装にも無頓着、人つきあいも悪く無愛想な男だったという。当然映画「未完成交響楽」(すげえクサイ映画(-_-;))のような恋愛などできるわけはない。また極貧というけど高荻泉氏によると割と頻繁に売春宿に出入りしていたらしい。女遊びをするくらいの金はあったようである。一般的なイメージの「清貧」とも違う。おかげで梅毒にかかってしまい、精神的にも不安定になったようである。例の「未完成交響曲」が未完成に終わったのもこの辺りと関係があるという話もあるが真相はわからない。いずれにせよシューベルトも一般に知られているイメージとはかなり違う。

   ついでにいうならー話をモーツアルトに戻すがーモーツアルトの晩年も後世云われる程貧乏ではなかったという。確かに以前より大幅に収入が減ったのは事実らしいが一部に伝えられているような「餓死」するほど貧窮はしていなかったようである。少ないギャラだったが作品の依頼は結構あったようだ。これも音楽学者、音楽評論家たちが美化するあまり「モーツアルトは清貧のうちに死んだ」というイメージでなければならないという思い込みが「餓死説」まで飛び出させた要因であろう。

  これらはほんの一例に過ぎない。各作曲家に対してよいイメージを持ちつづけたいとお考えの方には申し訳ないが、しばしば事実は小説より退屈なのだ。(これって誰の言葉だったっけ?)歴史に残る大作曲家がどんなに偏屈で、決して友だちにしたくない人間が多いか以下に示そう。タイプとしていくつかに分類できる

かんしゃく持ちタイプ
ベートーベン

  -数々の名曲を残したベートーベンだがまさに「偏屈が服を着て歩いている」という言葉がぴったりの人物だったという。しばしばかんしゃくを爆発させしかも元来の一本気な性格が禍いして多くの友人や恋人が彼のもとを離れていった。極めつけは弟の子を弟の死後引き取ったのだがこの甥のカールはベートーベンの過剰なまでの干渉についには自殺未遂まで行い、その結果この数少ない肉親から絶縁状までたたきつけられた。またベートーベンは数々の良家のお嬢さんと派手な恋愛をしたがいずれも別れてしまった。おそらく女性の方がついていけなかったんだろうね。ちなみにベートーベンの臨終の言葉は「喜劇は終わった」ーふーむ自分でちゃんとわかってはいたようだ。

   マーラー
       武川寛海氏によると「マーラーは天才だったらしい」何の天才かというと「敵を作る天才」だったという。この人もかんしゃく持ちで、自分と思想や思考が合わない人物に対してはどんな温厚な人物も怒らせてしまったらしい。つまりケンカの天才だったわけである。おかげでマーラーは「反ウイーン楽派」から徹底的に攻撃されることになった。晩年マーラーは極端な厭世感にとらわれるがこの時は人をよせつけない雰囲気に満ちていたという。個人的には初期のマーラーは結構好きなのだが晩年の厭世感あふれる雰囲気の曲には正直ついていけないところがある。武川氏の話しを聞いて納得、なるほど友だちになりたくてもなれない人物のようだ。

バルトークー
       バルトークの作品は私自身結構好きなのだが、その音楽は決してお世辞にも親しみやすいとはいえない。人間的にもその通りだったようでコリンウイルソン氏によると「バルトークはまれなほど親しみにくい人間だった」という。プライドも高くかなりのかんしゃく持ちだったという。確かに何となくあの音楽を聴いているとわかるような気がする。



自分勝手タイプ
ブラームス

  このブラームスという男、相当なひねくれものだったらしい。しかも自分勝手。ブラームスは生涯を独身で通したが、実は25才の時大学教授の娘、アガーテ フォン ジーボルトなる女性と婚約していた。しかしどうも気が進まないということでブラームスは悩んでしまう。そして何とよりによってアガーテ本人に相談するのである。いわく「僕は君を愛している。でも僕は束縛されたくない」と面と向かって云ってしまったのである。アガーテは当然ブラームスを捨てる。そりゃそうだろうな。女性から見たらなんて勝手な男なのと思っただろう。
またこんな話しもある。アメリカの大学からの作曲の依頼、それもかなり大きな仕事だったのだが彼は即刻断わっている。いわく「船で大西洋何か渡りたくないーだって船が沈んだら恐いもん」 アホか。

