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2004年1月17日 (土)

私の音楽歴

音楽歴といっても別に自慢するようなことはありません。ただ、人間としての私、音楽家としての私 をわかっていただくにはよいかと思ってこのページを設けました。

ピアノを始めたのは5才から、当時私の親は勿論のこと、私もプロの音楽家になろうとなど考えても いませんでした。10才くらいからいわゆる”作曲遊び”なることを始めましたが子供のやること、 所詮は遊びの域を出ませんでした。

  雲行きが変わったのは中学生のころ、友人が「この音楽カッコいいぜ」といって聴かせてくれたアルバム、 それはあの名曲「エコーズ」が入っているピンクフロイドの「おせっかい」でした。今と違い当時はまだシンセサイザー、電子音というものがまだ珍しい時代で僕はたちまちこの音楽の虜となりました。それ以来、ELP, イエス、キングクリムソンといったいわゆる"プログレッシヴロック"にハマっていき、そうしているうちに シンセサイザーというものをどうしても触りたくなり、楽器屋に通う日々が続いたのです。当時のシンセはまだ手が届かない程高い物だったのです。(店長には迷惑をかけました。m(_ _)m )

  次の転機は大学時代、これまた友人に「面白い音楽」といって聴かせてくれたのはブライアンイーノの アンビエントシリーズ「空港のための音楽」でした。ブライアンイーノ自体は801やロキシーミュージック のキーボーデイストとして知ってはいましたが、脱退してからはその活動を知らなかったのです。この 音楽との出合いは決定的でした。そしてこの頃から音楽家になろうという気持ちが揺るぎない物になりつつ ありました。その友人とは詩人でもあって残念ながら故人となってしまった西野功一君でした。彼には今でも 感謝をしております。彼の作詞と僕の曲で歌を作ろうとしましたが残念ながらついに実現することは ありませんでした。

  その後一度某電気メーカーに就職するも、音楽の道は捨てきれず関連会社でBGMやCMを作っている会社に移籍、そのかたわら、バンドのサポートメンバーになったり自らもバンドメンバーになったりという活動を して来ました。一度「ヒカシュー」の坂出君らと「ダンステリア」なるバンドでデビューするもすぐに解散、 また別頁に書いてありますが、最近では作曲、プロデユーサーとして「ソニア」というプロジェクトを 横浜銀蠅のTakuといっしょにやるも長続きせず、現在はこの分野からは事実上撤退しております。どうも日本のポップス界にはあまり縁がないのか、この分野ではたいした成果をおさめることができませんでした。 まあ、元々音楽体験的にあまり日本の歌謡曲やポップスを聴いている方ではなかったこともあるので仕方ないのかもしれません。

  二番目の会社に3年半在籍した後独立して現在に至ります。私の作品については別項に書いてありますので、ここでは述べませんが、とにかくあらゆる仕事はやってきました。特に映像分野、映画、ビデオ、ゲーム、DVD,CD-ROM、遊技施設のシミュレーターまでとにかくやってない分野はないといっていいです。またヒーリング音楽の分野では30枚以上のアルバム数を出す等、一定の成果をおさめることができました。プロとして17年辛うじてではありますが、何とかこの道で飯を喰うことができています。

  プログレッシヴロックが好きというと日本の、特にメジャーの世界ではいまだに”変わり者”扱いされて しまいますが、私はそれらを60-70年代の真の意味での芸術音楽だっと思っています。青春時代に 聴いた音楽というのは一生体に染みつくものです。やっと最近になって自分はどういう音楽家か、どういう 活動が向いているのかわかってきたような気がします。よく考えたら当たり前の話ですが、やはりプロの 世界は自分の得意な分野で勝負しないとなかなか人には勝てません。それをもう20年近くなって今さら わかってきた今日この頃です。

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