チャイコフスキー
単なる自分勝手ならまだしも、人を傷つけるのはよくない。実はチャイコフスキーはホモだった。現代でも同性愛に対する偏見は存在するが19世紀の話だから今よりもっとひどかっただろう。従ってそれを隠したい気持ちもわからないではないが、よせばいいのにホモの事実を隠すためにチャイコフスキーはアントニーナという女性と結婚してしまう。しかしホモが異性と結婚するものではない。チャイコフスキーはアントニーナとの「夜の営み(夫婦だから当然である)」に耐えきれずとうとうノイローゼになってしまい、最後には自殺未遂までやってしまう。可哀相なのは妻のアントニーナの方である。普通の夫婦生活もできず夫をノイローゼにさせたということで悪妻にされてしまったが、ひどいのはチャイコフスキーの方であるのはいうまでもない。自分勝手もここまで来ると罪である。


神経質タイプ
ショパン

ベートーベンが「偏屈が服を着て歩いている」ならショパンは「神経質が服を着て歩いている」ような人間だった。時々そんなつもりでいったんじゃないのに何気なくしゃべったひとことで怒ったり、勝手に傷付いたりするような人間があなたの周りにいないだろうか? 実はショパンはまさにそういう人間だった。実際こんなことがあったらしい。ショパンがファンだという女性に「僕の曲ってきれい?」と質問したら女性が「ええ。とてもきれいで大好きです。」といったらショパンは突然怒り出した「僕の曲はきれいだけなのか、それしかない音楽なの?」って泣きながらその場から走り去ってしまったという。そんなこと誰もいってないだろうが。この話からして、いっしょにいるだけで本当に疲れる奴だ。
  こういう人間だが結構ハンサムな男だったから女性遍歴は豊富である。しかし多くはこの性格のためにすぐに別れてしまう。しかしラッキーな奴で母性本能が強く包容力のある素晴らしい美女と出会う(羨ましいぜ(-_-†)。女流作家のジョルジュサンドである。サンドは友人に「彼(ショパン)は時々私に子供のように甘えてくるの」と手紙に書き送っていたが、赤ちゃんプレイでもしとったんか、お前らは。
しかしさしものジョルジュサンドもこの異常なまでの神経過敏な男についていけなくなり、結局は別れてしまう。それからまもなくショパンは39才の若さで死ぬが、こんな性格なら早死にするわな。友だちどころか私は近寄りたくもないね。

シューマン
シューマンは元々「うつ」の気があった。精神医学者の丸野先生に聞くと、生真面目で神経が細やかな人ー神経質な人間が「うつ」にかかりやすいという。この「うつ病」は実に恐い病気である。私ごとで恐縮だが友人が2人も「うつ」が元であの世に行ってしまっているので、この恐さはわかる。シューマンの晩年を見ると典型的な「うつ」の症状である。この「うつ」はシューマンが若き日のブラームスを迎え入れた当たりから始まる。シューマンの妻クララとブラームスが「いい関係」(不倫?)になっていったのは有名な話だが、どうもそれとシューマンの精神病は何らかの関係があると考える方が自然である。特に「うつ病」の人は妄想も膨らみやすいのでそれからシューマンの症状が悪くなっていっても不思議はない。
  先程「うつ」が元で友人が2人亡くなったといったが実はいずれも自殺、もしくは自殺に近いことをして死んでしまった。同じくシューマンも投身自殺を図ってしまう。シューマンの場合は自殺未遂となったが、結局この後は殆ど寝たきりー最後は殆ど植物人間状態だったという。真面目過ぎて神経質な人というのはひとつ間違えるとこういう不幸な事態に陥る。この当時はストレスマネジメントなるものは存在しなかったからであろう。最近日本でも「うつ病」になる人が増えているという。日本ではまだ職場でのストレスマネジメントの導入が世界的に見ても大幅に遅れているが、シューマンのような悲惨な死に方を防ぐ意味でももっと積極的に導入すべきではないかと私は考えている。少し余談だが...


ヴォルフ
フーゴーヴォルフは日本での知名度は必ずしも高くはないが、いわゆるワーグナー派に属した作曲家で、歌曲の面で多くの実績を残した人。シューマンと同じく「うつ」の症状で投身自殺(未遂)を図ってしまい、救出後完全な狂人になってしまう。もっともヴォルフの場合は若い頃の梅毒がきっかけであるといわれる。梅毒というのは精神的に不安定になることが多いといわれる。しかしもともと神経質な性格で悩み多き性格でもあったようである。晩年の「うつ」も梅毒の再発がきっかけであったようだ。セックスするにも性病には気を付けましょう


イヤーな奴タイプ
メンデルスゾーン

メンデルスゾーンは父親が銀行家だったこともあり、裕福な家の息子でしかも幼い頃から天才としてもてはやされていた。学校も一流の学校を出て、父親の財力に任せて自家製のオーケストラまで持っていた。これだけでも充分にイヤな奴だが、性格も結構イヤな奴だった
  メンデルスゾーンは若き日のワーグナーに会っているが、ワーグナーがメンデルスゾーンを尊敬していたのとはうらはらに、メンデルスゾーンは実にワーグナーに対して意地悪なことをしている。メンデルスゾーンはかの有名なゲバントハウスでワーグナーの「タンホイザー」序曲を演奏しているが、わざとテンポを極端に速く演奏してしまい全体が理解不可能にしてしまう。演奏が終わった時メンデルスゾーンは薄ら笑いを浮かべていた。オーケストラのあるバイオリン奏者がその表情を見てメンデルスゾーンはこの曲の価値をわかっていながらわざと変な演奏をしたことを悟ったという。ニッコリ笑って若手潰しである。事実このためワーグナーは大きな損害を被ることになる。本当にイヤーな奴である。

ワーグナー
さて、メンデルスゾーンに嫌がらせをされたワーグナーだが、「イヤな奴」という点では負けてはいない。いやある意味ではもっとひどいかもしれない。とにかく野心家で自分の成功のためには手段を選ばない男だった。他人の讒言をしてライバルを蹴落とすなんてことも一度や二度ではなかった。借金も踏み倒すは、友人から詐欺同然に金をまきあげてドロンするわ、親友の嫁さんを強奪して自分の妻にしてしまったこともある。(その嫁さんというのは音楽史上でも稀に見る女たらしで有名なF.リストの娘、コジマである)。まあとにかくこの男、そういった友人に対する「裏切り」の例は枚挙に暇がない。
  そして極め付けはバイロイト公に気に入られ、そのため国家予算の半分を使ってワーグナー専用の祝祭激情を作り、それによって「ニーベルンゲルンの指輪」という壮大な楽劇を作ったことだ。音楽史上最高傑作に数えられる作品だがこのためにバイエルン地方の領民が貧困にあえぐ結果になった。当時のバイロイト公ルードヴイヒ2世がワーグナーに心酔したためにこのようなこと起きたのだが、これを「芸術のための貴い犠牲」と取るか、貴族の道楽のために領民から搾取をしてきたと考えるか評価は別れるところだろう。
   ワーグナーの音楽は確かにすごい音楽でしかも麻薬みたいな所がある。ワグネリアンという熱烈(狂信的?)なワーグナーファンも結構いるし(私の知り合いで毎年欠かさずバイロイトまで出かけていく人がいる、その熱意には感心するけどね)イヤな話しだけどヒトラーを始めナチスの連中はワーグナーが大好きな連中だった。かのゲッペルスはワーグナーの音楽を用いて実に絶妙な演出を行い、効果的な大衆操作を行った。ワーグナーの楽劇は壮大なファンタジーがあるけど、しかしそれらはかなり多くの犠牲によってできあがったものであることは忘れてはならないと思う。


いわゆる奇人、変人タイプ
ブルックナー

ブルックナーという男は実に地味ーな男である。コリンウイルソン氏はブルックナーに関して面白いことを云っている「彼は不思議なほど不幸な男で、いわゆるチャーリーチャップリン的人間であったことがわかる。大工が椅子の上から落とすペンキ缶は決まってこういう男にふりかかるのだ」何かわかるような気がする(^^;)
  実はブルックナーは自分に極めて自信がない男だった。彼の交響曲は当時の観客の好みに合わず初演が不評に終わることが多かった。そのため彼は曲を発表する度に書き直している。それも手直し程度のものではない。殆ど全く作り直しといってよい。かくして同じ曲でありながら複数の楽譜が存在するというややこしい事態が生じる。それをさらにややこしくしたのは、ブルックナーの熱烈な支持者だった指揮者、ヨーセフ・シャルク、フェルデイナンド・レーヴェ等が作品を「わかりやすく」するために更に楽譜に手を加えたためにブルックナーの演奏をするのにどの楽譜を使って良いのかわからないということになってしまった。これも自分の作風、音楽そのものに自信をもつことができなかったブルックナーの性格が原因である。
ブルックナーの自信のなさは私生活でも出ている。彼は女性遍歴らしいものが殆どなく女性とまともに会話することすらできなかったようである。(72才まで生きたが一生童貞だったという話もある)心理学者の富田隆氏によればこういう自分に自信のない男はロリコンになりやすいと云っていたが、果たせるかなブルックナーは初めて会った十代の女性に結婚を申し込んだりといった常軌を逸したことをしている。非常に不幸でアブないオッサンである。

サテイ
サテイは作品からして変なものが多い。「歯のない鴬のように」弾くピアノ曲、フワフワした形の前奏曲、極め付けは同じフレーズを何万回も繰り返す「ヴェグザジオン」なる作品まである。(演奏時間は20時間を超える)これはハッキリいって変人でなければ書けない曲である。風ぼうもチビで服装にも無頓着、お世辞にも美男子とはいえない。当然女性にもてるわけなどない。
  しかしそんなサテイも生涯に一度だけ熱烈な恋愛をする。相手はシュザンヌ・ヴァラドンというルノワールやロートレックの絵のモデルをやっていた女性で現代でいえばさしずめグラビアアイドルといった所だろうか。尻軽女としても有名で多くの画家や、実業家との交際があったようだ。ちなみにそうした遍歴の中でこの女性が後の画家ユトリロを生む。しかしユトリロには母親らしいことは何ひとつしなかったようだ。ユトリロ自身はそれがトラウマになり、逆にそれがユトリロの作品の源になったのだから巡り合わせというのは不思議なものである。
話しはそれたが、グラビアアイドルとおたくっぽいさえない男、どう考えてもうまくいくはずがない取り合わせで、当然短い悲恋に終わってしまう。しかし別れた後もサテイはシュザンヌ・ヴァラドンの肖像画を大事に自分の部屋に飾っていたと云う。いわく「おれの人生で唯一の女だ」いやー一途というか健気というか....


今まで変人奇人の話しばかりしてきたが、どんなものでも例外は存在する。人間的にも比較的「まとも」な大作曲家もいたのである。

比較的「まとも」な大作曲家
バッハ

「音楽の父」とかいわれているバッハだが、ヨハン・セバステイアン・バッハは根っからの職業音楽人であった。彼は音楽の内容に関してプロとして譲れないこだわりはもっていて、その方針を巡り雇い主と対立したということがあったようだが、それがもとで奇行に及んだという記述はない。バッハ自身非常に謹み深い性格で自制心の強い人間であったようである。待遇や職場環境の都合で転職を何回かしたが、徹底的にプロフェッショナルとしての仕事を全うしていた。加えて家族をとても大事にしたらしく、よき父親として子供の教育も行っていたようだ。息子の何人かは音楽家として大成している。
  
ハイドン
このハイドンという人は苦労人である。車職人の息子という音楽とは無関係な環境で育った平民出身の少年が宮廷楽長の地位まで登りつめたのだから18世紀の時代では破格の出世である。しかしそこまでの道のりは当然平坦なものではなかった。ハイドンは音楽家を目指すのにはあまりにも恵まれない環境に育っており、そのため彼は床屋の職人として働きながら音楽の勉強をするという苦学生のような生活をしていた。その過程で音楽の教師に自分の作品を見せると「平民出身のお前は生意気に作曲などするのか」といって目の前で自作の楽譜を破られるなどという屈辱的なこともあった(ひどい教師だ!!) しかしハイドンには持ち前の明るさとタフさがあり、そうしたことにくじけることはなかった。
  私生活も恵まれているとは言い難い。若い頃ある女性と結婚するがこの女性が音楽に全く理解がない女性で、ハイドンが音楽の練習のために夜遅く帰ってきたのを、亭主が浮気していると勘違いして毎晩のように夫婦ゲンカをする始末。これにこりてハイドンは二度と再婚に応じていない。
  だがそうした不幸にもめげずついにエステルハージー公爵家の宮廷楽長の地位を手に入れる。ハイドンとエステルハージー公爵はウマがあったのか晩年までこのエステルハージー家に仕えることになる。
  たかが貴族の使用人ではないか、という意見もあるだろうがハイドンは決してその地位に安閑としていた訳ではない。音楽家らしい気骨も見せている。例えば次のような話がある

ある貴族の会合の演奏会でハイドンの作品を聞いて何人の出席者が居眠りをしているのにハイドンは気付く。これにカチンときたハイドンはそれならば貴族が眠れないような曲を作ろうということで生まれたのが、かの有名な「びっくり交響曲」である。今の我々が聞けば別にどうってことはない大きさの音だが、当時の貴族はこれを聞いて腰を抜かしたと云う。音楽家のプライドが「びっくり交響曲」を作ったといえる。

  またこんな話もある。 当時のハイドンやオーケストラメンバーはエステルハージー家の公務にからみ多忙な生活を強いられていた。オーケストラメンバーに疲れが見えそろそろ休暇が必要であることを知ったハイドンは一計を案じて「告別」交響曲なるものを作る。これは最終楽章で オーケストラメンバーが一人また一人とステージを去っていくパフォーマンスを行うというもの。これを見たエステルハージー公爵はハイドンの主旨を汲み取りオーケストラメンバー全員に休暇を与えたと云う。なかなか味なことをする人である。

こういう人物だから人望はとてもあった。奇人変人が多い大作曲家の中でハイドンは珍しく悪評が少ない。若い頃から苦労しただけあって、人間もできていたのであろう。


さていろんな作曲家の奇人変人ぶりを書いたが、私は別に悪口を書いているつもりはない。また大作曲家が奇人変人であることを悪いといっているのでもない。寧ろ歴史に残るような音楽を書く人は「フツー」過ぎていては新しいものなど書けないのである。ただ、彼らの業績を賛美するあまり、作曲家の人物像まで美化してしまう伝記作家や音楽評論家が時々いるが私はそういうのは感心しない。彼らは作曲家であると同時に人間なのである。従って長所もあれば欠点もある。それでよいではないかと思うのである。この奇人変人の記述を不快に思った人もいたかもしれないが、そういう人は伝記作家や音楽評論家の作った美化した姿に惑わされていると私はいいたい。


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